駅や電車という不快な公共空間 - 赤木智弘
※この記事は2015年06月13日にBLOGOSで公開されたものです
9日に京浜東北線で、男が包丁を取り出して路線に逃げる騒ぎがあった。原因は車内で、優先席でのタブレット端末利用をしていた男性と、容疑者が口論となったことで、容疑者は「隣の乗客が優先席でタブレット端末を使っているのが気に入らなかった」と供述しているという。(*1)
もはや、ごまかしは許されない事態となった。
ごまかしとは何かといえば「ペースメーカーに異常が出るかもしれないから、優先席付近では携帯電話をオフにしよう」というごまかしである。
もはやPHSなどを含む携帯電話の普及率は120%を超え、日本で携帯電話を持たぬ人間はほとんどいないと言っていい状況となった。もちろんそこにはペースメーカー利用者も含まれる。
確かにかつての携帯電話には、ペースメーカーに支障をきたしかねない電波のものも存在した。しかし、携帯の電波もG3以降ではペースメーカーに干渉の少ないものになっているし、ペースメーカー側でも携帯電話等の生活圏での電波利用に対応した改良がされている。その結果、これだけの普及率にもかかわらず、携帯電話でのペースメーカー事故というのは一切報告されていない。
だがそれでも「万が一のことがある」として、鉄道事業者は電車の優先席付近では携帯電話の電源OFFをアナウンスしつづけてきた。
しかし、今回のような事件が起きてしまうことを考えると、携帯電話の電波でペースメーカーの事故が起きる可能性よりも、優先席付近での電源OFFをめぐるトラブルで殺傷沙汰になる可能性のほうがはるかに高くなっているのではないかと考えざるをえない。
あまりニュースにはならないが、電車の遅延にはこうした携帯電話の利用をめぐるトラブルが元になっているものが多いと聞く。中には、携帯電話を見かけるたびに暴言をまき散らし、口論になると非常停止ボタンを押して電車を止めてしまう常連までいるという噂もある。
こうした人達は自分たちの行為を「正当」であると考えている。そしてその正当性の根拠は電車における「優先席付近では携帯電話をオフにしてください」というアナウンスだ。そのアナウンスがあるから「俺は正しいんだ。正しいから相手を罵倒してもいいんだ」という正義の発露が行なわれる。 今回はそうした正義の発露が「俺は正義だから、包丁を持ちだして他人を黙らせてもいいんだ」まで発展してしまったわけで、今後どこかで「俺は正義だから、悪を倒してもいいんだ」と思う人が現れてもおかしくない状況にある。
この状況を変えるためにも、鉄道事業者は優先席付近での携帯電話オフという、すべてのアナウンスを取りやめるべきである。加えてペースメーカー利用者を不安にさせないためにも、しっかりと事故が起きていないことをアピールするべきである。
僕は以前から、駅や電車というものはハイパー化した公共空間ではないかと考えている。
例えば駅構内での全面的な禁煙や、当然のように行なわれる整列乗車。そして携帯の利用の制限と、駅や電車の車内では、人々の行動は厳しく抑制され、また人々も他人がその抑制通りに動くことを期待している。
だが、それは決して人々が鉄道事業者側からの要求にのみ従っているということではない。エスカレーターの利用などは、鉄道事業者が「エスカレーターは歩かずに、二列になってご利用ください」といくらアナウンスしても、人々はそれを無視して、歩く人のために片側を空けることが、さもマナーであるかのように振舞っている。
本来、こうしたマナーは「多様な人がお互いに不快を感じないように」として産まれたものだが、それが当たり前になった社会では、時代に則したマナーの改変が許されず、しかも厳格化して、みんなに必要以上の緊張感を強いる不快な空間に変質していく。エスカレーターで手をつないで横に並んだ親子を、下から登ってきたサラリーマンが舌打ちしながら睨みつける空間が、多くの人にとって心地よいものであるとは、僕には思えない。
気のせいかもしれないが、駅を歩く人々の速度が、年々速くなっているように思える。
十中八九、急いでいるだけなのだろう。でも、もしかしたら、みんな心の奥底で、駅という公共空間を不快を感じ、一刻も早く逃れたくて足早になっているのではないか。そしてその不快感とイライラが厄介事を引き起こしてしまう。
多くの人が利用する場所が、そんな不快な空間ではあってほしくない。そのためにはもう少し他人のマナーに対して寛容である必要があるだろうと思う。
*1:「タブレット使用気に入らない」=京浜東北線刃物男、優先席でトラブル(時事ドッコトム)