翁長知事「『基地で沖縄が食っている』という認識は、40年前の話。今や基地は沖縄経済発展の最大の阻害要因である」 - BLOGOS編集部
※この記事は2015年05月22日にBLOGOSで公開されたものです
5月20日、沖縄県の翁長雄志知事が外国特派員協会で会見を行った。翁長氏は、会見の中で、「『辺野古が唯一の解決策』というのは、民主主義の堕落だ」などと現政権が進める辺野古移設を厳しく批判した。沖縄は戦前、戦中、戦後と日本国に操をつくしてきた
まず沖縄の簡単な歴史から話をさせてもらいますと、沖縄は約500年に及ぶ琉球王朝の全盛期の時代がございました。その中で、「万国津梁の精神」と言いまして、アジアの架け橋、 あるいは日本と中国と東南アジアの貿易の中心になるんだということで、何百年とやってまいりました。驚いたことにベトナムの博物館には、600年前に「琉球人が来ましたよ」という年表がありましたし、中国の福州市の方には、「琉球人墓」という琉球の人がなくなったお墓があり、今も地域の人が管理しております。それから北京の方では、国士舘という中国の科挙の制度を乗り切ってきた一番最優秀のところで、琉球学館という、いわゆる琉球のエリートがオブザーバーとして勉強させてもらうというようなことがあったそうです。このように琉球王朝がアジアの付き合いをしてきました。また、沖縄の名産であります泡盛はタイのお米を使って出来ているわけで、タイとの何百年にわたるお付き合いもあるわけです。
アメリカのペリー提督が初めて日本に来航したのが、1853年の浦賀になります。ですから、日本の歴史の中では、ペリーは「浦賀に最初についた」ということになっております。それは間違いありませんが、ペリーは、その前後5回沖縄に立ち寄っています。85日間滞在をいたしております。1854年には独立国として琉球と合衆国との間に「琉米通商条約」を結んでおります。それから、オランダとフランスとも条約を結んでおります。そして、琉球はその25年後に日本国に併合をされました。私たちをそのことを琉球処分と呼んでいます。
それからは沖縄の言葉である「ウチナーグチ」を禁止されました。「一人前の日本人になりなさい」ということで、日本語をしっかりやるようにという話で、沖縄の人たちは、「立派な日本国民になるんだ」ということで、そういった公民化教育をしっかりと受ける。ある意味で日本国に尽くしてまいりました。
その先にあったのが70年前の沖縄の戦争です。そして、戦争の中でも沖縄県民が、10万を超える人が、唯一の地上戦で亡くなりました。そして、日本軍、アメリカ軍あわせて20万人及ぶ方々が沖縄で亡くなっております。
そういった戦争の話をすると時間がありませんから、そういう意味では沖縄は戦前、戦中、戦後と日本国に操をつくしてまいりました。その結果、戦後すぐサンフランシスコ講和条約で、日本の独立と引き換えに沖縄は約27年間、米軍の施政権下に差し出されたわけであります。米軍との過酷な自治権獲得交渉というのは、想像を絶するものがございました。
今の日米地位協定も若干、私たちからすると問題がありますが、当時は治外法権みたいなものですから、高等弁務官というのがありまして、アメリカの自治政府というのがあって、その基で沖縄の議会や立法院議会というのがあったわけですね。
そういう中ですから日本国憲法の適用もありませんし、児童福祉法の適用もございません。 27年間、国会議員を出したことも一度もございません。沖縄はその間、日本国民でもなく、アメリカ国民でもありませんでした。インドネシア沖で漁船が拿捕された時には、「沖縄だよ、琉球だよ」ということで三角の旗を掲げたのですが、その旗は何の役にも立ちませんでした。ベトナム戦争時には、沖縄から毎日B52を中心とした爆撃機が飛んでいきました。 その間、日本は自分の力で日本の平和を維持したかのごとく高度経済成長を謳歌したわけでございます。
今回の普天間の基地のあり方のことになりますが、日本政府は「普天間基地の危険性除去が原点である」と言っております。そして、その唯一の解決策は新辺野古建設が道であるといっております。しかし、沖縄から言わせますと、普天間基地問題の原点は戦後住民が収容所に入れられている時に、米軍に強制接収されて、あの普天間基地が出来ている。何も貸したわけじゃないんです。強制的にとられました。
そして、これも改めて確認をしますけれど、沖縄今日まで自ら土地を提供したことは一度もございません。普天間基地もそれ以外の飛行場も基地も、戦後沖縄県民が収容所に入れられている時に取られた。あるいは、住民が住んでいる時には銃剣とブルドーザーでどかして、家も壊して、今の基地は出来ている。ですから、私たちは、この銃剣とブルドーザーで基地にされたものを見ながら、27年間、今日も過ごしています。
ですから、「新辺野古基地を作れ」といわれた時に、私の言い分は、自ら土地を奪っておいて、県民に大変な苦しみを今日まで与えておいて、普天間基地が老朽化したから、世界一危険になったから、「お前たちが負担しろ。辺野古が唯一の解決策だ。それが嫌なら、代替案をおまえたちにあるのか。日本の安全保障はどうなるのか。沖縄県のことを考えているのか」。こういった話がされる。私は、それは日本の安全保障を考える、日米同盟を考える、日米安保体制を考えるときに、日本の国の政治の堕落ではないかと。こういうことを申し上げているわけです。
そして、今新辺野古基地のボーリング調査が始まっていますが、工事の現状も、まさしく海上での銃剣とブルドーザーでの基地の建設が始まったなぁというような様相でございます。私は自国民の自由、平等、人権、民主主義を守れない国が、どうして世界の国々とその価値観を共有することが出来るのかなと、大変不思議であります。
私は自由民主党の出身ですから、日米安保体制を大変理解をしております。その日米安保体制、日米同盟はもっと品格のある誇りの持てるものでなければ、アジアのリーダーとして、世界のリーダーとして、この価値観を共有することが出来ないのではないかと。こういう風に思っております。
“世界一危険”な普天間を本当に固定化するのか
安倍総理と会談をいたしました。その中で、安倍総理が私におっしゃったのが、「新辺野古を作るわけだが、その代わり嘉手納基地以南は着々と返す。あるいは、オスプレイも沖縄に配備していたが、何機か本土の方で訓練をしているので、基地の負担軽減も着々とやっている。なので、理解していただけませんか」という話をいただきました。私からは総理にこう申し上げました。
「総理、普天間が辺野古に移って、そして嘉手納以南が返された場合、一体全体沖縄の基地がどれだけ減るのか、ご存知でしょうか。これは一昨年、小野寺防衛大臣と私が話をして確認をしましたところ、普天間が辺野古に移って、嘉手納以南のキャンプキンザー、那覇軍港、キャンプ瑞慶覧といった施設が返されて、どれだけ減るかと言うと、今の米軍専用施設の73.8%から73.1%。0.7%しか減らない」。
0.7%しか減らないのは何故かと言うと、みんな県内移設なんです。どこそこに持っていくという話じゃないんですね。いわゆる県内移設なものですから普天間は辺野古に行きますし、まだ決まってないので言えませんが、そういったところへの県内移設になる。たった0.7%しか減らない。
それから総理がおっしゃるように、それぞれ年限をかけて、例えば那覇軍港だったら2025年、キャンプキンザーだったら2028年に返すと。それらを見ると、日本国民はですね「あぁやるじゃないか」と。「しっかりと着々と進んでいるな」と思うのでしょうけれども、しかしながら、その年限を区切った後になんて書いてあるかと言うと、「またその後」と書いてある。「2028年、またはその後」と。
そうすると沖縄は、こういった応答には70年間、本当に付き合わされてきましたので、いつ返還されるかわからんような対応だということが、これでよくわかると思います。ですから私は、そういったようなところで沖縄の返還が着々と進んでいるようには見えませんよ、という話をさせてもらいました。
それからオスプレイもだいたい同じようなことになります。オスプレイも本土の方で分散して訓練をしていますが、実は2012年に配備される半年ぐらい前から、「沖縄に配備されるんじゃないか」と言う話がありまして。私は、当時の森本防衛大臣などにも、「沖縄に配備されるのか?」というような話をしに行きましたが、「一切そういうことはわかりません」「そんなことは聞いておりません」と。
当時防衛大臣を務めた森本さんは学者時代、2010年に、本を出しております。その本の中に、こう書いてある。「2012年に12機、2013年に12機配備されます」と。防衛相がわからんといっているものが、一学者が3年前に「2012年に12機、2013年に12機配備される」と。その通りになっているんですね。そうすると日本の防衛省というのは余程能力がないか、県民を欺いているか、どちらかにしかならないんです。そして、その森本さんの本に、「もともと辺野古基地は、オスプレイを置くために設計をしているので、100機以上配備されます」と書いてあるわけです。
そうすると、今24機来ました。何機かは本土に行ってます。新辺野古基地が出来上がってきます。すると、みんな沖縄に戻ってくるんですよ。その沖縄に戻ってくることが全部見えるだけに、私は総理に、それはちょっと信用できませんよと話をさせてもらいました。
また、最後ではありますが、13年前ラムズフェルド国防長官が普天間基地を見て、「これはダメだ。世界一危険だから。早く移転をしなさい」ということを言ったわけです。菅官房長官なども再三、再四、「普天間は世界一危険だから辺野古に移す」と言っているわけです。
私が日本政府にお聞きしたいのは、「ならば、新辺野古基地が作れない場合、本当に普天間は固定化しますか?」「アメリカも日本政府も主要な人間が“世界一危険だ”と言っている普天間基地を新辺野古基地が出来ない場合に固定化できるんですか」ということをお聞きしているわけです。
私たちを「固定化するよ」と脅かしているものですから。「普天間をそのまま使うぞ」といっているわけですが、ラムズフェルドも菅官房長官も再三、再四、「世界一危険だ」といっているのに、出来ない場合、本当に固定化できるのかと。これをお聞きするのですが、安倍さんは返事がありませんでした。
以上、報告をしてまたご質問に応えたいと思います。
基地は沖縄経済発展の最大の阻害要因
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「独立というのは議論としてはありますけれども、実際上はなかなか簡単ではないと思います。ただ、それがないということで、『沖縄はほっとけ』『そういう決意もないところにはもっと基地を置いておけ』ということになるのであれば、それはわかりません。私たちも生きる権利がありますし、尊厳も持っておりますし、何故本土の皆さん方は自分のところで基地を預からないで、沖縄に74%も押し付けるのか。日本の国の安全保障は、日本国民全体で負担してほしい。仮想敵国からしても、沖縄県だけに押し付けているような日本国の安全保障は見透かされていると思いますよ。」
また、「基地が沖縄経済を支えているのではないか」との指摘については、「基地が経済発展の最大の阻害要因になっている」として、以下のように述べた。
「経済的に言うと、基地は沖縄経済発展の最大の阻害要因になっている。終戦直後はGDPの50%あった。27年後の復帰する時には基地関係収入の15%。今どれだけかと言うと、4.9%です。
基地がある中で、沖縄経済がどういう風に阻害されているかというと、那覇市の新都心地区などを見るとわかる。52億円の軍用地領があって、25年前に返された時に、私が市長として区画整理をすると600億円になり、芝生を刈ったり、米軍の家を直したりする程度で180名ぐらいしかなかった雇用も1万人以上になった。税収も6億円から97億円と15倍に増えている。基地がなくなると沖縄は大きく発展するのです。基地関連収入なんて沖縄としては問題じゃない。経済の面からすると、むしろ邪魔になっている。
安倍さんが『着々と進んでいますよ』という那覇軍港やキャンプキンザーなどの基地関連収入は5つで500億円。返された時どれだけ効果があるか試算すると8900億円。約20倍です。
だから「基地で沖縄が食っている」というのは、もう40年前の話であって、今や基地は沖縄経済発展の阻害要因だということをご理解いただきたい。
・【辺野古移設問題】翁長雄志沖縄県知事記者会見 主催:日本外国特派員協会-ニコニコ生放送
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