殺人よりも、正義の妄言がより多くの人を傷つける - 赤木智弘
※この記事は2015年03月07日にBLOGOSで公開されたものです
川崎市で発生した少年によるリンチ殺人の話。こうした少年犯罪が発生した時はいつもそうだが、多くの人達が「祭だ!フィーバーだ!!」とばかりに、無責任な発言を連発する。
まずは自民党の政調会長である稲田朋美が「少年犯罪が非常に凶悪化しており、少年法のあり方が課題となる」という妄言を吐いた。(*1)
「少年犯罪の凶悪化」と「少年法のあり方」というのは、目立った少年犯罪が発生するたびに口にする人が必ずいるのだが、すでに少年犯罪は数的にも質的にも凶悪化するどころか、減少の一途をたどっていることは、もはや社会常識と言ってもいいレベルの話である。
「そういえば、稲田朋美って法務大臣やってなかったっけ?」と思って調べてみたら、国政で法務大臣に就いたことはないものの、野党時代の自民党シャドーキャビネットで法務大臣として指名されていた。
今後、犯罪白書すら読めない人間が法務大臣に就く可能性があるということで、実に恐ろしい話である。
同様にネット上では、犯人と称される写真や名前が数多く拡散された。中には生中継と称して、容疑者の1人の自宅とされる家を撮影する子供まで現れた。
問題は、それが正しいか間違っているかということではない。どんな犯罪に対してであれ、我々が私的に誰かに刑罰を与えることがあってはならないということだ。それは容疑者に対してですらそうなのだから、容疑者の家族などであれば尚更である。
こうした容疑者側の人権を前提とした主張をすると、人々は「被害者家族の無念を考えろ」と主張する。また「自分たちの子供が殺されたらどうするんだ」と反論してくる。
しかし、そういう人たちは容疑者家族や親類縁者の苦痛や無念を考えたことが少しでもあるのだろうか?
容疑者の家族の生活が、それを暴き立てようとする人達によって壊れたとして、世間はその罪までもを含めて、犯罪者に押し付けようとする。しかし、容疑者家族の苦痛は、その容疑者自身ではなく、容疑者家族を吊るし上げる人たちによって与えられた苦痛である。それを容疑者の責任に帰すことは本当に真っ当であろうか?
そして、そうした苦痛を、私達が受けることが決してないと言えるだろうか? 自分たちの家族や親類縁者が、絶対に犯罪を犯さないとでも?
もっと単純な話をすれば、たとえ親類縁者が犯罪を犯さなくても、世の中には「同じ名字である」とか「いかにもそれっぽい」という理由で、犯罪者やその親類縁者として吊るしあげられる事例がある。
たとえば、お笑い芸人のスマイリーキクチ氏は、10年以上もネット上で東京都足立区で発生した女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人のひとりという誹謗中傷を受け続けた。
また、北海道の不動産会社は、事件の容疑者と犯人が苗字が同じだったというだけで、事実無根の誹謗中傷を受け、いたずら電話なども殺到した。
僕が「お前が被害にあったらどうするんだ!」という論を認めないのは、確率論的に考えて、自分やその家族が誰かに殺される可能性よりも、「犯人を絶対にゆるさない!」と考えている正義の人たちから、全く見知らぬ犯罪などにより、自分が誹謗中傷される可能性のほうがはるかに高いと考えるからだ。
前述のスマイリーキクチ氏の著書(*2)によると、誹謗中傷を行った犯人たちは、警察に問い詰められると「自分はネットに騙されただけだ」と被害者を演じて、自らの誹謗中傷の罪を自覚し、心から反省し、スマイリーキクチ氏に謝罪をする人はひとりとしていなかったという。
事件の犯人は裁かれるし、たとえ少年法で数年で出所するとはいえ、少なくとも犯罪を自覚する。しかし、ネットでの自覚なき正義の人たちは、一切犯罪を自覚することはない。自覚したところで被害者であるとうそぶき、自らが他人を傷つけたという現実からは目をそらし続ける。
僕は犯罪者よりも、そうした数多くの正義の人たちの方が、はるかに恐ろしくてならないのだ。
*1:「少年事件が凶悪化している」というのは本当か? 自民・稲田政調会長「発言」を検証(弁護士ドットコム)
*2:『突然、僕は殺人犯にされた ネット中傷被害を受けた10年間』(スマイリーキクチ 竹書房)