純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学

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 昔はひどかった。いまでも、巷に出回っているレポート・卒論術なる本などを見ると、書式の話だらけ。この著者たちは、レポートや卒論を読まずに見た目だけで採点してきたのだろうか。実際、ほんの十数年前まで、ワープロ禁止、卒論は万年筆の手書きで、誤字脱字修正を認めず、指定の製本屋で金箔押しの硬表紙を付けて出せ、なんていうアホな大学もあったとか。

 きょうび、レポートなんか、ネット提出が当たり前。膨大な紙のべらべらを副手や事務に集めさせる、なんて、もはやパワハラの業務妨害。卒論も、指導段階ではデータのやりとり。書式を整えるなんて、最後の仕上げの話で、それ以前に内容がクズでは、最初から話にならない。

 そう、問題は、内容だ。レポートや卒論の一般的な採点ポイントは5つ。1.テーマ、2.リソース、3.レファレンス、4.コミットメント、そして、5.アチーブメント。書式なんて、しょせんは個々の学会、個々の大学、個々の学科のローカルルール。しかし、内容の評価基準は、世界共通。


1 テーマ:課題と回答が呼応しているか

 字数があればいい、というものではない。与えられた課題、自分で立てた問題に、そのレポートで、きちんと答えが出せているか。なぜ、なら、○○だから。どんなこと、だったら、××なこと。書いているうちに、あさってへ話が広がって転がって行ってしまう、というのは、ダメ。それどころか、課題に対する回答として必要最小限なこと以外は、むしろ書いてはいけない。(知識や情報をひけらかすのは、水っぽい。)


2 リソース:素材を公正客観的に扱っているか

 回答を導き出すために役立つ引用や資料を網羅する。このとき、回答から逆算して、引用や資料を御都合主義で取捨選択してはいけない。むしろ都合の悪そうなものであっても、所与の事実である以上、フェアに採り上げておくこと。まして素材であるべき参考文献などのコピペを自分の地の文に取り込むなど、論外。


3 レファレンス:先行研究や反対意見に漏れが無いか

 教科書的な総論でもなければ、この意見集約こそがレポートのレポート(再発信)たるところ。同じテーマに関して、他の研究者、教員、学友などの多様な考え方を、歪曲なく提示し、それらをリソースで再検証していく。自称専門研究者でも政治的な如何様野郎が少なくないが、学究は、勝った負けたではなく、あくまで真相究明の場。ディベートのように、最初から相手を言い負かす前提だと、自分自身が道を外れる。あくまで、是々非々で。


4 コミットメント:自分自身の問題としての参画

 いくらレポートでも、人の話を寄せ集めただけでは、自分のレポートではない。人ごととしてではなく、自分もまた、それを自分自身の問題にして取り組む必要がある。自分が評価したレファレンスを踏まえて、その曖昧な点を解明するような実験や論証を自分自身で展開し、それによって、テーマに対して、自分自身としての回答へ一歩でも近づく。


5 アチーブメント:どこまでわかって何がまだわからないか

 リソースや追加の実験論証を駆使する自分のコミットメントによって、レファレンスよりどれだけ得るところがあったか。また、どれだけまだ足りないのか。つまり、自分自身の取り組みについても、客観的に再評価し、以後の学究に賦す。


 どうも、近年の小中高の学校教育が悪い。やたら自分の意見を述べさせることばかりやっているが、そんなものは、ただの無知の感想だ。ディベートでテクニカルに相手を言い負かす、というのも、学究の姿勢からほど遠い。そんなことばかりやっていたら、若いうちから伸びしろが無くなってしまう。

 事実のリソース、周囲のレファレンスと向き合って謙虚に吸収してこそ、勉強。そこから自分で一歩踏み出そうとしてこそ、研究。大学生にになったら、レポートや卒論の執筆を通じて、自分自身の知性を磨く根本姿勢こそ、しっかりと身につけよう。