#KuToo「批判」ツイート本、適法な引用と認められたことは不服…投稿主代理人に聞く
俳優でアクティビストの石川優実さんの書籍にツイートを無断掲載されたのは、著作権と名誉感情の侵害にあたるとして、あるツイッターユーザーが石川さんと出版社を相手取り、損害賠償などをもとめた訴訟(※)。東京地裁は5月26日、原告の請求は「すべて理由がない」として棄却する判決を言い渡した。(ライター・玖保樹鈴)
●原告はなぜ裁判を起こしたのか?
#KuTooを応援し、石川さんの書籍『#KuToo 靴から考える本気のフェミニズム』(現代書館)に勇気づけられた筆者にとって、納得のいく結論だった。
判決後の記者会見で、石川さんの代理人である神原元弁護士は「声をあげた女性の口をふさぐ、一種のスラップ訴訟ではないか」と語った。
一方、原告代理人は「女性を差別する意図はまったくなく、あくまでツイートの引用は著作権法上、不適法だと考えたことが、訴訟を提起した理由だ」と反論する。
個人的には、原告側がどのような思いで、裁判を起こしたのか、よくわからなかったし、何を争点にしようとしていたのかも深く知りたいと思った。
ツイッターという場所での書き込みを許可なく著書に引用することが法律的に許されるのかについても、私自身では判断がつかなかった。
そこで原告代理人の小沢一仁弁護士に聞いた。
●「今回のような掲載が適法とされたことに納得がいかない」
――今回の判決について、どのような感想をお持ちでしょうか。
ツイートを書籍に掲載した際に引用の要件を満たすかが、争点だったので、適法な引用だと認められたことにより、原告の請求は棄却されてしまいました。
ただ、原告としては、裁判所の「公正な慣行に合致するか」という点に関する判断が抽象的で、原告側の主張について判断をしていないことなどに納得いかず、控訴しました。
――具体的には、どういうことでしょうか。
ツイッターは他人のツイートにリプライすることで、当該他人に向けた意見を述べることができます。誰に向けたリプライかによって、リプライの意味は変わるので、引用する際にはこの点に誤認混同を生じさせないような配慮をする必要があります。
ところが、今回の書籍では、石川氏とは無関係の第三者に対する、原告のリプライが、石川氏に対するリプライと誤認されるような体裁で掲載されています 。
原告としては、適法引用の要件としての「公正な慣行に合致するもの」であるかについて、この点を問題にしたつもりだったのですが、裁判所の判断ではまったく触れられていませんでした 。まだ確定していませんが、控訴審では改めて以上のような主張をしようと思っています。
――「#KuTooへの『クソリプ』は、運動へのバックラッシュ(反動)ではないか。だからこの訴訟自体が、ものを言う女性への差別ではないか」という声もあがりました。
そもそも原告がなぜ今回の訴訟を提起したかと言えば、石川氏とは別の人にリプライしたのに、それを「石川氏に対するクソリプ」であるかのような形式・体裁で掲載をされたからです。
原告は、石川氏にリプライを送っていません。そのような不正確な引用が編集倫理上問題なのは間違いありませんし、私も原告も、違法でもあると考えました。
石川氏に繰り返しクレームの連絡をしたのに、謝罪も訂正もなく、この書籍は違法ではないとの一点張りで、耳を貸してもらえませんでした。それどころか、石川氏は、著作権法違反なら訴訟を起こせばよい、名前や連絡先を教えてくれれば石川氏側で弁護士費用など諸費用を前払いするので、訴訟を起こせばよいなどと発言していました。
2020年の6月ころだったと思いますが、ここまで言われては引き下がれない、悔しいということで、原告から、私に相談がありました。
一通り経緯を確認して、たしかにこのような引用は許されないだろうと思いましたし、私から見ると、匿名アカウントゆえに簡単には訴訟に踏み切れないであろうことを見越した発言のようにも見えました。
著名人からこのようなかたちで言われてしまうと、言論が萎縮してしまいます。原告の悔しいとの思いにも共感できましたし、引用の要件を裁判所がどう判断するのかも、新しい判断として興味がありました。そこで、本件を受任することにしたのです。
これがなぜ女性差別にあたるのか、正直なところ、理解することができません。訴訟の争点とも無関係です。
●「石川氏に尋問を求めたことはない」
――今回の裁判において、石川さんへの尋問を要求したのに実現しなかったのは、「石川さんを晒し者にするのが目的だった。だから裁判所が尋問要求を却下したのではないか」という意見も耳にしました。
そもそも、今回の訴訟で、原告は石川氏の尋問を申請していません。そのため、当然裁判所が申請を却下したという事実もありません。双方が主張を交換したあと、2021年1月22日の裁判の期日において、裁判所は、尋問を含めた今後の進行について原告の意見を求めました。その時点で考えがまとまっていなかったので、その場では即答せずに、「石川氏に対する尋問申請も含めて次回期日までに検討する」と回答しました。
その結果、尋問は不要と判断したので、原告側から裁判所と石川氏の代理人宛に、2021年2月22日に、石川氏の尋問申請はしないと書面で連絡をしました 。ですので、この意見は真実ではありません。
――被告側は判決後に記者会見を行いましたが、原告側はなぜ会見を行わなかったのでしょうか。今後も行う予定はないのでしょうか。
私は、判決期日が指定されるよりも前から判決の日に出張の予定が入っていて、当日は地方に出向いていたので、会見をすることは不可能でした。また、石川氏側の記者会見は、今回の訴訟は石川氏に対する一種のスラップ訴訟のようなものだなど、極端な内容のものだと報道されていました。
このような流れで会見をしても、訴訟とは無関係な空中戦に発展しかねませんから、会見をすることは今でもまったく考えていません。
●「石川氏に対して、間違った行動を取らないでほしい」
――他人のつぶやきを著書にまとめたというもの自体が、現時点ではそう多いものではないのですが、「本人に許可を取るべきだ」という言説については、どう答えられますか。
「普通は許可を取るものだから、無断で載せたのは許せない」と思っても、著作権法の引用の要件を満たしていれば、当然、許可は不要です。感情の問題としては理解できますが、著作権法という観点から見たときには、的を射ない意見だと思います。
「許可を取ったほうがお互い摩擦が起きずに済む」という意見もありますが、批判的な趣旨で使用する場合、ツイートをした人から許可を得られません。そうなると、さまざまな言論活動が阻害されるので、例外的に許可を得なくても適法な引用であれば無断で他人のツイートを使用できるのです。
論争的な著作だけに、石川氏が形式を変えて、注記もしないで引用したことが理解できず、残念です。
――1審判決のあとも、石川さんに対する誹謗中傷が続いています。
原告としても、石川氏側の判決後の記者会見やツイッター上における情報発信の内容については、疑問に思う部分があります。当事者以外のツイッターユーザーの意見も賛否両論でした。
ただ、単に批判的意見を述べるにとどまらず、事実を捏造、歪曲し、それに基づいて批判したり、単に容姿をけなしたり、必要もないのに過去の経歴をあげつらったりすることは、名誉毀損・侮辱として、民事、刑事上の責任を負うことになることもあります。
原告としても、今回の訴訟を契機に石川氏に対する名誉毀損や侮辱がなされることは、まったく望んでいません。フォロワーなど、ツイッター上でやり取りをしている人たちには注意喚起をしています。
それ以外の方々にも、このような行為は止めていただきたいと強く思います。
●原告代理人とも共有できている思いがある
小沢弁護士は時間を割いて質問に答えてくれただけではなく、その後も法律に疎い者を相手に、理解できるように補足しながら説明してくれた。そのことに対して感謝しているし、何を主張しているかもわかった。
控訴したことも、原告側の弁護士としては、当然のことだと言える。
しかし、それでも私個人は判決文の最後にあった「原告の請求にはすべて理由がない」という一文を支持している。
石川さんに「クソリプ」を送っている人たちだけではなく、この記事を読んでいる人には、いったん立ち戻ってほしい。石川さんの著書が生まれた理由は何だったのか。それは声をあげた石川さんに対して、批評やアドバイスを装った嫌がらせが連日連夜寄せられていたことではないか。
また石川さんはアクティビストだが、公権力を有した存在ではない。「著名人からこのようなかたちで言われてしまうと、言論が萎縮してしまいます」と小沢弁護士は言うが、石川さんに連日寄せられているような「クソリプ」こそが、自由な言論を委縮させてしまうものになっていないか。
このような背景から、原告にシンパシーを持つことはできない。しかし石川さんに対して「名誉毀損や侮辱がなされることは、まったく望んでいません」という思いは、共有できている。すべての人に、この思いが届くことを願ってやまない。
(※)訴訟までの簡単な経緯
原告のツイートは、石川さんではないアカウントにリプライされたものだった。
<逆に言いますが男性が海パンで出勤しても#kutoo の賛同者はそれを容認するということでよろしいですか?>
これを目にした石川さんは<そんな話はしてないですね。もしも#KuTooが「女性に職場に水着で出勤する権利を!」ならば容認するかもしれないですが、#KuTooは「男性の履いている革靴も選択肢にいれて」なので。>と引用リツイートをした。
その後、このやりとりが書籍『#KuToo 靴から考える本気のフェミニズム』に掲載されることになった。