訪問100回 支援で生まれた心の交流 見えた課題 栃木と震災10年の歩み
さくら市の社会福祉協議会では東日本大震災の発生直後から、東北と市民をつなぐ支援活動を続けています。
3月19日には宮城県へ物資を届けました。
震災から10年、訪問は100回を数え、ひとつの区切りとして一旦終了します。
活動を通して生まれた心の交流、そして現地の今を取材しました。
3月19日朝、さくら市の社会福祉協議会。
マイクロバスに積み込まれていたのは、野菜や果物。
東日本大震災で被害を受けた東北に届けてほしいと市民の有志から寄せられました。
「被災地に何か支援をしたい」
こうした市民の思いに応えて社会福祉協議会は震災発生直後から10年間、物資の支援やボランティア活動で東北と市民をつなぎ続けています。
今回訪問するのは津波の被害が大きかった宮城県東松島市と石巻市です。
鈴木さん:「みんなの顔を見るのが楽しみ」
こう話すのは社会福祉協議会の鈴木稔夫さん(63)です。
震災当時の事務局長で、活動を中心になって引っ張ってきましたが、3月で退職するため、これが社協のメンバーとしては最後の東北訪問です。
バスは、およそ4時間かけて宮城県東松島市に着きました。
津波などで自宅が被害を受け、仮設住宅で暮らしていた人たちが待っていました。
現在はそれぞれ新しい住まいで生活していますが、ボランティアのメンバーは何度もこの場所を訪れていて10年近い付き合いです。
住んでいる場所は離れていても、いつも心の距離は近いところにあります。
あたたかい言葉が心にしみました。
津波で自宅が被害を受けた東松島市 栗原信一郎さん:「悲惨なこともたくさんあったが再出発させてくれるような温かい支援に助けられた」
津波で自宅が被害を受けた東松島市 青砥智恵さん:「一生の宝になる思い出をたくさんいただいた。ありがとう」
コロナ禍のため滞在できるのは短時間でしたが、お互いの元気な顔を確認しあい喜びを噛み締め合いました。
一行はすぐさま石巻市へ。石巻市は東北の支援活動の中でメンバーが最初に訪れた場所です。
市内を一望できる日和山公園で現地の社会福祉協議会の阿部由紀さんと合流しました。
阿部さん:「ここは5千人くらい住んでいたが、今は山すそ側にしか住んでいない、本当に少なくなった」
津波で大きな被害を受けた石巻市。あの日から10年が経ち堤防や道路などハード面の整備は9割ほどが完了し、復興の歩みは進んでいます。
それ以前の街並みからは一変しました。
そして、時間が経ったからこそ出てきた課題もあると阿部さんは教えてくれました。
阿部さん:「10年で年を取った。高齢者の夫婦は1人暮らしになった人も。そこにコロナが上乗せ。孤立感を感じている人は多い」
鈴木さん:「復興はまだまだだと感じた。私たちにできることは『忘れない』こと。一人一人にできることはある」
10年の月日は流れました。ただ、求められる支援がある限り節目はありません。