「1番、2番、3番人気で決着」世紀の一戦で魅せたアーモンドアイの異次元ぶり
■レース前から“波乱”の予兆を感じた
ジャパンカップの勝敗は一瞬で決まった。
午後3時40分、GIのファンファーレが鳴り、各馬が輪乗りからゲートに入ろうとした。
自国でもゲートインにてこずったことのあるフランスの招待馬、ウェイトゥパリスが先にゲートに誘導された。
だが、なかなか入らない。何人もの誘導員たちが押し込もうとするがゲートの前で立ち止まったまま。
ゲートの前扉を開けてみるが、入る素振りも見せない。
世紀の一戦を前に、馬も騎手も緊張が高まっている。だが、それに水を差すようなパリスの頑なさに、何かしら“波乱”の予兆を感じたのは私だけではなかっただろう。
デムーロ騎手が下馬して、馬だけをゲートにようやく押し込む。
アーモンドアイはゆったりとしていて全く動じない。彼女の姿に富司純子扮する「緋牡丹博徒シリーズ」のお竜姐さんを見るのは私の年のせいだろう。
コントレイルがややチャカツキ始めた。パドックでやや汗をかいていたデアリングタクトが心配になる。
2400メートルの長丁場といえども、勝負のカギはスタートにある。
馬は繊細な動物だ。音楽や歓声に驚いて騎手を振り落とすこともある。馬にプレッシャーをかけないで、スムーズにゲートイン、スタートさせるかが騎手に課せられた最も重要な“使命”である。
だが、そんなファンの心配を払拭するように、ほかの各馬はスムーズにゲートに入っていく。
■好スタートを切ったキセキが先頭に
ゲートが開いた。
ロケットスタートを決めたのは2番枠のアーモンドだった。
スタートと同時に、そのまま逃げるのではないかと思えるほどの好スタートに、先行しようと考えていたであろう1番枠のカレンブーケドールの行き脚がつかず、アーモンドの後ろに控える形になった。
コントレイルのスタートもよかったが、デアリングがわずかだが後手を踏んだ。
アーモンドの勢いに押され、逃げるはずのトーラスジェミニやヨシオはアーモンドの後ろから行かざるを得ない。
4番枠のキセキに騎乗する浜中は、スタートが五分なら行くと決めていたのだろう。すぐに手綱をしごいて何が何でも逃げてやると、1コーナー手前で先頭に立つ。
アーモンドはキセキの動きを見ながらインで折り合いに専念。ようやくトーラスやヨシオなどがアーモンドの横に並びかけ、アーモンドを包むように先行集団が1コーナーから2コーナーへと進んでいく。
川田騎乗のグローリーヴェイズがアーモンドの後にピタリと付ける。
デアリングはやや掛かり気味に中団より前に位置する。その後ろにコントレイル。
■騎手それぞれの戦略は…
コントレイルは菊花賞でルメールのアリストテレスに終始外側にピタリと並ばれ、馬がイライラしたことがあった。
デアリングも、オークスでは直線で馬込から出られず、松山騎手が苦労したから、この両馬は初めから、外に出して差す競馬を意識していたのだろう。多少距離のロスがあってもあえて外を回ろうと“熟慮”した結果の作戦のようだ。
全体のペースはスローだったが、1頭だけ別次元の走りをしていたのがキセキだ。手綱をしごいて先頭に立ったため、馬に行き脚がついてしまったのだ。
1頭だけが後続集団を10馬身ぐらい離して逃げる逃げる。
古くからの競馬ファンならここで、3強ダービーのタニノハローモアや2強ジャパンカップのカツラギエースの逃げ切り勝ちのことが頭をよぎったのではないか。
3コーナーでは2番手集団の先頭にグローリーヴェイズが立った。ルメールはインの4番手を淡々と進む。
勝負の4コーナーを回って、コントレイルがやや仕掛け気味に、デアリングの外から上がっていく。
デアリングも一緒に上がっていこうとするが、前に馬がいるため、一瞬、仕掛けが遅れたように見えた。
府中の直線は460メートル。高低差2.1メートルの上り坂がある。
■上り坂で馬の状態はある程度わかっている
昔、現役ジョッキーから聞いた。この坂を上って、「1、2、3」と数えてから追い出すのだ。1、2では早すぎて、後ろからくる馬に差されてしまう。
ダービーで1番人気になったハイセイコーにまたがっていた増沢末夫は、坂上あたりで、「いつもと違う」と感じたと話していた。ハイセイコーは2000メートルまでは無類の強さで勝ってきたが、ダービーは400メートル長い。鞍上は馬が苦しがっていることを敏感に感じ取っていた。
坂を上がったところでタケホープとイチフジイサミにあっという間にかわされ、ハイセイコーは3着に沈んでしまった。
坂を上っていくところで、15頭の馬にまたがっている騎手たちは、自分の馬の状態をある程度つかんでいるはずである。
アーモンドは淡々と坂を駆け上がっていく。先頭にはキセキがいるが、すでに浜中の手綱は激しく動いている。
前のグローリーはかわせる。コントレイルとデアリングとはまだ3、4馬身の差がある。
徐々にルメールはアーモンドをグローリーの外へ持ち出す。ここなら芝もインほどは荒れていない。
そう判断した瞬間、ルメールはアーモンドにゴーサインを出した。
■余力を残すアーモンドアイを三冠馬が追う
グローリーと喘いでいるキセキを抜き去り、先頭に立つ。ゴールまで400メートル、300メートル、100メートル、50メートル。
ルメールは、「(後ろから音は)何も聞こえなかった。手前を替えたか、息が入ったか。アーモンドアイの上で集中していた」とレース後に語っている。
コントレイルが外から“飛行機雲”のように猛然と追い込んでくる。デアリングは“大胆な戦法”で外に出すのを諦め、内に突っ込む。アーモンドの後ろに控えていたカレンブーケドールも津村の渾身のムチに応えて追い込んでくる。
2400メートル巧者のグローリーも最後の力を振り絞る。
だが、終始インを回り、余力を残していたアーモンドは、コントレイルの上がり34秒3の鬼脚を1馬身4分の1差退けて、栄光のゴールを駆け抜けた。
ルメールが右手人差し指でアーモンドを指す。「アーモンドがナンバー1だ」と。
3着も無理かと思われたデアリングは、カレンと鼻づらを合わせて追い込み、コントレイルとハナ差3着まで突っ込んだのが、見る者に強烈な印象を与えた。
■獲得賞金は「ディープ超え」歴代1位の19億円
アーモンドは毎回全力を振り絞ってゴールを駆け抜けるため、疲労でゴールイン直後によろけることもあったが、この日は、見ている限りそんな様子もなく、ルメールを背にウイニングランをしているときも、「勝って当たり前」だと平然としているようだった。
3週前の「天皇賞・秋」では、レース後のインタビューで珍しく涙を見せ、声を詰まらせたルメールだったが、この日は、「エンジョイした」と晴れ晴れとした笑顔だった。
結果的には1番、2番、3番人気で決着し、3強といわれた3頭で決着した。だが、56年という長い競馬歴だけを誇る私には、前評判通り、しかも、2強、3強といわれた馬が順当に来ることなど、下位条件戦ならいざ知らず、GIレースでは“奇跡”といってもいいと思っている。
コントレイルの福永は「一生懸命強い相手に走ってくれた。アーモンドアイは強かったです」、デアリングの松山は「今日に関してはデアリングタクトより速い馬が2頭、前にいたということ」と、グッドルーザーであってくれた。
コントレイルの調教師の矢作が、「勝った馬は強い。これだけの馬に(引退してしまって=筆者注)リベンジできないのは悔しい」といったが、これが本音だろう。
実にGI9勝。獲得賞金はキタサンブラックを抜いて歴代1位の19億1526万3900円。ジャパンカップ1レースの売り上げは今世紀最高の272億円。
アーモンドアイは記憶にも記録にも残る名馬になった。
■スポーツ各紙も“アーモンドアイ祭り”
競馬史に残る人気者だったハイセイコーが引退したとき、寺山修司はこう詠った。
「ハイセイコーがいなくなっても全てのレースが終わるわけじゃない。人生という名の競馬場には次のレースを待ち構えている百万頭の名もないハイセイコーの群れが朝焼けの中で追い切りをしている地響きが聞こえてくる」
そしてこう結んだ。
「だが忘れようとしても目を閉じるとあのレースが見えてくる。耳を塞ぐとあの日の喝采の音が聞こえてくるのだ」
このジャパンカップは競馬ファンだけではなく、コロナ禍で自粛生活を余儀なくされている人たちにも長く語り伝えられることだろう。
翌日のスポーツ紙(私が見たのはスポーツニッポン、日刊スポーツ、スポーツ報知だった)は、一面と最終面全面をアーモンドアイが飾った。競馬史上初めてのことではないか。
ルメールは、「アーモンドアイがいなくなっても、その仔どもにまた乗れる。楽しみです」といった。
たしかにそうだが、アーモンドは牝馬だから、種牡馬のように、何百頭も仔どもを送り出せるわけではない。
■名馬から必ずしも一流馬が出るわけではないが…
馬は受胎してから産むまでに約340日(11カ月ほど)かかる。順当にいっても年に1頭。
ちなみに昨年、惜しまれて亡くなった牡馬のディープインパクトは、生涯で1400頭の仔どもがいるといわれる。種付け料は1回4000万円だったから、ディープが稼いだおカネは天文学的な額になる。
アーモンドが10年現役で産んだとしても10頭程度。その中からコントレイルやデアリングタクトのような三冠馬が出るだろうか。
アパパネ、ジェンティルドンナ、牝馬でダービーを勝ったウオッカなどの名牝も繁殖牝馬になっているが、まだ超一流馬は輩出していない。
牡馬牝馬を問わず、名馬から必ずしも一流馬が出るわけではない。
アーモンドアイは繁殖牝馬になっても傑出した存在になり、名馬を世に送り出してくれることを期待したい。
ありがとう友よ、さらばアーモンドアイ。
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元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任する。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『a href="https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4198630283/presidentjp-22" target="_blank">編集者の教室』(徳間書店)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)、近著に『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)などがある。
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(ジャーナリスト 元木 昌彦)