21世紀の生活はさまざまな広告であふれていますが、アメリカ広告、とくに化粧品広告の起源は19世紀後半にまでさかのぼります。医学が発達しておらず、科学と信仰と魔法の線引きが明確ではない時代に、ある薬メーカーが「広告ビジネス」を成功させたことが現代の化粧品広告にまで影響していると、作家のEllen Wayland-Smith氏が指摘しています。

The Magical Art of Selling Soap | Lapham’s Quarterly

https://www.laphamsquarterly.org/roundtable/magical-art-selling-soap

17世紀に科学革命が起こる前は、科学と魔法はほとんど区別されておらず、「医学者と見せ物」という組みあわせは珍しくなかったそうです。マジシャンや手相占い師が不思議な見せ物をするのと同様に、医師は新しい治療法を見せ物としており、「歯科医であり人形師」「歯科医であり曲芸師」という組みあわせもよく見られました。科学の発達に伴い医学も進歩しましたが、それでも19世紀の医学は他の科学分野に比べて遅れていました。

そんな中で、マジシャンのジョン・ハムリンは「Wizard Oil Company」という会社を設立し、「癒されない痛みはなく、鎮圧されない痛みはない」というスローガンのもと、万能薬として特許医薬品「ハムリンの魔法使いオイル」を発売しました。ハムリンは、カラフルな広告イラストが描かれたワゴンを馬に引かせ、ワゴンをパーラーとして使用してオイルを販売。またアメリカ中西部をワゴンで移動して地方の薬局に薬を販売するという方法でビジネスを成功に導きました。



ハムリンがビジネスに成功したのは、急速にメディアが発達し、識字率が上昇していった時代という背景もあります。ハムリンは「癒えない痛みはなく、治まらない痛みもない」「偉大なる医療の不思議……魔法のような効果」といったキャッチコピーの広告を新聞にどんどん掲載しました。あまりにも多い広告の量にクレームがなかったわけではありませんが、広告収入がなければ新聞が高価になってしまうことから、新聞社の編集者は広告を載せ続けたとのこと。

さらに、ハムリンは新聞だけでなく、チラシ、パンフレット、トレーディングカード、生活暦といったものにまで広告を広げていきました。これにより、アメリカ中に「癒えない痛みはない」というようなメッセージが浸透し、その結果、「健康を求めること」「健康であること」が重要であるという考えが無意識に人々の頭の中に刷り込まれることになりました。



ハムリンの魔法使いオイルの流行は1870年〜1880年代にピークを迎えますが、1885年にはヘンリー・ウォード・ビーチャー牧師の「キリスト教徒が神の隣にいるなら、石けんは恩寵だと見なされければならない」という発言が、何ら違和感のないものとして受け取られるように。「健康であること」「清潔さ」「宗教的な善」が当然のように結び付けられるようになったそうです。

そして1880年代から第2次世界大戦までの女性誌には、化粧で肌を隠すのではなく、肌自体を改善させる石けんやクリームの広告が掲載されるようになりました。ハイドロパシー(水治療法)や禁酒、菜食主義といった「クリーンな生活」が19世紀に流行したのと相まって、「清潔さ」の流行が起こったのです。

特にハイドロパシーは何千人という信者を抱え、アメリカ全土に何十もの治療センターが建てられたほどの人気でした。1850年の医学誌に、ウィリアム・ホーセル医師は「冷水を浸したスポンジで体を洗うことは痛風、神経過敏、肌の弱体化といったさまざまな悩みを抱える人にとって大きな価値がある」とつづっています。ハイドロパシーでは「毛穴が詰まっていること」をよしとせず、体の健康を回復させるためには「開いた毛穴」と「元気な肌」が必須だとしました。

ハイドロパシーの考え方は化粧品のコンセプトにも反映されていき、毛穴の詰まりが「病気のひそかな原因」として捉えられるようになります。同時期に公衆衛生改革が起こった事もあって、このような流れの中で、1890年から1920年の間に石けんの市場は爆発的に大きくなりました。そして、多くの石けんメーカーは「掃除や洗濯などに使う石けんと、肌に使う石けんは別々である必要がある」と消費者に訴えるようになります。中にはこのような業界の動きに反抗するメーカーもありましたが、ほとんどは「体の自然な機能のためには、肌や頭皮専用の石けんが必要」という広告を打ち出しました。



頭皮用の石けんの典型的なキャッチコピーは「定期的なクレンジングが血流をよくし、頭皮の栄養状態を改善させ、髪を自然かつ美しくするのに役立ちます」といったものでしたが、柑橘類産業を営むSunkistは「石けんが肌の堆積物を洗い流す」ということに留まらず、「石けん自体が堆積物になりうる」と警鐘を鳴らし、「Sunkistの提供する新鮮なレモンは石けんのアルカリを排除し髪をクリーンに保ちます」というメッセージを発信したことが天才的だと、Wayland-Smith氏は述べています。

このような広告の歴史の中で「石けん」は1つの産業として大きくなってきました。広告が科学を置き去りにした「魔法のような」という考えを打ち出し、文化的に成功してきたという点は現代においても忘れられるべきではないとWayland-Smith氏は指摘しています。