戦国時代、討ち取った敵の首はどうなる?首級が本物か確認する儀式「首実検」とは
古来、手柄を自慢して喜ぶ様子を「鬼の首をとったよう」などと言いますが、戦国時代の武士たちも戦場で倒した敵の首級を高々と掲げ、手柄を宣言する様子が現代に伝わっています。
さて、敵を倒した証拠として斬り落とした首級ですが、手柄として主君に認めてもらうには、どのような手続きをとっていたのでしょうか。
そこで今回は、戦国時代の首実検(くびじっけん)について紹介したいと思います。
首実検の作法もろもろ
首実検とは、文字通り「その首級が、実(まこと)かどうか検(あらた)める」ための儀式ですが、一文字間違えて「首実験って、どんな実験をするんだろう?」と勘違いしていたのは、きっと筆者だけではない筈です。
要するに、その首級が誰のものかを確かめることで持ってきた者の手柄を評価し、同時に「これほどの強敵を倒した」と確認することで味方の士気を高めるのが目的でした。
首実検は近くの寺院などで行われ、家臣たちが持って来た首級は女性たちが綺麗に洗い、乱れた髪を結い直した上で死に化粧を施します。
臨席者は大将はじめ全員が武装しており、これは首級を奪い返しに来る敵襲と、討ち取られた首級の持ち主が怨霊として化けて出ることに備えたためです。
首級には一つずつ首札(くびふだ)が付けられ、この首級が誰のもので、誰が討ち取ったのかを記載。また、ランクによって一軍の将(指揮官)クラスであれば首台(くびだい)に載せられ、丁重に検分されました。
首台に載せて、差し出された首級。
【参考:首札の材質/寸法】
大将首:桑材/幅二寸(約6.6cm)×長さ五寸(約16.5cm)
部将首:椿または杉材/幅一寸八分(約5.9cm)×長さ四寸(約13.2cm)
雑兵首:椿または杉材/幅一寸余(約3〜4cm)×長さ三寸六分(約11.9cm)
【参考:首台の材質/寸法】
大将首:一尺二寸(約39.6cm)四方の板に四寸二分(約13.9cm)の脚
部将首:六寸(約19.8cm)四方の板に二寸(約6.6cm)の脚
※作法ではそうなっていたようですが、いざ戦場でこんな規定をキチンと守っていたのかは不明です。あるいは、平素からこういう規格の首札や首台が生産されており、戦さが近くなると、よく売れたのかも知れません。
死に顔で分かる味方の吉凶・首級占い
さて、このようにして大将らの面前に差し出された敵の首級ですが、その面相(死に顔)によって吉凶が占われることもあったようです。
右眼(うがん):首級の視線が右に向いていると吉
左眼(さがん):反対に、左を向いていると凶
天眼(てんがん):上目を向いていると凶だが、武田家では吉
地眼(ちがん):下目を向いていると吉だが、武田家では凶
仏眼(ぶつがん):穏やかな死に顔は吉
片眼(かため):どちらか片目だけ閉じているのは凶
歯噛(はがみ):歯を食いしばっているのは凶
差し出された首級の中には、無念の余り歯噛みしているものも。
天眼と地眼について、武田家のみ解釈が吉凶真逆なのは興味深いですが、天眼は「敵を踏みつけた」ように見え、地眼は「敵に見下されている」ように見えるからでしょうか。
※逆に他家では、天眼は「視線が上に向いている≒まだ闘志を失っていない」ため凶、地眼は「目線が下がった≒既に闘志を失った」と解釈したのかも知れません。
ともあれ吉凶はその後の運命を大きく左右するため、こと凶相の首級については懇ろに供養することで、怨みを鎮めたと言われています。
他の首級についても、身分がある将については敵方に返還されたり、あるいは首塚(くびづか)などに葬られたりしました。
終わりに
敵を殺してその首級を奪う。その行為について、現代の価値観から見ると何と野蛮で残酷な、と思われる方がいるかも知れません。
しかし、往時の武士たちは命のやりとりをした相手に対するリスペクトを示すため、最大限の礼節をもってその首級を遇しこそすれ、死者を冒涜し、敗者を辱めるような非道を軽蔑しました。
「ゆめゆめ、忘れるでないぞ?」
死力を尽くして殺し合えばこそ、肌身に沁みて理解できる生命の尊さ。そのような極限状況の道徳が、後に「武士道」と呼ばれる独特な価値観を形成していくのでした。
※参考文献:
「歴史ミステリー」倶楽部『図解!戦国時代』三笠書房