元ロッテ山本徹矢、『ナカイの窓』ADを経て起業家の道へ
「10年後、事業をどれだけ拡大できるか楽しみ。今はコツコツと1本1本ヒットを打っているような感じです」
元千葉ロッテマリーンズの山本徹矢さんは、現役時代と同様に、ひたむきに前に歩んでいた。
2008年、神戸国際付属高から5位入団。ケガなどに苦しみ、2013年に引退した。2014年からテレビ局でADやスポーツディレクターなどを経験し、2020年2月、派遣会社『W-TK』を立ち上げ、現在は代表取締役を務めている。
テレビ業界は志願して選んだ職種ではなかった。プロ野球選手という、いわば “花形の世界” にいた自分。ファンがいて、サインを求められ、スポットライトも当たる……。
引退後、起業の志はあったが、時期尚早だと判断。社会経験として選んだのが、ADだという。
「現役最後あたりのとき、ケガして『あかんかなー』と思って、多くの本を読むようになりました。当時はワタミ創業者の渡邉美樹さんが翻訳した『「人を動かす人」になるために知っておくべきこと』が(心に)刺さって、経営者になりたいと思ったのが最初です。
ですが、いきなり起業するのではなく、まずは社会勉強をしようと思い、人生の振り幅として、一番厳しい仕事と思われるADを選びました」
元プロ野球選手だろうと、ADとなってしまえば以前の肩書は関係なかった。
「AD時代は『ナカイの窓』(日本テレビ系)を担当したんですが、50時間寝なかったり、眠すぎて歩きながら5分間くらい寝ていたこともありました。
やめる人もいたけど、そこは反骨心を持って、体も心もやられることなくやっていましたね」
同世代には、西勇輝や浅村栄斗など、第一線でプレーする選手もいるが、彼らにも「負けたくない」の一心で反骨精神を燃やしている。
「野球以上にわくわくする仕事はこれから出会わないと思うし、野球以上の人生もない。その世界で負けたからこそ、今がある。
西、浅村とか同世代のスポーツ選手の年収を見て、負けたくないな、と思います。現役時代の年俸の数倍になったこともあります。彼らとはこれからも永遠にライバルです」
山本さんは、負けず嫌いの気概にあふれたセカンドキャリアを送っていた。
やまもとてつや
1990年6月6日生まれ 2008年、千葉ロッテマリーンズに入団し、2013年に引退。一軍成績は2011年の11試合、0勝0敗0セーブ、防御率5.63のみ