『イエスタデイ』全国劇場で上映中(©Universal Pictures)

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世界で最も愛されているロックバンドといえば、間違いなくビートルズだろう。そんな彼らだけに、ショーン・ペンとダコタ・ファニング扮する親子の愛が胸を打つ『アイ・アム・サム』(2001年)やブロードウェイ版『ライオン・キング』の演出で名を馳せたジュリー・ティモアが監督したカルトな『アクロス・ザ・ユニバース』(2007年)など、ビートルズの楽曲で全編を埋め尽くした映画は決して珍しいものではない。だが”ビートルズとは何だったのか”について深く掘り下げた劇映画は『イエスタデイ』が初めてじゃないだろうか。

マニアが多いバンドなのによくぞ恐れずにこんな映画を撮ったなと思ったら、『トレインスポッティング』のダニー・ボイルと『パイレーツ・ロック』のリチャード・カーティスという、英国でこの手の映画を作るならこれ以上は考えられないコンビが監督と脚本を務めていた。二人は母国が生んだ英雄を題材に、どんな物語を作ったのだろうか? なんと映画内に”ビートルズが存在しない平行宇宙”を創り出したのだ。

舞台は現代。主人公のジャックは幼馴染みのエリーのサポートを受けながら、パブや街角で自作曲を歌い続けてきたものの全く芽が出ないでいるシンガー・ソングライターだ。そんなある日、謎の停電が起きたせいで、自転車に乗っていた彼はバスに衝突して昏睡状態になってしまう。

やがて回復したジャックは、退院祝いの席で「イエスタデイ」を弾き語りする。だがエリーの反応がおかしい。「あなた、いつそんな凄い曲を作ったの?」。そう、彼は事故のショックで殆どが同じなのに何故かビートルズが存在しない平行宇宙に飛ばされていたのだ。彼らの曲を誰も知らないなら、俺が歌ってやる! ジャックは慣れ親しんだビートルズ・ナンバーを自作曲と偽って歌いまくり、恐ろしい速さでスターダムの階段を駆け上がっていく。

前半は、ジャックが誰もが知っているビートルズの名曲を歌うたびに、周囲が衝撃を受けて感動する姿がギャグとして執拗に繰り返される。天才(と思われる)ジャックの踏み台になる有名ミュージシャンも登場する。エド・シーラン(演じているのは本人!)だ。とにかく彼の演技が最高。何しろ自信満々で「10分間のうちに新曲を作って競いあおうぜ」と勝負を持ちかけながら、ジャックに「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」を歌われて敗北感に打ちひしがれたりするのだから。

「ヘルプ!」を歌うシーンに込められた意味

シーランからのお墨付きを受けて最初は成功をエンジョイしていたジャックだったが、熱狂的なファンが世界中に増殖していくのを目の当たりにして、徐々に精神を追いつめられていく。故郷でデビューアルバムのリリース記念ライブに臨んだジャックは、遂に耐えきれなくなって「ヘルプ!」を歌い出す。

「Help, I need somebody/Help, not just anybody/Help, you know I need someone, help(助けて!/誰でもいいわけじゃないけど/僕には誰かの助けが必要なんだ)」

だが心からの叫びだったその曲は、単なる格好いい新曲としてファンに受け取られてしまう。

ライブ会場であるホテルの屋上が、ビートルズのドキュメンタリー映画『レット・イット・ビー』で行われる屋上ライブとよく似ていることから一見ジャックが「ヘルプ!」を歌うのも、ストーリーに合わせて適当に曲を割り振った結果に思える。

でもビートルズのファンならば「ヘルプ!」の誕生秘話を知っているはず。作者のジョン・レノンが「ヘルプ!」を書いた動機は、過熱するファンに完全にプライバシーを奪われたストレスによるものだった。それなのに「ヘルプ!」はビートルズ主演の同名コメディ映画の主題歌に使われ(映画の出来は最高だけど)、ジョンの真意はファンに伝わらなかったのである。そこからジョンはどのように心の平静を取り戻していったのか? それはラブ&ピースを歌うことによってだった。

こうしたジョンの人生をまるでなぞるかのように物語はこれ以降、ジャックとエリーの恋の行方とジャックがファンを欺いていた罪にどう落とし前をつけるかに焦点が当てられていく。

そう、『イエスタデイ』を軽いコメディ映画のカテゴリーに留めながらも、ボイルとカーティスは同時になかなか深いレベルでビートルズ批評をおこなっているのだ。

『ヘルプ!』
ザ・ビートルズ
主演映画『ヘルプ! 4人はアイドル』の挿入曲を中心とした1965年作。ボブ・ディランに触発されてジョンが作った「悲しみはぶっとばせ」 や、バンド随一の有名曲なのにポール以外のメンバーは演奏していない「イエスタデイ」など、以前よりもメンバーの個性が鮮明になった充実作だ。

『イエスタデイ』
全国劇場で上映中

長谷川町蔵
文筆家。最新刊は小説『インナー・シティー・ブルース』(スペースシャワーブックス)。その他の著書に『文化系のためのヒップホップ入門』(w/大和田俊之)、『サ・ン・ト・ランド サウンドトラックで観る映画』、『あたしたちの未来はきっと』、『聴くシネマ×観るロック』など。