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日本には、生みの親と離れ、児童養護施設に暮らす2歳〜18歳の子どもたちが約2万5000人いる。また、里親家庭や乳児院などのその他の社会的養護下に置かれている子どもたちを含めると、その数は約4万5000人に上るとみられる。

目下製作中の映画『ぼくのこわれないコンパス』は、そんな児童養護施設で育った一人の青年トモヤ(20)の14歳〜20歳まで、合計6年間の成長を追ったドキュメンタリーだ。本作に出演することを決めたのはなぜか。トモヤに話を聞いた。(エッセイスト・紫原明子)

指揮を執るのは本作が初監督作品となるアメリカ人映像作家、マット・ミラー氏。二人の出会いは6年前、トモヤが施設を通じて参加したNPO主催のキャンプに、マットがスタッフとして参加したことだった。

通常、18歳以下の児童養護施設の子ども達は、親権をもつ親の同意書が必要となることもあり、こういったドキュメンタリーに出演することは難しい。しかし成人したトモヤは、児童養護施設の子ども達を代表し、被写体となることに同意した。

「知り合った人に、自分が児童養護施設で暮らしていると言うと、“どんな悪いことをしたの?”と聞かれることがあるんです。施設がどんなところか知られていないとずっと思っていました。でも、中にいる子どもたちが声をあげることはできません。誤解を解いて、実態を知られるようになるためにも、誰かが声を上げることが必要だと思い、出演を決めました」

●震災で祖母と家を失う

トモヤは2歳の頃から、福島県で漁師の祖父母と暮らしていた。しかし2011年3月に起きた東日本大震災で、祖母と住んでいた家を一度に失った。

震災から3週間が経った頃、数回しか会ったことのなかった母親がトモヤを迎えにやってきて、以来トモヤは、右も左も分からない東京の母親の家で、母親と、母親の新しい夫、その子ども2人と一緒に5人で暮らすこととなった。

ところがほどなくして、両親からのネグレクトと虐待が始まった。その異変に学校の教員が気づき、2012年9月から、トモヤは東京の児童養護施設で暮らすようになった。

「もともと東京は人が多くてあんまり好きになれなくて。新しい中学にも馴染めず、不登校ぎみでした。そんな中で児童養護施設は、ようやく見つけた、心から安心できる居場所でした。中には厳しい職員さんもいたけど、施設の人たちはみんな優しい、家族みたいな存在でした」

昨今、悲痛な虐待事件がメディアで多く取り沙汰される中で、どうしても児童相談所や一時保護所が救えなかった命ばかりがフォーカスされてしまう。しかしプライバシーの観点から表に出ないだけで、影ではトモヤのように、児童相談所のはたらきによって安心できる居場所を得られた子どもたちが数多く存在する。

「ただ、児童養護施設の職員さんが、気軽になんでも話せるような存在だったかというと、それは少し違います。職員さんはみんな、毎日子どもたちの世話や日報などの仕事に追われて、深夜3時、4時まで働いていました。

それでいて朝は、子どもたちを学校に送り出すために6時には起きています。すごく忙しいことも知っていたので、気軽に不安や悩みを打ち明けられる関係ではありませんでした」

●原因不明の体調不良「PTSD」と診断

そんな中、中学2年生のある時期から、トモヤは原因不明の体調不良に悩まされるようになった。

「熱もないのに繰り返し頭痛がしたり、夜に寝付けないことが増えました。そのことを学校の先生に話すと、精神科を受診するよう勧められて。それで初めて病院にかかりました。病院では、精神安定剤と、睡眠導入剤の2種類を処方されました。

薬を飲み始めると症状は落ち着いたけど、何が原因かは分かりませんでした。だけど高校2年生になったあるとき、急にひどい腹痛に襲われて、気絶してしまったんです。

救急車の中で、付き添ってくれていたスクールカウンセラーの先生が“この子はPTSDと診断されています”と救急隊の人に話しているのが聞こえました。そこで初めて、そうだったんだ、と。自分の不調の原因が分かったんです」

あとから分かったことによると、当時トモヤがPTSDと診断されていることを知っていたのはスクールカウンセラーのほかに、児童相談所のカウンセラーと担当だった児童相談所の職員のみ。児童相談所のカウンセラーとの面談は年に1度だけで、担当職員とは施設へ入所以降、一度も顔を合わせていない。

また、児童養護施設の職員はトモヤの症状について一切知らされておらず、施設で暮らす子ども同士も、やはりプライバシーへの配慮から、お互いがなぜ施設に来ることになったのかなど、詳しいことを話してはいけない決まりになっていた。

震災や祖母の死、親からの虐待など、心に受けた傷を誰かに打ち明ける機会はほとんど得られず、必然的に、それらが適切にケアされることもないまま、18歳を迎えたトモヤは昨年、児童養護施設を退所した。

日本の現在の制度では、児童養護施設で暮らす子どもは、18歳になった次の春には、多くの場合、自動的に衣食住すべての面で自立を余儀なくされ、支援を得るのが難しくなる。22歳まで「自立援助ホーム」などで仕事や学校に通いながら自立を目指す選択肢もあるが、支援が行き届いているとは言いがたい。

「施設を出た後になんとかまともに生活できるようになるまでは、本当に大変でした。困ったことを相談できる窓口の番号も教えてもらっていましたが、実際に困った事態に直面しても、こんなことを相談していいのかと迷ってしまって。結局今まで、一度も頼ったことはありません」

そんなトモヤの将来の夢は、保育士になることだという。現在は飲食店のアルバイトで、学校に通う資金を貯めている。

「子どもが好きなんです。今でも、暮らしていた施設によく顔を出して、年下の子達の相談に乗ったりしています」

●ドキュメンタリー映画「ぼくのこわれないコンパス」

日頃明るみに出ることのない児童養護施設での暮らしや、施設の子どもたちが直面するさまざまな問題を描くドキュメンタリー「ぼくのこわれないコンパス」は現在、クラウドファンディングで製作資金の寄付を募っている。

■ クラウドファンディングURL:https://www.kickstarter.com/projects/thethingswecarry/the-invincible-compass

【筆者】 紫原明子(エッセイスト) 1982年、福岡県生まれ。男女2人の子を持つシングルマザー。 個人ブログ「手の中で膨らむ」が話題となり執筆活動を本格化。BLOGOS、クロワッサンweb、AMなどにて寄稿、連載。その他「ウーマンエキサイト」にて「WEラブ赤ちゃん」プロジェクト発案など多彩な活動を行っている。著書に『家族無計画』(朝日出版社)、『りこんのこども』(マガジンハウス)がある。