新R25では、これまでさまざまな著名人の「お金の哲学」に切り込んできました。

が、今回ついに、新しいフェーズに突入してしまいました。

今回哲学をお伺いする“マネー賢者”は…



“漫画の神様”、手塚治虫さんです。

『鉄腕アトム』『ブラック・ジャック』『ジャングル大帝』…歴史に名を刻んだ作品は数知れず、60歳という若さで亡くなるまで約15万枚もの漫画原稿を描き続け、全約700タイトルの漫画と60タイトル以上のアニメーション作品を世に残しました。

そんな手塚治虫さんですが、さすがというかやっぱりというか、長者番付にも載った漫画家なんです。あれだけ名作を残しているのだから、お金も相当稼がれていたはず…。いったいどんなお金の哲学をもっていたのか、気になりませんか?

そこで今回、「手塚治虫のお金の価値観」を聞きたいと手塚プロダクションに連絡してみたところ…プラニングプロデューサー兼手塚プロダクションの取締役を務める、長女・手塚るみ子さんが快諾!

ということで、“漫画の神様”の「マネーの哲学」、お届けします。

〈聞き手=田中さやか〉


【手塚るみ子(てづか・るみこ)】プランニングプロデューサー。手塚プロダクション取締役。漫画家・手塚治虫の長女。父の死後、作品を世に広めるため、企画やタイアップのプロデュース活動を開始。著書に『定本オサムシに伝えて』、共著『ゲゲゲの娘レレレの娘らららの娘』などがある

麻雀部屋にホームバーまで!? 普通じゃなかった手塚家の暮らし

田中:
今日は取材を受けてくださってありがとうございます…!

よろしくお願いします!

るみ子さん:
よろしくお願いします。


ミステリアスな雰囲気に緊張感が漂う。いったいどんな話が聞けるのか…?

田中:
早速ですが、ずばり手塚治虫さんって、どれくらい稼がれていたんでしょうか…?

るみ子さん:
総資産額とかはわからないんですけど、昭和29年(当時26歳)の関西長者番付の画家部門では「年収217万円」でトップだったとありますね。

田中:
それは多いほうなんだろうか…(スマホを取り出す)

…当時の平均年収がだいたい20万円ぐらいっぽいので、217万はめちゃくちゃ稼いでますね。

るみ子さん:
まあたしかに、家は比較的豪華な環境だったかもしれません。

田中:
おお! どんな家だったんでしょうか?

るみ子さん:
私が生まれたころの家は同じ敷地内に虫プロダクション(1961年に手塚治虫が設立したアニメ制作会社)が建っていて、会社と自宅が隣り合っていたんですね。

当時は父が自宅で漫画を描いてましたので、書斎や、アシスタントの仕事部屋、また編集者さんの息抜き用の麻雀部屋があったり、原稿を待ってる間に飲むホームバーがあったり、毎朝総勢100名ほどの虫プロのスタッフが朝礼できる広い庭があったりしました。


のっけから次元が違う

田中:
まさに豪邸って感じですね!

ただ、編集者やスタッフと生活をともにするって、ご家族からするとどんな感じなんでしょうか?

私だったら、知らない人が家にいるのはちょっと嫌かも…

るみ子さん:
それが、毎日楽しかったんですよねぇ(笑)

虫プロの社員の方たちにはよく遊んでいただいたし、父のサインをもらいに遠くからきた子が平気で入ってきて、庭にあったブランコや砂場で一緒に遊んだりしてました。

生まれたときから家に知らない人がいるのが当たり前だったので、とくに違和感もなくその環境を満喫してましたね。



「金銭感覚はかなりザル」クオリティを求めて際限なくお金を使っていた

田中:
手塚治虫さんの「お金の使い方」ってどんな感じだったんでしょうか?

お金の価値観って、けっこう使い方に出る気がするんですけど。

るみ子さん:
いや、手塚治虫から「お金の使い方」を学ぼうとしたらダメですよ。

金銭感覚はかなり“ザル”だったので(笑)。


えっ

るみ子さん:
父は、漫画で稼いだお金を全部、一番の夢だった「アニメーション制作」に注ぎ込んでしまったんです。

もともと、「お金」や「時間」を度外視してクオリティを追及してしまう、マネジメントがまったくできないタイプの人でした。

田中:
漫画の天才にそんな弱点が…!

でも、手塚治虫さんは当時、虫プロの経営者でもあったわけですよね。お金や時間のマネジメントは必須の能力だったんじゃないんですか?

るみ子さん:
だから、全然経営に向いてなかったんです。


こちらが不安になるくらい手塚治虫をバッサリ斬り捨てるるみ子さん。さすが長女です

るみ子さん:
本来経営者とかプロデューサーって、締切や予算のなかで作品を作るのが役割じゃないですか。

手塚の場合は、締切を破るなんて当たり前でしたからね(笑)。


うそん

るみ子さん:
締め切りに間に合わせるために描いたりもしますから、単行本にするときに「気に入らない」と言って連載時と違う内容に描きかえてしまうこともざらでした。

セリフに流行語が出てくる作品は「古くなる」と言って時代ごとにセリフを変えてましたし。

「今の自分にできる最高の作品を作ること」しか考えてなかったんでしょうね…

田中:
そんなことまで…読者の人も「あれ、内容違うんだけど」ってなっちゃいますね。

(でもその違いがオタク心を絶妙にくすぐるんだろうなあ…)

るみ子さん:
そんな人だから、お金のせいでクオリティを妥協することが我慢できず、会社の予算に自分のポケットマネーを上乗せすることもあったようで

田中:
嫌な予感

るみ子さん:
アニメーション制作なんて膨大なお金がかかりますから…赤字がふくらんだ虫プロは父が経営から退いた1972年に倒産。

なんとかしようとした父は土地を担保に入れたりして、結果、何億円という返済しようのない負債を抱えてしまいました

虫プロ倒産後はまわりの人たちに助けられて、なんとか我が家は一文無しにはならずにすみましたけど…



るみ子さん:
倒産したとき、母が父に「もうアニメには二度と手を出さないでください。あなたは漫画一本にしてください」と約束させたんです。

田中:
ごもっともだと思います。

るみ子さん:
父もさすがにこたえたみたいでしばらくはおとなしく漫画を描いていたんですけど、その後『ブラック・ジャック』や『三つ目がとおる』でヒットを飛ばして、またお金に余裕が出てきて

で、1978年に日本テレビの24時間テレビで「2時間特番のアニメーションを作ってください」と声がかかったら、やっぱり手を出してしまったんですね。

田中:
そのときもやっぱり…?

るみ子さん:
もちろん決められた予算があるのですが、またもや締め切りも予算も考えずにやってしまう。放送の数時間前まで作りなおしてたって話もきいてますし…

結局生涯、“作品のために”と思った瞬間、金銭感覚がなくなってしまうという性質は変わりませんでした。

その性質は、じつは仕事以外の場面でも表れるタイミングがありまして…


治虫よ、これ以上何に使うというのだ

「子どもたちは、一番いいところに、一番いい方法で連れていく」

田中:
他にはどんなことで金銭感覚がなくなってしまったんですか?

まさか、お酒とか…?

るみ子さん:
いや、「家族サービス」ですね。


急にほっこりしたエピソードが

るみ子さん:
手塚は1分1秒を争うほど忙しいなかでも、誕生日やクリスマスに外食に出かけたり、夏休みに家族旅行に連れていってくれたりと、一生懸命家族との時間を作ろうとする父親だったんです。


とはいえ仕事が終わらず編集者とともに仕事を持ってあらわれたという手塚治虫さん。るみ子さんは父の日に「嘘をつかないでください」と手紙を渡したそうです

田中:
へええ! お金を使っちゃう話を聞いて、てっきり「仕事一筋の亭主関白な方」かと…

るみ子さん:
いや、亭主関白とは真逆ですね。生まれ育ったところが宝塚というわりと文化的な、女性も活躍している土地でしたし…

何より戦争を体験しているので、「権力をふりかざして下の者を従わせる」「暴力的に人の上に立つ」ことをとても嫌っていました

田中:
手塚漫画のテーマに通じるような。

るみ子さん:
ただ、やっぱりお金の使い方はズレていて…「子どもたちを、一番いいところに、一番いい方法で連れていく」ことを前提に旅行の計画を立てるんです。

だから、毎度やたら高い一流旅館に泊まったり、10人ほどの家族なのに観光バスを1台チャーターしたりするんですよ。

田中:
バスをチャーターって…

他にも何か買ってもらったりしたんですか?

るみ子さん:
私は中学生のときに、吹奏楽部に所属してクラリネットを始めたんですけど、だんだんプロ仕様のものが欲しくなってしまって…

20万円(当時)のクラリネットを買ってもらいました。


お、治虫〜! 

るみ子さん:
あとは、映画に関心があった中学生の兄を、仕事ついでにアメリカのハリウッドに連れて行ったりとかもしてたみたいです。

「インプットこそが人生を豊かにする」手塚治虫がお金を使うワケ

田中:
なんかもう次元が違いすぎて笑っちゃうな…

そこまでしてわざわざ「最高のもの」を選ぶのって、やっぱりお金がある人の感覚なんですかね?

るみ子さん:
いや、父はとにかく「子どもたちには最高の体験を与えてあげたい」という思いがあったんです。

彼は常に、「インプットこそが人生を豊かにする」という哲学をもっていたので。



るみ子さん:
よく、後輩の漫画家たちに「漫画を描きたいのなら、漫画だけを勉強していても仕方がない。一流の映画を見て、一流の小説を読んで、一流のものを食べなさい」と話していて。

「インプットはやがて自分の肥やしになり、アイデアややりたいことになってあらわれる。だから、経験を得るためにお金を惜しむな」という考え方の人なんです。



田中:
なるほど、じゃあちょっと常識外れな「一流づくしの家族サービス」も、るみ子さんへの高価なプレゼントも…

るみ子さん:
親としてできる限りのインプットを提供してあげたい一心だったと思うんですよね。

田中:
「インプットにお金を使え」か…

計700作近くの作品をアウトプットしてる手塚治虫さんが言うと、すさまじい説得力がありますね。

るみ子さん:
私、手塚漫画の魅力ってまさにその「多作さ」にあると思っているんです。



るみ子さん:
AIロボット、医者、動物…さまざまな主人公を通して、誰もが「そうだよね」と思える普遍的なテーマで描いてきたからこそ、どんな時代の人間が読んでも、誰もが「自分の作品だ」と思える作品を見つけられるはず。

そして、父がそうやってバラエティに富んだ作品を生み出せたのは、日常生活のなかで意識的に膨大なインプットをしていたからだと思うんですよね。

田中:
手塚治虫さんが際限なくお金を使っていた理由、なんだか腑に落ちてきた気がします。

るみ子さん:
父も、漫画家としてベテランになってからも、常にほかの漫画家からインプットしてました。

「自分は絵がヘタだ」というコンプレックスが根深くあったみたいで

田中:
ええ…! 神様なのに…!

るみ子さん:
でも、実はデッサンも習ったことがないんですよ。独学だから、線が子どもっぽいことや、女性が色っぽく描けないことにずっと悩んでいて

小島功先生や、永井豪先生の漫画の切り抜きを使って、練習してたこともあるんですよ。


※小島功…戦後早くから活躍した漫画家、イラストレーター。漫画『ヒゲとボイン』や日本酒メーカー・黄桜のイラストで有名
※永井豪…代表作に『ハレンチ学園』『キューティーハニー』『デビルマン』など


大巨匠の知られざるインプット…

いろんな情報にアクセスしやすい時代だからこそ…

田中:
では、R25世代の若者も積極的にお金を使っていった方がいいのでしょうか?

るみ子さん:
今の若い世代の方たちは、スマホでありとあらゆる情報にアクセスできるから、実際に体験せずとも満足できてしまう機会もあると思うんです。

でも、父のように「感動するためにお金を使いつづける」ことは、人生を豊かにする一つの選択肢なんじゃないかなあと思います。お金を出さないと得られないもの、たくさんあると思うので。

ただ、くれぐれも節度をもって!



生涯インプットをしつづけたおかげで、誰もが共感し、時代に左右されずに愛される作品を生んだ手塚治虫さん。

「父にお金のことを聞いたらダメ(笑)」とおっしゃる娘・るみ子さんでしたが、お話を聞いていると、愛情深い“よきパパ”の一面がよく見えてきました。

ちなみに取材の最後に、20代におすすめの手塚作品を伺ったところ、『鉄腕アトム』を選んでくださいました。

近い将来、AIと人間が共存する世界が生まれるかもしれませんよね。

テクノロジーと人間の世界は一体どんなものなのか。アトムを読めば一足先に体験できるかもしれませんよ…!

(そう思うと、これを1950年代に描いたことってやっぱりすごいよなあ)

〈取材・文=田中さやか(@natvco)/編集=サノトモキ(@mlby_sns)/撮影=中澤真央(@_maonakazawa_)〉

手塚ワールドに触れたくなったら…

アトム堂本舗 TEZUKA OSAMU SHOP&CAFE
https://atom-do-honpo.jp/

7月5日、東京・浅草に「アトム堂本舗 TEZUKA OSAMU SHOP&CAFE」がオープン!

陶磁器や染織品、木工品など日本の伝統工芸品をはじめ、ステーショナリーやアパレル、雑貨、そして店舗オリジナル商品などを販売。

カフェでは、キャラクターを使用したドリンクやスイーツなどが満喫できます!

宝塚市立手塚治虫記念館
http://www.city.takarazuka.hyogo.jp/tezuka/

手塚治虫が5歳から24歳までの約20年を過ごした宝塚には、「宝塚市立手塚治虫記念館」が!

手塚マンガを再現した館内で、マンガやアニメ、アニメ制作体験などが楽しめます。

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