スーパーに並ぶ生鮮品の多くはEU諸国からの輸入品。イギリス内で作れないモノも多い(筆者撮影)

イギリスが欧州連合(EU)から離脱する3月29日まで、あと2カ月を切った。これまでイギリスはEU諸国との「ヒト、モノの自由な行き来」が約束されてきたが、議会で離脱案が承認されなかったことで、「合意なき離脱」への道を歩む公算が強まる中、一般市民の生活に悪影響を及ぼす懸念がいよいよ現実として浮かび上がって来ている。

なかでも「合意なき離脱(いわゆる、ハードブレグジット)」によりイギリスが受ける最も大きなダメージのひとつは、EUからの食材調達が自由にできなくなることがある。現時点で英・EU間の貿易に関する具体的な条件交渉が整っていないため、野菜や果物などの生鮮品をEUから輸入するには面倒な通関手続きが新たに必要となる公算だ。コスト増大はもとより、鮮度を保ったまま商品を店頭に並べられるかどうかも疑問で、これまで普通に食べられていた食材が突然食卓から姿を消す可能性さえ取り沙汰されている。

トマトや葉物野菜がスーパーの棚から消滅?

ざっくりとした数字だが、イギリスで消費されている野菜のうち、実に85%がEU諸国からの輸入品で賄われている。イギリスはEUの中でも北に位置し、自前で野菜類を作るにもじゃがいもやにんじんといった根菜類くらいしかできない。

「EUのどこかの国から安く買えるから」と、ビニールハウスを設置して自給しようと考える動きはこれまでほとんど起こらなかった。実際にレタスやトマト、きゅうりといったサラダに欠かせない生野菜の調達先はほぼ他国に依存している。このため、EUから輸入されている食品のうち3分の1以上(品目ベース)は関税が掛けられる見込みだ。

そんな背景もあり、イギリスの大手スーパーやファストフード業界は10社共同で、政府に対してブレグジット後の通関の簡素化を訴える事態となっている。業界のトップらは「合意なき離脱で、食料不足や物価上昇が起き、スーパーの棚から商品が減ることになる」と具体的にリスクがあることを訴えている。

ロンドンへ旅行する日本人の多くは「イギリスの食事はまずいかも……」と心配するようだが、過去数年、EUから自由な食材の輸入ができているおかげでロンドンの食事はずいぶんと改善し、「思ったよりまずくないですね」という感想を多く聞くようになった。しかし、EU離脱後は、レストランが無理に食材費の節約を図ったり、調達が難しくなる食材が増えたりといった事態が予想され、ブレグジットを機にイギリスがかつてのような「ご飯がまずい国」に逆戻りする可能性もある。

それでも旅行者は、食事がまずくとも「それも含めてブレグジット後のイギリス旅行の経験」ということになるだろうが、現地で暮らしている人々にとって食材不足は文字どおり死活問題となる。

かつて日本でも1970年代にはオイルショックのあおりで急激なインフレとモノ不足が生じ、国民があらゆる物資を求めて苦労した時代があった。今のところ、イギリスであのような混乱は起きていないが、「食材がなくなる懸念」が浮上する中、市民の間で保存ができる食品を買い集める動きが徐々にだが広がっている。主食系のコメやパスタをはじめ、缶詰などの保存できる食品を多めに買ってストックしている人々の声を伝える報道を多く目にするようになってきた。

中央銀行のイングランド銀行は、もしも「ハードブレグジット」が起きた場合の最悪シナリオとして、インフレ率は6.5%まで加速するほか、国内総生産(GDP)については「前年比で8%下落し、4%程度のマイナス成長」にまで落ち込むとの見方を示している。つまり、人々は物不足で狂乱するだけでなく、急速な不況が広がり、かなり困窮度が深まる暮らしになる。

「サバイバル・ボックス」の中身は?

さまざまな懸念が広がる中、「EU離脱後の暮らしで食料確保に困らないように」と、「ブレグジット・サバイバル・ボックス」なる保存食品を集めてパッケージにして売る便乗商法に注目が集まっている。

イングランド北部リーズに拠点を構えるエマージェンシー・フード・ストレージ社は、フリーズドライ食品や缶詰、さらには汚れた水でも飲める特殊なフィルターに、そして着火剤をバンドルした箱詰め緊急食糧セットを295ポンド(約4万円)で販売。主菜(メイン)となる食事のパックが60個、肉製品のパックも48個含まれており、分量的にはこの箱の中身だけで1カ月は生き延びられるという。


緊急食料セットの中身。これで1カ月は食いつなげるという(エマージェンシー・フード・ストレージ社提供)

この手の非常食系の商品はたいていは「まずい」と相場が決まっているが、もしものときに備えて、筆者もサンプルを取り寄せこの機会に食べてみることにした。

フリーズドライ商品にはさまざまなメニューがあり、イギリスの伝統的な料理「ビーフ&ポテトシチュー」をはじめ、スパゲティやパスタ、そしてインド風カレーに中華風チャーハンと、一見するとなかなかの品揃えを誇っている。これなら1カ月くらいはなんとか暮らせそうだ。

サンプル取り寄せにあたり、最も日本人の口に合いそうなチャーハンを入手しようとしたが、すでに在庫は枯渇状況でカレーも含めて品切れ。やむなく、イギリス人がお昼によく食べる「マカロニチーズ」を買ってみることにした。

特殊な保存食のため、価格6ポンド(約810円、送料別)超と高価。これなら周辺のファストフード店で何か買って食べたほうが明らかに安い。そうはいっても、もしものときのためのトライアルと考えれば食べないわけにはいかない。

袋にお湯を所定の高さまで入れ、中身をかき回し、フタをして待つこと約10分。本来は登山者用の食事なので、そのままスプーンで袋から食べるのが正しいらしいが、投資に見合った気分で食べたいと考え、一応お皿にあけて食べてみた。

缶詰は25年、フリーズドライは7年ももつ

「これなら、下手なシェフが作る茹ですぎパスタよりもずいぶんおいしい。チーズも結構高級なものを使っていそうだ」(一緒に試食した筆者の妻=日本人)


「ブレグジット後の緊急食料」はお湯をかけて10分間で完成だが、コストが高いのが難点だ(筆者撮影)

つまり、意外なことにそこそこ「食べられる味」であることがわかった。これならなんとか想定外の非常事態が起きても生き延びられるかもしれない。

ただ、缶詰で25年、フリーズドライで7年間もある賞味期限の長さが気になる。緊急食糧セットを買い求めている客層の多くは比較的年齢が高めらしく、60〜70代以上の購入者のところへは「おそらく、自身の寿命よりも長い期間食べられる保存食」が宅配便で送られてくることになる。


ブレグジット後の緊急食料セットを販売するジェームス・ブレイク氏(エマージェンシー・フード・ストレージ社提供)

エマージェンシー社のジェームス・ブレイク社長は「キットは発売から1カ月で600セットも売れた」と鼻息も荒い。ただ、保存食の賞味期限が長かろうが、いくら味がおいしかろうが、新鮮な野菜や果物の安価な入手が難しくなるハードブレグジットが引き起こすハンディは解決できない。

世界貿易機関(WTO)の協定税率を基準とした輸入果物への関税は、バナナが17%、オレンジやレモンなどのかんきつ系は14%、トマトは15%に達するという。輸送費の増大に関税負担、さらに「最大25%下がる」とさえ言われる通貨ポンドの下落なども重なり、小さからぬの価格上昇が見込まれ、貧困層にはかなりの打撃になるとみられている。

こうした中、医療関係者は「ブレグジットに起因する生鮮品摂取不足で、貧困層を中心に心臓発作や呼吸困難などで早死にする人が増える」ほか、「向こう10年間に1万2000人以上が命を落とす」という考えを示す。さらに、短期間に物価が急上昇することで起こる社会不安で略奪や窃盗事件の増加の可能性も指摘されている。

この記事を取りまとめていた最中に、気になる話題が複数のロンドン在住日本人の知人から寄せられた。「ジャポニカ種(短粒種)のコメがあちこちで売り切れ」だというのだ。

日本とのEPA発効後、イギリスはすぐに離脱

実際、ロンドンの異なる地域にあるアジア系食材店を訪ねてみたところ、かなり高価な日本からの直輸入ブランド米がわずかに残る程度と、明らかな品薄状態にある。ロンドン最大規模のアジア食材卸問屋へEU産短粒種コメの在庫状況をたずねると、「全量が売り切れ。次の入荷時期さえも不明」という心細い返事が返ってきた。

中国系の人々がイギリスの行く末を案じてコメの買い占めに走ったのか、それともたまたま今年は2月5日に迎えた春節(旧正月)元日前のショッピングのついでに買い込んだのか定かではないが、イギリスで「コメの爆買い&転売」を目指す人々がいたらなんとも苦々しい。

あと2カ月以内にやってくる「行く先の見えぬブレグジット」。「合意なき離脱」がもたらす暗雲はことのほか分厚いように感じる。

つい先頃、日本とEUの間でEPAが発効した。日本における欧州産ワインやチーズの値下がりだけでなく、日本製品のEU向け輸出の拡大も期待されている。しかし、EU側の貿易相手国として、大きな役割を占めるはずのイギリスが発効後わずかの期間で脱退する格好となる。

国際通貨基金(IMF)は今年の世界経済成長予測で「経済成長へのリスクは下振れ方向に傾斜」とする主要要因のひとつとして「合意なきブレグジット」を挙げている。はたして、回避不可能となってきたイギリスの混乱は日本にとって「対岸の火事」なのだろうか。しばらくはその動向に眼を光らすべきだろう。