今年でデビュー40周年を迎えるサザン。来年はツアーも開催する

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「“あっこちゃん”が7月17日に亡くなりました。桑田佳祐さんの従兄弟のMさんのことです。茅ヶ崎で経営していた『あっこちゃんち』という焼き肉店は、サザンオールスターズのファンにとって聖地のような存在になっていたんです」(芸能プロ関係者)

【写真】焼肉店『あっこちゃんち』の外観、葬儀が行われた『茅ヶ崎市斎場』、

 12年前にオープンし、周年祝いには桑田本人から花束が届くことから従兄弟の店であることが知られるようになり、多くのサザンファンが訪れた。7月23日に行われたMさんの葬儀には、実に500人以上の人が参列したという。

「お葬式には中に入り切れない人がたくさんいて、会場の外にも長い列ができていましたよ。桑田さんと原由子さん夫妻は親族席にいらっしゃいました。

 おふたりは信じられないといった感じで悲痛な面持ちでしたが、私たちに向かって深々と頭を下げてくれたんです。私たちがあっこちゃんにお世話になっていて感謝しかないのに、そんなことをしていただけるなんて……」(参列した女性)

 突然の訃報だったが、予兆はあったという。

「以前は火曜定休だったのが、このところ月曜から水曜まで休んでいたからね。奥さんが彼の看病をしていたんでしょう。まだ若いのに残念だよ」(常連客)

 地元の人に親しまれていた店で、悲しみの声が広がっている。

「誰に対しても分け隔てなく、丁寧な言葉遣いで接してくださいました。笑顔の素敵なママさんと二人三脚で、お店はいつもにぎわっていましたね。お店は奥さんと息子さんで続けていかれるそうなので、これからもまた彼を偲んでたくさんのファンがお店に通うと思いますよ」(同・常連客)

 店の隣の駐車場では、サザンのコピーバンドのライブをよくやっていたという。

「ファンの集まりがあるときは夜までガヤガヤしていることもあったけど、午後10時には店が閉まるから近所迷惑ではなかったね。Mさんが話していると、桑田さんと間違えてしまうくらい声がそっくりでした。一族の血なんだなと思いましたよ(笑)」(近所の70代女性)

 Mさんは弁護士の父を持ち、3人きょうだいの次男だった。

「兄貴は警察官で、本人は弁護士になりたかったようだね。結局、夢はかなわずデパートに勤めていたよ。焼き肉店を始めたのは60歳を過ぎてから。大学時代はアメフトをやっていたね。

 空手も強かったから、地元の道場で子どもたちに教えていたんだよ。だから強い男の優しさがあったね。温厚で親しみやすいキャラだったから、客にも愛されていた。焼き肉店の仕事は毎日楽しそうだったよ」(Mさんの同級生)

 年は10歳離れていたが、Mさんと桑田は仲がよかった。

「Mさんは、桑田さんのお母さんの姉の子ども。家は自転車で行ける距離だったので、子どものころからよく遊んであげていたみたいです。桑田さんにとっては“いとしの兄”という存在だったようですね」(Mさんの知人)

 Mさんと長らく親交のあったミュージシャン・井手隊長は、幼少期にはこんな思い出もあったと語る。

桑田さんにとってMさんは特別な存在

「桑田さんが小さいころ、実家の風呂のボイラーが壊れることがよくあって、Mさんの家で風呂に入れてもらっていたことがありました。

 彼が桑田さんの頭を洗ってあげたそうなのですが、めんどくさいからとシャンプーは使わず石けんを頭にこすりつけながら、身体と同じようにゴシゴシ洗っていたんだとか」 

 幼いころの桑田は少々やんんちゃだったようで、“兄”を困らせることもあった。

「2人で茅ヶ崎海水浴場に遊びに行ったとき、浜辺でひとりで遊んでいた桑田さんが、ちょっと目を離した隙に行方不明になってしまったそうです。まだ中学生だったMさんは彼がいなくなったことに慌てて、血の気が引いたそうです。幸い、すぐに見つかったみたいですけどね」(井出隊長)

 生前、多くの人に“あっこちゃん”の愛称で親しまれていたMさん。実は、そのニックネームの名付け親は桑田だったという。

「2人がまだ子どものころに、『ひみつのアッコちゃん』 (テレビ朝日系)というテレビアニメが流行(はや)っていたのですが、Mさんがその中に出てくるキャラクターと似ていたので、“あっこちゃん”と名付けたそうなんですよ。

 先日も、高校野球の神奈川県大会で母校の鎌倉学園が決勝に進んだ際には、自らのヒット曲をからめたお祝いメッセージを送りました。デビューして40年を迎えた今でも“遊び心”を忘れない桑田さんですが、幼少期からその片鱗(へんりん)を見せていたんですね」(前出・Mさんの知人)

 サザンオールスターズは今年の6月25日でデビュー40周年を迎えた。'78年6月25日にシングル『勝手にシンドバッド』を発売して以来、日本の音楽界をリードし続けてきたバンドである。

「'79年にリリースした『いとしのエリー』で人気ロックバンドとしての地位を確立します。'00年の『TSUNAMI』が自己最高セールスを記録し、第42回日本レコード大賞を受賞。

 今年の6月25日と26日には、NHKホールでキックオフライブ2018『ちょっとエッチなラララのおじさん』を開催しました。8月1日には、数々の名曲と新曲3曲が収録されたアルバム『海のOh'Yeah!!』をリリースします。さらに、来年春には全国ドーム・アリーナツアーを行うことが決定していますよ」(レコード会社関係者)

 長いバンドの歴史の中には、活動休止の期間もある。

「'08年8月に史上初の日産スタジアム4DAYS“『真夏の大感謝祭』30周年記念LIVE”を開催してサザンは無期限活動休止期間に入りました。その後、桑田さんの食道がんが発覚しますが見事に復活。デビュー35周年の'13年に5年間の沈黙を破り、シングルリリースと野外スタジアムツアーを敢行しましたよ」(音楽誌ライター)

 サザンのリーダーとして多忙な日々を送りながらも、たびたび茅ヶ崎を訪れてはMさんのもとに顔を出していた。そんな彼の体調に異変が訪れたのが昨年のこと。せきこんでいる姿を見た桑田は心配して、今年の3月に都内の病院に連れていった。

「8年前に食道がんと診断された桑田さんが通った病院です。彼は転移もなく復帰できたので、“兄貴”にも紹介したんでしょう。でも、Mさんの肺腺がんは手の施しようがないくらい進んでいました。

 桑田さんは何度も見舞いに来ていたみたいです。サザンオールスターズの40周年で忙しかったはずですが、苦しむMさんのことを思うといてもたってもいられなかったんでしょうね」(前出・芸能プロ関係者)

茅ヶ崎に戻った桑田

 自分ががんを克服しただけに、桑田はMさんの回復を信じていた。しかし、肺腺がんが彼の命を奪ってしまう。

「亡くなった知らせを聞くと、桑田さんはその日の夜のうちに茅ヶ崎のMさんの家に駆けつけたそうです。

 そして、『あっこちゃんち』の従業員女性と、これからお店をどうするかについてずっと話していたとか。桑田さんにとって、それほど、彼とこの店には思い入れがあったんですね」(前出・常連客)

 それもそのはず。『あっこちゃんち』は、今でこそ多くの客が訪れにぎわっているが、開店したばかりのころは苦労していたという。そんなとき、手を差しのべたのが桑田だったのだ。

「店をオープンした当初、幹線道路沿いにぽつんとある焼き肉店にはなかなか人が集まらなかったそうです。それを心配した桑田さんが“俺の名前を使っていいよ”と言ってくれたそうです。

 でも、あっこちゃんは彼の名前を使うことを躊躇(ちゅうちょ)していました。そんなときに、たまたま通りかかったファンが桑田さんから贈られた花に気づき、口コミでファンの間に広がったんですよ」(同・常連客)

 今も店は休業が続いている。現在の状況を聞くため、Mさんの妻に話を聞いた。最初は驚いた様子だったが、取材の趣旨を話すと表情が和らいだ。

ーーサザンのファンから愛されたご主人でしたが、最近はお店の休みが増え、心配の声もあがっていましたね。

「はい。もともと毎週火曜が定休日だったのですが、3月からは月曜から水曜まで定休にさせていただきました」

ーーご主人の看病のため休みを増やしたのですか?

「はい、そうです」

 やはり闘病を支えていたのだ。桑田についても質問したが答えてはもらえなかった。

「彼らの歌は少年時代から青春時代を過ごした茅ヶ崎の海が背景になっています。個人的な出来事がもとになっているからこそ、誰もが共感できるのではないでしょうか」(前出・音楽誌ライター)

 桑田の記憶に残ったMさんとの多くの思い出は、美しい曲となってファンのもとへ届くことだろう。