流産、死産を経験した不妊カウンセラー「もう終わって」と願った日々を乗り越えて
自身も不妊治療、流産、死産を経験し、当事者として患者に寄り添う不妊カウンセラーとして活躍する池田麻里奈さん(43)。不妊治療における苦悩の日々を振り返ってもらうとともに、同じ悩みをもつ方々へのアドバイスも伺った。
周囲からのプレッシャーに追い詰められていく
「命にまつわることは、どんなに努力をしてもかなわないことがある。努力をして成果が出るというものでもない。でも不妊治療は、誰もが努力すれば……って思ってしまいがち」
不妊カウンセラーの池田麻里奈さんは、大学生や医療者向けのセミナーで、自身の体験を通して当事者の気持ちを語っている。
「私は30代で苦しみましたが、少子化になっている現代の若者たちもまた、親だけでなく国から“早く産め”とプレッシャーをかけられている。だからこそ、どんな生き方でもいいんだよ、と伝えています」
池田さんが不妊治療を始めたのは結婚2年目の30歳のとき。ところが一向に子どもができる気配がない。
周りはどんどん妊娠し、出産ラッシュに。焦りや不安にさいなまれ、子どもができないことで心理的にジリジリと追い詰められていく……。
「そのモヤモヤした気持ちの正体が知りたくて、当事者を対象とする不妊ピアカウンセラー養成講座に通いました」
自分を見つめることは苦しくもあったけれど、学ぶ内容のすべてが自分にかかわること。何がつらいのかもわからなかったのに、ひもといていく感じが興味深く、気持ちが軽くなっていったという。
治療のつらさはいろいろだが、池田さんの場合、キャリアの中断が大きかった。
「30代〜40代って、いちばん仕事が波に乗ってる時期。なのに、治療でしょっちゅう会社を抜けなくてはならないし、体外受精の日は直前にならないとわからない。責任ある仕事は引き受けられないですよね」
不妊は夫婦で立ち向かうべき問題だが、治療を受けるのはたいてい妻だけ。プロジェクトを成功させるなど、社会で活躍する夫を尻目に、クビにならない程度にしか働けない自分にストレスを感じていた。
「いま考えると、会社に事情を話せばよかったと思いますが、当時は治療しているのを知られるのも、気を遣われるのもイヤでした」
仕事を辞めることを決意し、周囲にカミングアウトしてみると「出産にはリミットがあるからね」と、上司は理解を示してくれた。同世代の友達には偏見がなく、みんなやさしく受け入れてくれたのだ。
流産、死産を繰り返し──
いよいよ不妊治療に集中することができたが、どうにもならない現実に真正面から直面することにもなった。人工授精や体外受精などの不妊治療に疲れ、もうやめようかと思うと妊娠。希望が生まれたところで、また流産して、の繰り返し。
「朝起きたら、子どものいない1日がまたやってくる。ただ積み重なっていくだけ。毎日がイヤ。朝がイヤ、夜なら寝てしまえるのに。もう終わって……。振り返ると、うつです。当時は助けを求めなかった」
そんな行き場のない思いを夫に打ち明けても、「そんな悲しいこと言うなよ」「次は大丈夫」と励まされるだけ。
36歳で、ようやく授かった赤ちゃんを死産で失うというつらい体験までした。
「夫には仕事というやりがい、人生の意味がある。それなのにキャリアは中断、子どもも産めない女性はどうしたらいい? 何かやりがいを見つけようにも、子どものかわりになるものなんてない」
追い詰められた池田さんを救ったのは、同じ経験をした仲間の存在だった。
不妊治療中に、流産や死産を体験する人たちはとても多い。同じように死産体験を持つ先輩カウンセラーから、すぐにグリーフケア(遺族ケア)を受けた。1年ほど家に閉じこもり、その後、徐々に悲しみから立ち直っていった。
「不妊に悩む女性たちは、子どもができないことで、“自分が悪い”“自分には価値がない”と考えがち。誰にも言えず、相談できないまま、つらさをひとりで抱え込んでしまう。
そして、不妊治療は“やめどき”が見つからない。時間やお金をかけるほど、子どものいない人生を考えられなくなってしまいます。努力してもどうにもならないことを追い求めても、自分を苦しめるだけ。頑張った自分を認めるしかないのです」
「ピア」とは仲間という意味だが、同じ体験をしているからこそ共感できることも多い。池田さんは、不妊の「ピアカウンセラー」として、これからも多くの当事者に寄り添っていくことだろう。
〈PROFILE〉
池田 麻里奈さん◎不妊カウンセラー、家族相談士。妊活当事者によるピアカウンセリングの相談室「コウノトリこころの相談室」主宰。http://kounotori.me/