愛知県小牧市の丘陵地帯に広がるJR東海の小牧研究施設(写真:JR東海)

名古屋の中心部から高速道路でおよそ50分、大型バスで緑豊かな丘陵地帯を分け入った先に、その研究施設はあった。東京ドーム16個分に相当する73ヘクタールの広々とした敷地に研究棟や実験棟が点在する。一見するとどんな研究をしている企業かわからず、ちょっと謎めいた雰囲気が漂う。「テレビアニメのマジンガーZに出てくる光子力研究所みたいだ」と、バスに同乗していた記者のひとりがつぶやいた。


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愛知県の尾張北部から西三河にかけて、数多くの大学や研究機関が集積する「あいち学術研究開発ゾーン」。その一角にJR東海(東海旅客鉄道)の技術開発部がある。社員の間では、施設の所在地である愛知県小牧市に由来する「小牧研究施設」と呼ばれている。この施設内で行われている技術開発の一端が4月20日、報道各社に公開された。

実走行のデータをふんだんに活用

この研究施設が開設されたのは2002年。約120人のスタッフが新幹線を中心に在来線も含めた鉄道の技術開発に取り組む。車両だけでなく、橋梁や架線など構造物の技術開発も行う。新幹線のスピードアップや安全性の向上に橋梁などの構造物が大きく貢献していることは言うまでもない。つまり、東海道新幹線の代名詞である「安全・安定・大量輸送」の礎はここから生まれると言ってよい。

東海道新幹線の線路の上を走る営業車両以外の列車としては、線路や架線の状態を検測する「ドクターイエロー(正式名称:923形新幹線電気軌道総合試験車)」が有名だが、それ以外に「X0編成」という列車もある。

「N700系」でいちばん最初に造られた量産先行試作車で、外見上はN700系とまったく同じ。普通の人にはまったく見分けがつかない。しかし、X0編成は乗客の代わりにさまざまな設備を搭載し、走行しながら数多くのデータを取得している。2009年には営業運転が終了した夜間に、諸外国の鉄道関係者を乗せ時速332kmでの試験運転を実施している。

X0編成が得たデータはコンピュータで解析し、施設内にある試験装置で実証実験を行う。そして得られたデータを元に再びX0編成で実車実験を行う。東海道新幹線の研究開発はこのサイクルの繰り返しだ。そして実用化にゴーサインが出てようやく、新型車両に新技術が搭載される。


3月10日、報道公開されたJR東海の新型新幹線車両「N700S」(撮影:尾形文繁)

N700系の先頭形状、「N700A」の台車振動検知ブレーキなど、新幹線を支える最新技術はここから生まれた。また、東海道新幹線では現在、新型車両「N700S」 が2020年度の営業運転開始に向け試験走行を重ねているが、その軽量台車、新型パンタグラフなども研究成果の賜物だ。

地震対策として現在設置を急ぐ脱線防止ガード、橋脚などの土木構造物の長寿命化を目指す大規模改修工法の開発、昨年12月に起きた台車亀裂のようなトラブルを事前に察知する台車温度検査装置といったインフラ開発にも貢献している。

「この研究施設での成果は、N700Sのブラッシュアップに使えるものもあれば、さらにその先を見越しているものもある」と、小牧研究施設のスタッフは話す。つまり、N700Sが量産化される際に搭載される技術があるかもしれないし、N700Sの次に出てくるような未来の車両の開発に必要な研究も行っているというわけだ。なお、新幹線の進化というとつい速度向上を連想しがちだが、「単なるスピードアップよりも、むしろスピードは同じままでいかに安定性を高めるととともに低コスト化を実現するかを重視している」(同スタッフ)という。

車両の走行状態を再現する

小牧研究施設内にある大型試験装置の代表的なものの1つが、「車両走行試験装置」だ。試験装置の上に実際の車両を置き、レールに相当する軌条輪を回転させると、最大で時速350km程度相当の車輪の回転が得られる。


JR東海・小牧研究施設の車両走行試験装置。実際の車両の振動を再現することができる(写真:JR東海)

さらにX0編成が得たデータを元に線路の上下、左右、レールの凸凹やトンネル内の空気力の変化を加振装置で模擬することで、実際の車両の走行状態を再現し、車両のさまざまな部品の耐久性の研究を行うことができるのだ。逆に言うと、車両の不具合に至る前兆もこの設備を通じてとらえることができるというわけだ。


車両運動総合シミュレータは、車体のあらゆる振動を忠実に再現することができ、乗り心地改善に役立てられている(記者撮影)

「車両運動総合シミュレータ」は車内の快適性を研究するための実験装置だ。N700系を模した客室を支える6本の油圧アクチュエータが、前後、左右、上下など車体のあらゆる振動を忠実に再現する。客室内には車窓を流れる風景がCGで再現され、実際の車両から録った走行音も再生される。

本物そっくりの客室内のシートに座って目をつぶり、走行音と振動を感じ取ると、本物の新幹線の車内にいるような錯覚に陥る。新型N700Sではグリーン車に「フルアクティブ制振制御装置」を搭載し、トンネル区間での揺れ半減など乗り心地を改善しているが、その開発にも一役買っているのだろう。

もちろん、この装置は本物そっくりという感動を味わってもらうためのものではない。シミュレータの乗り心地はすべて数値化されている。したがって、同じ条件で何度も試験したり、ある条件だけを悪くした場合の乗り心地を調べたりすることもできる。従来の試験は実際の列車に乗った研究員の実感頼みだったが、現在ではデータを用いて客観的に行われている。


低騒音風洞。置かれてあるのは車両上部のモックアップ。空気抵抗や騒音の研究を行う(撮影:尾形文繁)

時速350kmという高い風速を出す「低騒音風洞」という設備もある。この風洞内に先頭車両のモックアップやパンタグラフなどを配置して、空力騒音や空気抵抗の研究を行う。このほかにも列車走行によって土木構造物に生じる疲労の影響を試験する「多軸式列車荷重模擬載荷試験装置」、架線の振動耐久性を検証する「架線振動試験装置」などの大型試験設備がある。


多軸式列車荷重模擬載荷試験装置では、列車の走行が橋梁などの構造物に与える影響を試験し、インフラの設計に役立てる(記者撮影)。

一般的には研究所の研究員というと、ひたすら研究開発に没頭しているというイメージがあるが、小牧研究施設のスタッフは「鉄道の現場と小牧を頻繁に行き来している」(大竹敏夫・技術開発部長)。日常的に現場と研究施設を行き来するだけではなく、現場と研究施設間の人事異動も多い。これが全体の技術開発力の底上げにつながっているという。

2027年にリニア中央新幹線が東京―名古屋間で営業運転を開始すれば、東海道新幹線の役割は大きく変わる。速達性はリニアが担うため、東海道新幹線は快適性により比重が置かれるようになるだろう。現在の小牧で行われている技術開発はそのときを見据えているのかもしれない。

都内にも大きな研究施設が

2002年に開設し、21世紀の東海道新幹線の発展を支えたのが小牧研究施設であるが、1964年にデビューした0系以来、長年にわたって新幹線、さらにリニアモーターカーや在来線など、鉄道に関する技術開発をトータルに行ってきたのが鉄道総合技術研究所(鉄道総研)である。


鉄道総研の車両試験装置(撮影:尾形文繁)

小牧研究施設が丘陵地帯にある「秘密の研究所」だとすれば、鉄道総研はJR国立駅から徒歩5分程度の場所にあり、秘密でも何でもない。東京都国分寺市光町という鉄道総研の住所が新幹線「ひかり」号に由来していることからわかるとおり、鉄道総研は地元の誇りでもある。

実験設備は国立以外にも各地に点在している。滋賀県米原市の風洞技術センターは、時速400kmの風速性能を持つ大型低騒音風洞設備を備える。

0系は登場以来20年近くにわたって東海道新幹線の主力車両として活躍した。しかし、その後国鉄末期の1982年に200系、1985年に100系が登場したとはいえ、1987年に国鉄が分割民営化されるまでの23年間は「変化の少ない期間だった」と、JR東海の金子慎社長は話す。国鉄の経営が厳しく、新型車両の開発に踏み出せなかったという事情もあるかもしれない。

国鉄の分割民営化に伴い、本社の技術開発部門や研究所などの業務を統合して発足した鉄道総研が、JR各社の新幹線の技術開発を一手に担うことになった。ところが、民営化された途端、JR各社は堰を切ったように自社で新幹線の技術開発に動き出した。速度向上や利便性拡大がその狙いだ。

基礎的な技術開発は各社共通でも、輸送人員から沿線の環境まで新幹線を走らせるための諸条件は各社でまったく違う。そのため、騒音対策や安全技術といった実用的な技術開発では各社が独自のアプローチを取ることになる。JR東海は小牧に自社の研究施設を設立することを決断。JR東日本も2001年に研究開発センターを設立し、新幹線や首都圏鉄道システムなどの研究開発を進めている。

鉄道総研とJR各社との交流が活発に

JR東海とJR東日本が相次いで独自の研究施設に踏み切った状況を受け、「鉄道総研の役割は半分にくらいに減ってしまうのではないかと危惧した」と、鉄道総研の熊谷則道理事長は当時を振り返る。ただ、実際にJR東海やJR東日本の研究施設が開設すると、鉄道総研とJR各社との間で、基礎技術の研究者どうしの交流が進み、むしろ「相乗効果が出た」(熊谷理事長)という。鉄道総研の懸念は杞憂に終わったわけだ。


鉄道総研が開発中の架線・バッテリー・ハイブリッド電車。減速時に回生ブレーキにより生み出された電気エネルギーを車載バッテリーに充電することで、省エネにつなげる(撮影:吉野純治)

最近の新幹線関連の研究開発では、速度向上時の騒音対策を始め、九州新幹線の回送列車が脱線した2016年の熊本地震に際し、脱線メカニズムの解明といった研究を行っている。リニアモーターカーについては、東京-大阪間における実用化はJR東海が行い、鉄道総研は次世代のリニアに向けた超電導コイルの開発や、リニアで培った先端技術の在来線への小用展開といった研究を進めている。

速度や安全など性能が高まった新型の新幹線車両に注目が集まりがちだが、その裏で、多くの研究者が技術開発にしのぎを削っている。今この瞬間も10年先を見据えた技術開発が行われているのだ。