独り善がりな資料を作ってしまってはいませんか?(写真:xiangtao / PIXTA)

「学歴・頭のIQ」で、「仕事能力」は判断できない。仕事ができるかどうかは、「仕事のIQ」にかかっている。
『世界中のエリートの働き方を1冊にまとめてみた』と『一流の育て方』(ミセス・パンプキンとの共著)が合わせて25万部突破の大ベストセラーになった「グローバルエリート」ことムーギー・キム氏。
彼が2年半の歳月をかけて「仕事のIQの高め方」について完全に書き下ろした最新刊『最強の働き方――世界中の上司に怒られ、凄すぎる部下・同僚に学んだ77の教訓』は、早くも20万部を突破、翔泳社主催の「ビジネス書大賞 2017」の大賞を受賞し、世界6カ国で翻訳も決定するなど、世界中で注目を集めている。
本連載では、ムーギー氏が「世界中の上司に怒られ、凄すぎる部下・同僚に学んだ教訓」の数々、および「日常生活にあらわれる一流・二流の差」を、「下から目線」で謙虚に紹介していく。
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読む人のことを考えていない「二流」の資料


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「うわー、なんやこの本!! とんでもない秘密があるやないか〜〜!」

これは、私の著書『最強の働き方』に施したさまざまな秘密のこだわりがついにバレてしまったときの、読者の皆さまからの衝撃の反応である。

その詳しい顚末については後述するが、往々にして「一流の仕事」というのは、誰も気づかないところにも「隠れたこだわり」が満載なものである。

たとえば飲食店だと、薄くて軽いグラスに1滴も水滴の痕跡がないよう徹底的に磨かれていたりするし、おすしのネタだと、丁寧に切れ目がたくさん入っているおかげで、固いイカもかみやすかったりする。

洋服のデザインでも、一流ブランド「ポール・スミス」はジャケットの裏にも遊び心満載のデザインが隠されていたりする。つまり、「一流の仕事」にこだわる人は、普通の人が気づかない「裏や細部にも徹底的なこだわり」を見せて、私たち凡人に畏敬の念を抱かせるものなのだ。

これに対し、二流の人物は、その人の全体的な欠陥商品っぷりが、細部の破綻に見事ににじみ出るものである。「人が見えない細部の仕事」をおろそかにするため、「人が見ている大々的な仕事」も大変残念なことになっているケースが非常に多いのだ。

「学歴や頭のIQの高さ」と、「細部の仕事にこだわれるかどうか」は関係がない。往々にして仕事能力というのは、ご立派な経歴より「誰も気づかない細部にまで、どれだけこだわれるか」に、もろに出てしまうものである。

それでは、「仕事の細部」を見ただけでバレてしまう、その人の「人格的欠陥」「人間的故障」は何なのか? 細部に差が出やすい「資料作り」を例に取りながら、早速、紹介していこう。

まずは、オフィスワーカーの基本である「資料」を見た途端にバレるのが、「文字が細かすぎて、こんなもん誰が読むんや!」という配慮のなさである。

情報量は多くても「読む人への配慮」を忘れない

【1】情報の詰め込みすぎで「他者への配慮のなさ」がバレる


几帳面すぎる人にかぎって、どうでもいいような内容まで、ビッシリ資料に書き込もうとする。矯正視力が1.0以下の人にも読みやすくなるようなスペースや改行の工夫はなく、新聞の紙面に負けないくらい細かい文字でびっしりと書き込んでいくのだ。

こういう几帳面で、どんなさまつな情報でも「しっかり読み込むマジメ人間」の場合、このような「細かい文字がびっしりの不幸で残念な資料」が出来上がる。

しかし、このような「他人の視力を考えない文字が細かすぎる資料」を作っているかぎり「他人の気持ちがわからない人だ」と後ろ指をさされてしまっても、仕方がないのだ。

細かすぎる文字を書き、「これを読め」と最後通牒を突き付ける時点で、コミュニケーションセンスがない、「細部への配慮が欠落した二流の仕事人」に転落していることが、すっかりバレてしまうのである。

【2】フォントの違いで「大ざっぱさ」がバレる

次に「資料の細部」でバレてしまうのが、文章のところどころで違うフォントの文字が混ざり込んでしまっている、「大ざっぱさ」であろう。

シンプルな「MS明朝」で書くのが会社のフォーマットでも、いつの間にやら「MSゴシック」になってしまう、残念な人々。挙げ句の果てに、よく見ると斜体になっていたり、ランダムに太字で強調されていたり、謎のカラー文字になっていたりと、フォントが意味もなくコロコロと変わっていく。

そういう「二流の資料」を作る人にかぎって、「サイズの基本は10.5ポイント」なのにもかかわらず、勝手に14ポイントになっていたり28ポイントくらいに巨大化していたり、英字のフォントも「Arial」だったり「Century」だったりとやたらと変わり、フォントにも統一感を持って仕事をすることができない。

フォントの統一感を気にしないことで、その人の「致命的な大ざっぱさ」がバレてしまい、細部に「ポツン」と違うフォントの文字が、その人全体の「大ざっぱな印象」を与えまくってしまうのである。

そして、世の中の若手ビジネスパーソンを悩ますのが、「パワーポイント」などで資料を作るときに、「美的センスがない」ことがバレてしまうことだろう。

「小さな見た目の差」が仕事の差につながる

【3】作った資料で「美的感覚の欠如」がバレる

「人の第一印象は見た目で9割決まる」といわれているが、これは資料作りでも結構似たようなところがあるものだ。

資料の中身は意外と忘れられやすく、読んでしばらく経つと中身の大半を忘れてしまっているケースも少なくない。

しかし、オジサンが魅力的な女性と会話したときには、会話の中身は完全に忘れていても、「スリムで清楚でキレイやったな〜〜。俺に少しくらい、気はないのかなぁ……?」という恥ずかしい記憶はあったりする。

つまり、キレイな女性と同様に、資料に関しても「見た目が美しいかどうか」がその印象に大きな影響を与えるということである。

私がその昔、投資銀行部門でミスだらけの資料を作って上司に怒られたときに、「誰がこのフォントやカラーリングをそんなに気にするんですか? もっと提案内容に凝ったら、どないですか!!」と猛抗議したことがある。

すると、「提案内容なんて、どこも同じような内容なんだから、資料の正確さや美しさで勝負するんだ!」と言われてしまい、「なるほど」と納得してしまったものである。

仕事の差は、実は「小さな見た目の差で決まる」ことも多い。ビジネスの現場で使うカラーや形に美的センスがないと、大いに損をしてしまうのである。

これまで、一流の仕事は、「細部のこだわりで決まる」という古今東西共通の教訓を、下から目線で力説してきた「グローバルエリート」である私。

それでは、「一流の仕事に見られる細部のこだわり」とは、いったいどのような要件を満たしている必要があるのだろうか? 「一流の仕事」ほど、以下のような細部へのこだわりを有しているものである。

「一流の仕事のこだわり」2つのポイント

【1】論理構造にこだわる「MECE」になっている

「一流の仕事」とは、お客さんへの敬意があふれているものである。

たとえば、私は資料を作るときも、書籍を執筆するときも、読む人が読みやすいように、とことん「編集」にこだわる。

短い文章に要約した「まとめ」の項目を作ったり、内容をわかりやすくするために「イラスト」を入れたりしている。特に書籍を書くときは、MECE(Mutually Exclusive and Collectively Exhaustive)にも強くこだわる。

ここまで「編集」にこだわるのは、ひとえに「読む人に敬意と感謝を示し、ベストを尽くしたい」という、グローバルエリートの「強い細部へのこだわり」があるからなのだ。

「一流の資料や文章」ほど、単に内容が示唆に富むだけでなく、読む人のために「論理的・構造的」に編集されているのである。

【2】MECEだけではない「面白さ」がある

二流の資料にかぎって、至極どうでもいいことが論理的にきっちりとMECEにまとめられているだけで、情報は整理されているものの、いかんせんまったく面白くないので、そもそも読む気がしない。

これは、論理的思考力はあるものの、センスがゼロの人にありがちな二流の失敗だ。「凡庸な常識を一生懸命、論理的にまとめた資料」など、時間の無駄でゼロバリューどころか、「マイナスバリュー」である。

やはり「一流の仕事」とは、単に情報価値が高いのみならず、面白く楽しめる必要があるのだ。

ためになる面白い情報が、無料でいくらでも手に入るこのご時世、「情報をいかに効率的に、ストレスなく、楽しみながら吸収できるか」に関する工夫があるかないかで、その「情報バリュー」に大きな差がつくのである。

これまで、「細部へのこだわりの大切さ」について、下から目線で謙虚に語ってきた「グローバルエリート」。

しかし何を隠そう、「細部へのこだわり」が、細部すぎて誰にも気づかれず、「自己満足という二流の暗闇」に転落済みなのが、この恥ずべき「自称・グローバルエリート」である、私なのだ。

「渾身のこだわり」が誰にも気づかれず…

実は『最強の働き方』のカバー裏には、「この本が100万部突破したときの授賞式で話す予定のスピーチ原稿」が書かれている。


なんと、本のカバーの裏に秘密コラムが……(写真:尾形 文繁)

これは、私が昔、偉人の伝記物語を読んで、ベーブ・ルースが「予告ホームラン」を見事に実現したことにインスピレーションを得てやったことだ。誰も目にしない本のカバー裏にまで渾身の原稿を書いているのが、まさに「一流」のグローバルエリート渾身の「細部へのこだわり」なのである。

しかし、カバー裏など、普段は誰もめくって確認していないので、いつまでたっても読者の皆さまどころか、流通業者さんも書店員さんも気づかず、「隠れすぎている残念な裏コラム」になってしまったのだ。

その結果、この渾身のこだわりをアピールするために、ついに自分の連載で大々的に紹介するという「禁じ手」を繰り出す羽目になってしまった「二流のグローバルエリート」。

さらには、「100万部は絶対に売れるはず」と意気込んだものの、現実は遠く及ばず20万部で止まってしまっているのだから、「身のほど知らず」な私は、二流では収まらず「三流のグローバルエリート」までに転落してしまったといわれても仕方ないであろう。

しかし、私のような細部にこだわりすぎて、それがまったく気づかれなかったような輩(やから)がこの世の中から消えうせないかぎり、この世から無駄な仕事はなくならないのである。

ぜひ皆様が働いている業界で、読者の皆さまが感じる「一流の仕事」ならではの「細部へのこだわり」の数々をこちらに報告してくださることを、祈念する次第である。