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 今年も『24時間テレビ』の季節がやってきた。日本を代表するというか、日本最大の超大型チャリティ番組なので、社会的な存在感も大きい。24時間ランナーを誰が務めるかが毎年の大きな芸能ニュースになるし、夏になれば日テレがガンガン番宣をやる。否が応でも番組の存在感は高まる。だが、この番組の存在感が高まれば高まるほどに、僕は憂鬱な気分になる。なぜ憂鬱になるかというと、日本社会の中でチャリティ(寄付)というものへの理解がいっこうに進んでいない――その現実を見せつけられるからである。

「チャリティへの無理解」とはなにか。それは「かわいそうな人を救おう」という考え方だ。そう言うと、「かわいそうな人を救って何が悪い?」と思う人も多いだろうが、そうではない。社会貢献という視点から言えばそれは間違っている、と僕は考えている。今回はそのことについて説明する。

かわいいもの、かわいそうなものに
寄付が集まる現実

 とは言っても、僕は別に『24時間テレビ』を批判したり、否定したりしたいわけではない。この番組が日本の社会貢献シーンに果たしている役割は大きいし、39年間で365億円もの寄付を集めているのは立派な実績だ。ここ数年は寄付金額も減少傾向にあるが、それでも毎年9〜10億円程度の寄付を集めている。CSRだとか社会的責任だとかキレイごとを言っても、企業の評価は基本的に売上や経常利益で決まる。それと同じで、社会貢献だとかチャリティだとか言っても、数字が重要だ。寄付の文化がないと言われる日本で、夏になれば寄付の季節という「気分」をつくり出し、これだけの金額の寄付を集める『24時間テレビ』は、やはり立派だと思う。

 ただし、視聴者の側、つまり『24時間テレビ』を見て寄付をする人たちには、もう少し理解を深めてほしいとも思う。『24時間テレビ』については批判意見も多い。昨年は、まるで『24時間テレビ』を批判しているかのような特番が、NHKのEテレで放送されて話題となった。このEテレの番組『バリバラ』の中で紹介された「感動ポルノ」とは、まさに『24時間テレビ』という意見も多かった。

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