(左)柳井 正氏(右)『経営者になるためのノート』(柳井 正著・PHP研究所刊)「このノートを踏み台にして、あなたに柳井正を超えていってもらうこと、それが私の心からの願いです。」――本ノートの使い方(7ページ)より

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ファーストリテイリングの柳井正社長は『経営者になるためのノート』をユニクロ全店長に配布している。2015年、門外不出だったこのノートがPHP研究所から出版された。ノートの作成を手伝った経営学者の楠木建氏は「本文を読むだけでは、このノートの価値の10%も享受することはできない」という。どう使えばいいのか。解説してもらった――。

■なぜ柳井正の口癖は「当たり前」なのか

7年ほど前、柳井正さんから「社内教育機関『FRMIC』の立ち上げを手伝ってほしい」といわれました。私と『経営者になるためのノート』(PHP研究所)との関わりは、そのときまでさかのぼります。

「FRMIC」は従来型の職場を離れて学ぶような社内教育機関とは、まったく異なる発想を持っています。あくまで日々の自分の仕事の中で、自分の頭で考え、目の前の課題を解決することで、経営者人材を育てることが狙いです。

そのために、まずは柳井さんの頭の中にある経営の「原理原則」を1年ほどかけて言語化することから始めました。しかし柳井さんへの聞き取りを重ねるにつれて、「これはかなわない」と参ってしまいました。

柳井さんの口癖は、「当たり前ですけど」。問題解決について柳井さんに尋ねると、「経営者は結果を出さなくてはならない」とか「経営者の役割は急成長して高収益をあげることだ」といった当たり前のことばかりが返ってきます。

当時すでに、ファーストリテイリング(FR)では、幹部社員向けに柳井さんの経営理念をまとめた「経営理念23カ条」という小冊子をつくっていました。この中に書かれているのも当たり前のことばかりで、そのまま読むだけでは退屈です。そしてどんな聞き方をしても、柳井さんはいつも同じ答えなのです。

ところが、さらにインタビューを重ねるうちに、私の目が曇っていただけであることに気付かされました。

柳井さんは自分自身を「商売人」だといいます。商売では、ありとあらゆることが具体でなければ意味がありません。目標は具体的に設定しないと意味がありませんし、結果は具体的にしか出てきません。問題も必ず具体的な形で現れます。

柳井さんのような優れた経営者の頭の中にある原理原則とは、実はこうした膨大な具体的経験、具体的なトラブルから抽出された、論理の結晶体なのです。わかりやすい言葉で言えば、「要するに、こういうことだ」なのです。

この「要するに、こういうことだ」を純化して純化して純化し切ると、般若心経のごとく簡潔極まりない「経営理念23カ条」に行きつく。柳井さんが何を聞かれても「当たり前ですけど」と答えるのは、それだけ経営理念が結晶化されていて、ブレがないからなのです。

■「カツ丼」と「天丼」の違いを考えられるか

ここで具体的に考えてみましょう。ある日、ランチで「カツ丼」と「天丼」で悩んだとします。そのときはカツ丼を選んで「失敗した」と思った。さて、みなさんは翌日の昼食で、どのように意思決定をしますか。

「昨日はカツ丼で失敗したから、今日は天丼にしよう」と考えるでしょうか。それとも「なぜ昨日はカツ丼をまずいと思ったのか」と、自分の嗜好を掘り下げるでしょうか。

商売のセンスがない経営者は、前者のように「カツ丼がダメなら天丼」という「具体の横滑り」をします。「青いフリースが売れないけれど、隣の店では赤いフリースが売れているから、今度は赤を仕入れてみよう」というように、横の具体へ飛ぶことで問題解決を図ろうとするのです。こうした経営者は、キョロキョロと周囲を見渡しては、目まぐるしく経営方針を変えていくため、いつまで経っても原理原則を確立できず、無限にぶれ続けることになります。

一方、優れた経営者は問題に直面したとき、次のように考えます。

「カツ丼をまずいと感じたのは、カツが玉子でとじられ、ご飯と一体化していたからかもしれない。自分はトッピングとご飯がきちんと分かれている天丼のほうが好きなのではないか」

冗談のように思うかもしれませんが、ここで重要なのは「なぜ」という問いを立ててから、別の策を試みているかどうかなのです。

優れた経営者は問題に直面したとき、「横の具体に飛ぶ」のではなく「具体を抽象化する」ことで、自分の原理原則を磨き上げ、そこで培った原理原則を別の具体に適応していくのです。そして、柳井さんのような経営者は、この具体→抽象→具体という往復運動を、あたかも呼吸をするかのようにごく自然に繰り返しています。だから問題解決の手法はその都度違うようにみえても、その背後にある原理原則は決してぶれることがないため、掘り下げていくといつも同じ答えになるわけです。

■経営者を育てる標準的な方法はない

この「具体と抽象の往復運動」を行ううえで、『経営者になるためのノート』は素晴らしい教材です。FRの歴史という「文脈」の中に経営の原理原則が置かれているため、とてもわかりやすい。

たとえば第2章「儲ける力」の第4項「現場・現物・現実」の中に、「指示をして仕事が終わりではない」という言葉が出てきます。これは柳井さんの原理原則のひとつですが、これだけでは「そうですね」で終わってしまう。ところがこのノートには以下のような文章が続くのです。

ユニクロがフリースに挑戦し始めた当初、さまざまなトラブルが続発した。担当者に理由を質すと「中国の工場には電話で何度も指示を出しているのですが……」という返事。そこで柳井さんは「指示をして仕事が終わりではない」と担当者に言った。「中国の工場はパートナーなのだから、直接現地に行って、現物を前にして一緒に問題解決をしないとだめなのではないか」――。

このように、原理原則を文脈の中に置いてみると、抽象度の高い原理原則も、生き生きとした実感を持って理解できるようになります。

本書の素晴らしさは、それだけではありません。最も重要な点は、本書が「ノート」であることです。読むだけではなく、書き込める点が教材として素晴らしいのです。

FRMICが育てようとしている経営者人材とは「私が稼いできます」あるいは「私が儲けてきます」と宣言して、実際に事業を立ち上げ、利益を出せる人です。「経営者人材=国力」といっていいほど重要な存在ですが、現状では極めて稀少です。

社長や役員であっても、経営者人材であるとは限りません。重要なのは自分の仕事に対する構え、姿勢です。数万人の部下を率いる立場でも、稼ぐ力がなく、「自分の仕事は××担当だから」と認識している人は「担当管理者」にすぎません。経営者に「担当」はないからです。

経営とは、商売の塊を丸ごと動かして長期的に利益を出し続けることです。では、どうすれば稼げるのか。決まった答えはありません。私は経営学者として、「経営とはアートである」と考えています。優れた経営者とはアーティストであり、優れたセンスの持ち主なのです。

センスの対極にあるのがスキルです。「担当者」としての特定のスキルの持ち主を労働市場の中から探し出すことは容易なことです。なぜならスキルは習得できるからです。英語というスキルがほしければ、英語を学べばいい。スキルの習得に必要なのは、正しい方法論と時間と継続的な努力の3点。これを積み重ねれば、スキルは必ず習得できます。

ところが、センスは学習によって身につけることができないのです。別な言い方をすれば、教えることができない。スキルを持った担当者は育てることができても、センスを持った経営者は育てることができないのです。実際、世界中のどの国を見回してみても、経営者を育てる標準的な方法は存在しません。

■自分の「原理原則」をノートで磨き上げろ

『経営者になるためのノート』がノートである所以は、まさにここにあります。このノートで最も重要なのは、本文の周囲にある罫線の引かれた余白部分です。本文を読みながら、そこにある原理原則を、自分の仕事という文脈に落とし込み、自分の仕事と紐づける。そうすることで、自分なりの「DO's&DONT's(やるべきこと、やるべきではないこと)」が磨かれ、原理原則が培われます。

先ほどの「指示をして仕事が終わりではない」というエピソードも、受動的に読んだだけでは「いい話だな」で終わりです。しかし、「指示をして仕事が終わりではないということは、自分の仕事でいえば一体どういうことだろうか」と、自分の頭を使って能動的に考えることができれば経営者としてのセンスを磨くことができます。スキルは教科書で学ぶことができますが、センスはノートでなければ磨けないのです。

この事情は、絵画の世界を考えてみるとよく理解できるでしょう。絵筆の使い方、遠近法、色彩に関する知識といったスキルは、教科書から学べます。しかし、そうしたスキルの習得をいくら重ねても、名画を描けるようにはならない。画家になるためには、たくさんの名画を鑑賞しながら、デッサンや写生を繰り返し、アーティストとしてのセンスを磨いていく必要があります。『経営者になるためのノート』の本文には、いわば「いい絵とは何か」が書かれています。しかし、それを読むだけでは名画を描けるようにはならない。名画を参照しながら、周囲の余白に、自分なりのデッサンや写生を重ねていく。そうすることでしか、絵は上手くならないのです。

このノートは、経営センスを磨くための最高のレイアウトを採用していると私は思います。原理原則に対するコメントの書き込みが、非常にやりやすい。逆に言えば、真ん中の本文だけ読んだところで、このノートの価値の10%も享受することはできないでしょう。

1冊使ったら、もう1冊買う。これを一定期間繰り返してから、ノートを読み返してみれば、自分自身の「経営者になるため」の成長の軌跡を、客観的に確認できるはずです。

経営者人材がいなければ社会は回りません。実際に経営者となる人は少数ですが、多くの人が担当者を目指す社会より、経営者を目指す社会のほうが活力がある。このノートでぜひセンスを磨いてください。

(一橋大学大学院 国際企業戦略研究科教授 楠木 建 構成=山田清機 撮影=門間新弥)