3月27日に栃木県那須町のスキー場で起きた雪崩事故。当日は7つの高校の生徒と教師らが合同で春山登山の研修を行っており、県立大田原高校の教師1名と生徒7名が犠牲となった。「生物学を学び、絶滅危惧種を救う仕事をしたい」と夢を語っていたというのは、浅井譲さん(17)。父・慎二さん(47)は本誌の取材に無念の胸中を語ってくれた。

「“まさか”という思いでいっぱい。まだ実感が湧かないんです……。息子には『自分の思ったとおりに生きてほしい』と思ってきました。でも、うちがあまり裕福ではないことも考えていたのでしょう。あの子はお金のかからない国立大学を目指しているようでした。生物学コースを希望していたみたいですね」

慎二さんはこれまで、父親として息子の成長を見守ってきたという。

「初めて自転車に乗れたときのことは、よく覚えています。幼稚園のころ、私が教えたんです。すぐには乗れませんでしたが、それでも頑張ってね。やっと乗れたときは私も嬉しかったものです。中学まではバスケットボール部で、背が低かったせいかレギュラーにはなれませんでした。それが最近はかなり身長が伸びてきて、私と変わらないくらいになっていたんです。きっと、まだ伸びたんじゃないかな……」

学生時代は山岳部だったという慎二さん。譲さんが山岳部に入ったのも、父の影響だったのだろうか。

「息子が小さいころ、山に連れていったりしていましたね。きれいな自然に触れて、とても嬉しそうでした。高校で山岳部に入ったのは、友達との登山が楽しかったんでしょう」

また譲さんについて、慎二さんは「息子は妹のことが大好きでした」と続ける。

「3月4日は妹が11歳になる誕生日でした。女の子なのに車が好きでね。息子はラジコンカーを買ってプレゼントしてくれたんです。でも妹が遊んでいたら、すぐに壊れてしまって。そうしたら『妹が悲しんでいるから』といって、あの子がまた新しいラジコンカーを自分のお小遣いで買ってくれました。今度は壊れないように、金属製のもっと高価なものを。それを見た妹は、とても喜んでいました。本当に息子は優しい子でした」

そんな譲さんとの“無言の対面”。慎二さんは、メディアの取材で「(息子は)冷たくなっていましてね。(だから私は)『寒かったね、帰って来たね』って。(妻も)『ごめんね、ごめんね』って、誰も悪くないんですけどずっと言っていました。娘もずっと泣いています。『お兄ちゃん!』と言って……」と語っていた。天国へと旅立ってしまった息子について、父は言葉少なにこう続ける。

「あの子は、私の夢に現れているのでしょうか。よく眠れていないのでわかりません。でも、これから出てきてくれますかね……」

黙り込む姿からは「夢でもいいから息子に会いたい」と願う親心が、ひしひしと伝わってきた。3月30日に行われた葬儀には、譲さんを偲んで多くの友人が弔問に訪れていた。慎二さんは遺影を見つめながらこう振り返る。

「250人くらい来てくださって、会場に入りきれないほどでした。中学の同級生は、みんなで色紙を作って供えてくれたんです。本当にありがたいことです」

祭壇に飾られた色紙には、「今までありがとう」という言葉が書かれていた。

「葬儀の挨拶で、私は『いつ何が起こるかわからない』というような話をしました。私たち家族も涙が止まりませんでしたが、同級生の方々も息子のためにたくさん泣いてくださいました。将来、息子の結婚式で挨拶をするとは思っていました。でもその前に葬儀ですることになるなんて思いもしませんでした……」

父が本誌に語ってくれた“涙の弔辞”には深い悲しみがにじんでいた――。