「べっぴんさん」91話。お母さんは家にいるべきなのか
連続テレビ小説「べっぴんさん」(NHK 総合 月〜土 朝8時〜、BSプレミアム 月〜土 あさ7時30分〜)第16週「届かぬ心」第91回 1月21日(土)放送より。
脚本:渡辺千穂 演出:安達もじり
置き手紙を残して家を出てしまったさくら(井頭愛海)は、ゆり(蓮佛美沙子)の家に身を寄せていた。
話し合おうとするすみれ(芳根京子)をさくらは拒絶する。
すず(江波杏子)「へ〜 やるなあ」
すみれ「ふざけないでください」
すず「ふざけてなんかないわ 本気で言うてるのよ」
五月(久保田紗友)「さくらが (笑う)」
すみれ「なにがおかしいの」
さくらが家を出たと聞いたときの、すずと五月のリアクションに、いちいちむっとなるすみれ。
ぬぐってもぬぐっても止まらない涙を手でぬぐい続ける仕草が、どうにもならないすみれの気持ちを感じさせる。のちに、すずが「あなたは真面目なのね」と理解を示す。さすが、「世の中いろんなひとがおる いろんな親がおる。自分の価値観だけでものごとを推し量ることなんてできへんはずや」と言うひとだけはある。
こういうふうに言うにもかかわらず、自分たち街場の理論でお嬢様のすみれを排除するようなことを言ってしまったらもともこもないけれど、すずはちゃんとすみれのことも受け入れる。
明美が、すずの「真面目なのね」を受けて「それはそうやわ。すみれちゃんやもの」と言うところは、ひとそれぞれの特性があるということを強調していた。「べっぴんさん」はふわっとしているようで決してそこを外さない。
ただ、そんな理解あるすずでさえ、たまにひとりで飲みにくる明美(谷村美月)と、娘を溺愛するお母さん・さくらが友達(更に同僚)だったとは思いもよらず驚く。このような意外なことが世の中にはいくらでもあるのだ。
すみれが頭ごなしに良くないこととみなした五月の家出にも、致し方ない理由(母親が再婚して、歳の離れた弟ができて居づらくなった)があった。
さくらはゆりの家に転がり込む。意外とちゃっかりさんで、完全に自立心があるわけではないところがリアル。
朝起きると、お母さんの役割のゆりがご飯をつくってくれて、お父さんの役割の潔(高良健吾)がいて、弟みたいな正太(さくらに馬乗りになって起こすところは、少年の性の目覚めを心配しちゃったけれど)がいて、家族4人で穏やかな朝ごはんという世界は、さくらの家ではなかなか実現しないものだ。
絵に描いたような家族の食卓。だいたいのひとが、家族とはこういうものと思っていた時代なのだろう。
2017年現在もぎりぎりそうかもしれない。ゆりは進んで“家にいるお母さん”という役を選んだ。でも、お母さんが家にいるものという決まりはほんとに決まりなのだろうか、と考えさせる場面だった。
さくらに話し合いを拒否して落ち込むすみれに、「それを考える時間をもらったと思うしかないなあ」とさとし、一杯飲みに誘う明美。相変わらず含蓄ある。何かあったとき明美が、これ以上悪く考えることをやめて気持ちを切り替えようとするのは、幼い頃から不幸続きだったからだろう。それでもなんとか生きていくためには、辛いいまをやり過ごすしかない。
「いつか言ったやろ、淡々と・・・」と言う明美。37話に登場した「淡々と」。このときは紀夫(永山絢斗)が帰って来なくてすみれは落胆していた。
ああ、明美はまだ淡々として生きているのかと胸が疼いた。女のひとり飲みがかっこよく見えるが、彼女は結婚や出産に対する思いがあるようで。おりにつけ匂わすだけで真意を誰にもちゃんと語らないし、まして思い切って行動しようということもない。こういうところが、「べっぴんさん」のじりじりするところでもあるが、味わいでもある。誰しもが、人生の変革のために行動に出るなんてことはできるものではないのだ。「逃げ恥」の「呪い」ではないが、自分を現状維持させるしかない人間はたくさんいる。
明美の状況は、「あさが来た」でいうと、うめ(友近)や美和(野々すみ花)だろうか。「とと姉ちゃん」の常子ともいえる。とりあえず、美和のような突然の幸せは、悦子様(滝裕可里)に託されたようだが。
週末、またしてもちょっとしょんぼりした内容だったものの、「離れることで見えてくることが違う。それを信じてまた明日を迎えましょう」(はな/菅野美穂)の語りで救われた。
(木俣冬)
脚本:渡辺千穂 演出:安達もじり
91話はこんな話
置き手紙を残して家を出てしまったさくら(井頭愛海)は、ゆり(蓮佛美沙子)の家に身を寄せていた。
話し合おうとするすみれ(芳根京子)をさくらは拒絶する。
すみれの知らない世界
すず(江波杏子)「へ〜 やるなあ」
すみれ「ふざけないでください」
すず「ふざけてなんかないわ 本気で言うてるのよ」
すみれ「なにがおかしいの」
さくらが家を出たと聞いたときの、すずと五月のリアクションに、いちいちむっとなるすみれ。
ぬぐってもぬぐっても止まらない涙を手でぬぐい続ける仕草が、どうにもならないすみれの気持ちを感じさせる。のちに、すずが「あなたは真面目なのね」と理解を示す。さすが、「世の中いろんなひとがおる いろんな親がおる。自分の価値観だけでものごとを推し量ることなんてできへんはずや」と言うひとだけはある。
こういうふうに言うにもかかわらず、自分たち街場の理論でお嬢様のすみれを排除するようなことを言ってしまったらもともこもないけれど、すずはちゃんとすみれのことも受け入れる。
明美が、すずの「真面目なのね」を受けて「それはそうやわ。すみれちゃんやもの」と言うところは、ひとそれぞれの特性があるということを強調していた。「べっぴんさん」はふわっとしているようで決してそこを外さない。
ただ、そんな理解あるすずでさえ、たまにひとりで飲みにくる明美(谷村美月)と、娘を溺愛するお母さん・さくらが友達(更に同僚)だったとは思いもよらず驚く。このような意外なことが世の中にはいくらでもあるのだ。
すみれが頭ごなしに良くないこととみなした五月の家出にも、致し方ない理由(母親が再婚して、歳の離れた弟ができて居づらくなった)があった。
さくらの知らない世界
さくらはゆりの家に転がり込む。意外とちゃっかりさんで、完全に自立心があるわけではないところがリアル。
朝起きると、お母さんの役割のゆりがご飯をつくってくれて、お父さんの役割の潔(高良健吾)がいて、弟みたいな正太(さくらに馬乗りになって起こすところは、少年の性の目覚めを心配しちゃったけれど)がいて、家族4人で穏やかな朝ごはんという世界は、さくらの家ではなかなか実現しないものだ。
絵に描いたような家族の食卓。だいたいのひとが、家族とはこういうものと思っていた時代なのだろう。
2017年現在もぎりぎりそうかもしれない。ゆりは進んで“家にいるお母さん”という役を選んだ。でも、お母さんが家にいるものという決まりはほんとに決まりなのだろうか、と考えさせる場面だった。
明美はいまも淡々としていた
さくらに話し合いを拒否して落ち込むすみれに、「それを考える時間をもらったと思うしかないなあ」とさとし、一杯飲みに誘う明美。相変わらず含蓄ある。何かあったとき明美が、これ以上悪く考えることをやめて気持ちを切り替えようとするのは、幼い頃から不幸続きだったからだろう。それでもなんとか生きていくためには、辛いいまをやり過ごすしかない。
「いつか言ったやろ、淡々と・・・」と言う明美。37話に登場した「淡々と」。このときは紀夫(永山絢斗)が帰って来なくてすみれは落胆していた。
ああ、明美はまだ淡々として生きているのかと胸が疼いた。女のひとり飲みがかっこよく見えるが、彼女は結婚や出産に対する思いがあるようで。おりにつけ匂わすだけで真意を誰にもちゃんと語らないし、まして思い切って行動しようということもない。こういうところが、「べっぴんさん」のじりじりするところでもあるが、味わいでもある。誰しもが、人生の変革のために行動に出るなんてことはできるものではないのだ。「逃げ恥」の「呪い」ではないが、自分を現状維持させるしかない人間はたくさんいる。
明美の状況は、「あさが来た」でいうと、うめ(友近)や美和(野々すみ花)だろうか。「とと姉ちゃん」の常子ともいえる。とりあえず、美和のような突然の幸せは、悦子様(滝裕可里)に託されたようだが。
週末、またしてもちょっとしょんぼりした内容だったものの、「離れることで見えてくることが違う。それを信じてまた明日を迎えましょう」(はな/菅野美穂)の語りで救われた。
(木俣冬)