ジェームズ・ドゥティ氏

写真拡大

スタンフォード大学の脳外科医、ジェームズ・ドゥティ氏は、父はアル中、母は深刻なうつ病の貧困家庭で育ちました。大学進学など想像も出来なかった人生を変えたのは、手品用品店で出会った女性から教わったマインドフルネスという心と身体の扱い方でした。それにより成功を手にしたドゥティ氏を待ち受けていた思わぬ苦難と救いを綴った自伝『スタンフォードの脳外科医が教わった人生の扉を開く最強のマジック』は、「マインドフルネスの教科書」として世界中で読まれています。現在、スタンフォード大学で共感と思いやりについての研究をリードしているドゥティ氏が語る、本当に「豊かな」人生を送るための条件とは……。

■自分を否定する「頭の中の声」を止めよう

『スタンフォードの脳外科医が教わった人生の扉を開く最強のマジック(原題:INTO THE MAGIC SHOP)』は、わたしが少年の頃に手品用品店で出会ったルースからの教えを元に、その後劇的に変わった人生を描いたものだ。わたしはとても貧しい子供時代を送り、そのときは想像もできなかったような金持ちになった。しかしその後全財産を失い、紆余曲折を経て再び豊かな暮らしを取り戻した。その詳しい経緯については本書を読んでいただきたいが、いまわたしが「豊か」であるというのは、金銭的な意味ではない。それまでの経験から自分の人生を見つめなおし、改めてその意味を見出したことが本当の豊かさにつながった。

ルースは少年だったわたしに「本当の豊かさ」について教えてくれていたが、わたしは長いあいだ忘れていた。それを思い出して、自分が学んできた脳神経科学、神経可塑性、瞑想、共感についての知識を織り交ぜて本書を書いた。なぜなら、そうした豊かさに到達することで、心理、身体、寿命といった面にもよい影響があるということを多くの人に知ってほしかったからだ。実は、人間は他者を思いやる生き物であり、それを実践することによって自分の生理機能も最高の状態になるということがわかっている。

ルースが教えてくれた「マジック」は、いまでいう「マインドフルネス」のテクニックだ。深い呼吸と心を開くことの練習を通じて、身体機能が向上する。マインドフルネスの元来の意味は、「いま、ここにある」ことだ。身体の筋肉をリラックスさせ、呼吸を深くすることで、過去を後悔したり、未来を心配したりせず、「いま、ここ」に集中する。自分の心を現在へ向けること、そして何でも早急に判断しようとしないこと。これがマインドフルネスの本来の意味だ。ルースがわたしに教えてくれたのが、それに加えて、「自分に対して思いやりを持つこと」だった。

ある調査によると、ほとんどの人は80%の時間を現在に集中せずにすごしているという。その間、頭の中では、自分を否定し、批判するような会話を延々と続けている。そんな頭の中の声にとらわれているために、他者ともつながれない。自分に批判的になり過ぎると、生理機能にも悪影響が出る。交感神経システムが刺激されてストレスホルモンのコルチゾールが放出され、これが免疫力を制約して心臓系の機能低下を招き、突然の心臓停止につながってしまう。頭の中でネガティブな会話を続けると、身体にそうした影響が出るのだ。だから、まず自分にやさしくしなければならない。自分を思いやることができれば他者に対してもやさしくなれる。思いやり、育み、気遣いといったことを実践すると、自分の生理機能が向上し、他者の生理機能も変わる。それがまた自分に戻ってくるのだ。

人生で成功したいと思っている人は、自分に厳しくないとなにごとも達成できないと考えがちだが、自分を思いやることと怠慢であることとは違う。「やってみたができなかった。でも自分は成功するに値する人間だ。トライし続けよう」と考えるのと、「やってもできなかった。だからもうやらない」と考えるのとは大違いだ。要は、チャレンジした結果に対してどう反応するのかの違いだ。

わたしが経験したことが、まさにそうだった。わたしは貧困家庭に育ち、父親がアルコール中毒、母親がうつ病で、両親からかまってもらえずに育った。この厳しい生活環境は、ルースに出会った後も何ひとつ変わらなかった。変わったのは、いろいろなことに自分がどう反応するかの部分だ。自分を責め続けたり、怒りや憎しみを抱き続けたりするより、自分の置かれた環境を受け入れ、困難ではあるけれど、自分は愛されるに値する存在であり、能力もある人間だと考えられるようになった。それによって、自分と世界との関係が劇的に変わった。

厳しい環境にあると、かつてのわたしのように怒りに溢れ、なにごとにもけんか腰になるだろう。けれども他者をオープンに受け入れ、ポジティブな見方をするようになると、相手も自分のことを違った目で見るようになる。人間は、相手の話し方や振る舞いからその人の感情を感じ取る。そして、その感情に同調した反応をするはずだ。自分が落ち着いていて、愛情を感じていると、それは相手にも伝わる。愛情の力は、ときに敵を友人に変えてしまうことさえあるのだ。

■貧困やストレスが判断力を奪っている

わたしの生い立ちからも言えることだが、貧困家庭には大きな壁が立ちはだかっている。貧困になるのは怠け者だからだと言う人もいるが、それは現実を知らないとんでもない誤解だ。まず、貧困家庭に育つと人生を導いてくれる先生やメンターへのアクセスがない。スタンフォード大学へ入学してくるような裕福な学生なら、家庭教師もいただろうし、身の回りに相談にのってくれる大人もそろっていて、才能を最大限に伸ばせる環境にあるだろう。

だが、貧困状態に生きていると、ストレスでいっぱいになり、集中することができない。そういう環境にある人間は、前頭葉を使って合理的で冷静な判断ができず、すぐに反射的な決断をしてしまう。毎日の食事にありつけるか、月々の家賃が払えるかといった、生活、生存上の不安にさらされている状態にあるからだ。そんななかでは明瞭に考えられるはずもなく、勉強など無理だ。毎日の生活のなかにも具体的な困難がたちはだかっている。車が買える裕福な人は、15分も運転すれば仕事場に着くだろう。一方、貧乏で車が買えない人は長時間かけてバスに乗って職場に行く。それでも賃金は最低ラインで、家賃を払えるか、子供の教育費が出せるだろうかといった不安にさいなまれる。だから別の仕事もかけもちし、さらにバスに何時間も乗って帰宅するのだ。

そんな生活をしていると自尊心も損なわれる。生活が安定していれば、自信ももてるだろう。だが、貧困だと、仕事場で厳しい上司がすぐに首を切ると脅したりする。彼らは、生活の糧について心配しなくていい普通の人間には想像もつかないような、強烈なストレスのなかで生きているのだ。こうしたすべてが交換神経システムに影響を与える。不安やストレスがあると鬱病になりやすく、共感を抱いたり、合理的に考えたり、創造性や生産性を発揮する能力が損なわれてしまう。

もちろん、こうした社会問題をすべて、ルースが教えてくれたマジックで解決できるわけではない。アメリカには深刻な貧富格差問題がある。まず貧困をなくし、苦しむ人々に十分なケアを行き届かせることを最優先させるべきだ。裕福であろうが貧しかろうが、親はみな子供のことを考えている。しかし、貧困のなかにある親は、生活上の困難やストレスによって身動きができないのだ。

共感やマインドフルネスを実践し、また感情コントロールを練習すると、5、6歳の子供であってもネガティブ感情に対する反応を抑えることができる。そうすれば、「いま、ここ」に集中して学習することが可能になり、前頭葉がうまく機能して思慮ある決断を下すことができる。つまり、感情に任せず、良い・悪いを判断できるようになる。それによって、暴力も減り、学習効果が上がることもわかっている。

わたしは幸運だった。そうしたテクニックを教えてくれる、ルースという人がいたからだ。そのテクニックを使って怒りや恥ずかしさ、不安を取り除くことによって、世界をありのままに見て、心を開くことができた。そうすることで、世界とうまくつながれるようになったのだ。他者は自分とは関係がないと考え、他者とつながっていることが感じられないでいると、自己中心的で薄っぺらな人間になる。わたしはルースの教えのおかげで、そんな人間になることを免れた。(後編に続く)

----------

James R. Doty, M.D.(ジェームズ・ドゥティ)
スタンフォード大学医学部臨床神経外科教授。スタンフォード大学共感と利他精神研究教育センター(CCARE)の創設者兼所長。ダライ・ラマ基金理事長。カリフォルニア大学アーバイン校からテュレーン大学医学部へ進み、ウォルター・リード陸軍病院、フィラデルフィア小児病院などに勤務。米陸軍では9年間軍医として勤務した。最近の研究対象は、放射線、ロボット、視覚誘導技術を使った脳および脊髄の固形腫瘍治療。CCAREでは共感・利他精神が脳機能に及ぼす影響、共感の訓練が免疫をはじめとする健康への影響などの研究に携わっている。起業家、慈善事業家としても幅広く活動。

----------

(スタンフォード大学医学部臨床神経外科教授 ジェームズ・ドゥティ 構成・撮影=瀧口範子)