元中日・野口茂樹氏の今、照明の営業マンに転身していた
18日、TBS「爆報!THEフライデー」では「あの人は今・・・大追跡SP」と題し、元プロ野球選手で中日ドラゴンズや読売ジャイアンツに所属した野口茂樹氏の現在を伝えた。
1999年には中日ドラゴンズの主力として19勝を挙げ、チームのリーグ優勝に貢献した野口氏。最高年俸は1億4千万にまで達したが、31歳で巨人に移籍をすると肘のケガもあり思うような成績は残せず。34歳で戦力外通告を受けた。
それでも肘さえ復調すればと野球浪人を決意。以後、トレーニングをしながらトライアウトを受け続けた。妻の直美さんとは巨人在籍時代に知り合い、結婚したのは野口氏が戦力外通告を受けた約半年後だった。
当時の直美さんは「夜も眠れない時もあった」と不安を語っており、戦力外になって3年、次第に野口氏の貯金も尽きはじめていたという。すると野口氏は、37歳で挑戦した2011年12月のトライアウトを最後に現役への夢を諦め、愛知県豊橋市で照明機器の営業マンに転身した。
同時に、直美さんと妊活をしていた野口氏は、子供に恵まれることなく3年間で6度の人工授精を行ったばかりか、1回の治療が100万円近くになることもある体外受精にも臨んだ。すると一度は失敗したと思っていた体外受精が成功に至り、今年10月、3358gの女の子が誕生。それは7年にも渡り、数々の困難に直面した妊活が実を結んだ瞬間でもあった。寡黙な野口氏は、番組のカメラに「家族のために頑張らないといけない」と父としての決意を口にした。
1999年には中日ドラゴンズの主力として19勝を挙げ、チームのリーグ優勝に貢献した野口氏。最高年俸は1億4千万にまで達したが、31歳で巨人に移籍をすると肘のケガもあり思うような成績は残せず。34歳で戦力外通告を受けた。
当時の直美さんは「夜も眠れない時もあった」と不安を語っており、戦力外になって3年、次第に野口氏の貯金も尽きはじめていたという。すると野口氏は、37歳で挑戦した2011年12月のトライアウトを最後に現役への夢を諦め、愛知県豊橋市で照明機器の営業マンに転身した。
同時に、直美さんと妊活をしていた野口氏は、子供に恵まれることなく3年間で6度の人工授精を行ったばかりか、1回の治療が100万円近くになることもある体外受精にも臨んだ。すると一度は失敗したと思っていた体外受精が成功に至り、今年10月、3358gの女の子が誕生。それは7年にも渡り、数々の困難に直面した妊活が実を結んだ瞬間でもあった。寡黙な野口氏は、番組のカメラに「家族のために頑張らないといけない」と父としての決意を口にした。