1990年に超世代軍を結成し、ジャンボ鶴田、スタン・ハンセンらトップ選手越えを宣言した三沢光晴。だが、相手の壁はあまりに高く、鶴田の三冠王座に挑んだ'91年には急角度のバックドロップ3連発で完敗。
 鶴田の強さばかりが際立つ結果となった。

 '90年春、天龍源一郎が新興団体SWSへの移籍を表明。天龍同盟vs正規軍を興行の柱としていた全日本プロレスは、これにより“団体崩壊”が囁かれることになる。
 窮地脱出のため、まず目指したのはWWF(現WWE)との本格提携であった。この前年にはWWFによる東京ドーム大会『日米レスリングサミット』に全日が全面協力するなど、両団体は良好な関係にあった。

 問題はWWF側の目的が、あくまでも世界戦略の一環としての日本市場進出にあったこと。そのとき日本の既存団体は、たとえ提携先でも競合するライバルとなってしまう。
 全日の利にもなる提携合意に至るには相応の交渉が必要で、これは長期に及ぶことが予測された。そこで持ち上がった対案が、天龍に代わる自団体ニュースターの育成…すなわち2代目タイガーマスクとして活躍していた三沢光晴の格上げである。

 ただし、これも問題がないわけではなかった。ジュニアクラスでは抜群の才を発揮していた三沢タイガーだが、当時は「ジュニアはヘビーの格下」というのが“常識”であり、ヘビー級での実績のない三沢を無理に持ち上げたところで説得力に欠ける。
 まあ、身長196センチ、体重127キロの鶴田と比べれば、ほとんどの日本人レスラーは見劣りするのだが、背に腹は代えられぬ。WWFとの提携が一朝一夕で決まらぬ以上、まずは近々の興行を穴埋めするためにも、三沢の格上げ路線が実行されることになった。

 天龍離脱騒動のさなかの試合において、サムソン冬木(のち冬木弘道)の“執拗なマスク剥ぎ”に怒った三沢は、これを脱ぎ捨てると、以後、素顔で活動することを表明。後輩の川田利明、小橋健太(のち建太)らと『超世代軍』を結成した。
 そうして素顔に戻ってから、わずか1カ月後の'90年6月8日、三沢は鶴田とのシングル戦で見事勝利を収める。
 「三沢の勝利は多くのファンに歓迎されましたが、あくまでも全日の存立危機という状況下でのこと。丸め込み合いをなんとか制した偶然の要素の強い勝ち方で、試合後もマットに伸びたままの三沢に比べて、ジャンボは元気いっぱいレフェリーに抗議していた。とても鶴田越えを果たしたとは言えない内容でした」(スポーツ紙記者)

 事実、この試合から3カ月後の9月1日に行われた再戦では、鶴田がラリアットからのバックドロップ・ホールドで完全勝利を奪っている。
 「それでも三沢と超世代軍を応援する声は日増しに大きくなり、全日の会場は常に熱いファンで埋まるようになりました」(同)

 この頃から三沢は、のちに代名詞となるエルボーを多用するようになる。
 「プロレスでのエルボーといえば、本来は腕の筋肉部分を相手に当てるもの。しかし、三沢は肘から全力で当てていった。直撃したときの威力は拳のパンチ以上です」(プロレスライター)

 同じ超世代軍である川田のキックも、この頃から相手の顔面など急所を狙うものに変わっていった。そんなプロレスの範疇を越える危険な技も、相手が鶴田という怪物だからこそ許された。それぐらいやらねば勝負にならないという意味では、鶴田の強さへの信頼の表れとも言えようか。
 こうして進化していった危険技が、のちに全日を支える“四天王プロレス”のベースになったことを思えば、鶴田こそが四天王プロレス生みの親と言えるのかもしれない。

 だが、そこまでしても三沢は鶴田にかなわなかった。'91年4月18日、王者の鶴田に三沢が挑戦した三冠ヘビー級選手権。エルボーやグラウンドで攻め込む三沢に対し、鶴田はキチンシンク1発で流れをつかむと、ラリアットで吹き飛ばす。
 「フィニッシュとなったバックドロップ3連発の際、実況の若林健司アナが『鬼か悪魔か怪物か、息をのむほどの強さ!』と、叫んだのがすべてでしょう。三沢コール一色だったはずの館内が、試合後にはすべて“鶴田オー!”に変わってしまった。気持ちの上では三沢を応援していても、鶴田の強さにはあらがえなかったというわけで、両者の実力差はそれほど歴然としていました」(同)

 この試合後、鶴田は「三沢たちの高い壁になる」と宣言し、続けて「ハルク・ホーガンと戦いたい」とも表明している。
 WWFはすでに天龍の移籍したSWSと提携していたが、この1カ月前に開催された東京ドーム大会が不調に終わったこともあり、あらためて全日との提携を画策していた。そのことが鶴田の発言からうかがえる。また、鶴田に対抗できる新たな敵を必要とする団体事情もあっただろう。
 しかし、その翌年に鶴田はB型肝炎を発症。希代の怪物も病には勝てず、後進の壁となることもホーガンとの対戦もかなわぬまま、第一線から退くことになった。