理想と現実のギャップに悩むことも多い結婚生活。「この夫婦は仲良いなぁ」と見える2人でも、内情では実はいろいろとあるもの。今回はそんな「いろいろあるけど理想の2人」の代表格の夫婦のお話です。


日本初のファーストレディ伊藤梅子の超絶すぎる「妻力」



内助の功、という言葉を聞いたとき、どんな女性を思い浮かべますか?
北条政子? 坂本龍馬の妻、おりょう?
夫を陰で支えた妻はたくさんいますが、今回は、あるひとりの女性をご紹介します。
「伊藤梅子」……日本の初代総理大臣、伊藤博文夫人です。

梅子は、貧しい芸者見習いとして育ちました。
伊藤博文は梅子と出会いその美しさに惚れ込み、当時、妻がいたものの離縁。
梅子を正妻として迎え入れたのです。

東京での職務を命じられた博文。
内務省の長官に任命され、多くの外国人が家に訪れるようになります。
梅子は、夫の助けになろうと、読み書きもできなかったのに熱心に英語を学び、あまり好きではなかった社交ダンスも必死で覚えました。
そして博文が初代内閣総理大臣に選ばれると、首相官邸での舞踏会で梅子は流暢な英語で挨拶し、多くの人を感心させたのです。

博文は、女性癖が悪くて有名でした。
多くの芸者の愛人もいましたし、なんとその愛人たちを自宅に呼ぶこともあったそう。
そんなときも、梅子は愛人たちを丁重にもてなします。
朝まで過ごした女性には、お化粧や身のまわりの世話までし、土産物に反物を持たせたそう。
国のために必死で働いているのだから、と思っていたのでしょうか。

そんな梅子も、一度だけ本気で怒ったことがありました。
博文が住み込みで働いていた女性と関係をもち、子どもを産ませてしまったのです。
さすがの梅子も大激怒。
このときのすごい剣幕に驚いた博文は、もう二度とこんなことはしないと誓ったのだそう。

博文に怒ったのち、梅子はどうしたか。
その浮気相手にできるだけの思いやりを示し、子どもを引き取って大事に育てました。

愛する夫がハルピンで暗殺された際、梅子はこんな歌を詠んでいます。
「国のため 光をそえてゆきましし 君とし思へど 悲しかりけり」

日本初の、ファーストレディ。
伊藤博文も、素晴らしい女性を妻に持ったことが幸せだったに違いありません。

文/岡本清香

TOKYO FM「シンクロのシティ」にて毎日お送りしているコーナー「トウキョウハナコマチ」。江戸から現代まで、東京の土地の歴史にまつわる数々のエピソードをご紹介しています。今回の読み物は「日本初のファーストレディ、伊藤梅子」として、5月26日に放送しました。

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<番組概要>
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