2月20日のスーパーカップでは、飯田主審の判定を「ミス」と認める形になった。試合後に“誤審”というジャッジが下された時、主審も処分されてしかるべきだ。

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 Jリーグは「得点の見極め、エリア内での事象に対する判定の精度向上を図る」として、追加副審の導入を決定した。ナビスコカップ準決勝4試合と決勝1試合、チャンピオンシップ全試合で採用し、J3の各節1試合でも6月頃から試験的に導入されるようだ。
 
 ただ、追加副審制度で1試合を通じた判定精度は高まっても、主審のレベル向上という根本的な課題は依然として残る。
 
 今季で言えば、2月20日のスーパーカップでG大阪の丹羽がブロックした際、ハンドと判定されてPKを献上し、結果的にG大阪は敗戦。その後、サッカー協会の上川審判委員長は、飯田主審の判定を「ミス」と明言し、誤審を認める形となった。
 
 当然、主審もひとりの人間である以上、誤審があっても不思議はない。ただ主審もプロであるならば、試合後に“誤審”というジャッジが下された時、処分されてしかるべきだ。選手の違反に対してペナルティがある一方、主審の致命的な誤審に対して処罰がないのは不平等だろう。
 
 仮に組織内で、内密に処分を下していたとしても、選手が「何試合の出場停止」と発表されるのだから、主審も「何試合の担当停止」と公にしたほうがいい。そういう厳しさがなければ、レフェリングの質はいつまでたっても向上しないよ。
 
 プロの世界で“誤審”があった時、「あれはミスだった」という笑い話では済まないのだ。一方になにかしらの利益が転がり込み、もう一方はそれ相応の損失を被る。
 
 スーパーカップでは、あの判定によって賞金やタイトルの行方が左右された。選手やチーム、クラブ関係者が損して、主審は御咎めなしという状況は、果たして健全なのだろうか。
 
 少なくとも、レフェリーの名前を前面に出した分析記事があってもいい。選手のミスは名指しで糾弾され、「戦犯扱い」を受ける時もあるけど、レフェリーの誤審になると「誤審」というカテゴリーの記事で終わる。
 
 海外であれば、「戦犯」として主審の名前が大々的に取り上げられて、多角的にジャッジの正否が分析される。これは誰かを吊し上げるようないじめではなく、プロの世界において分析や考察は当然のことだ。
 
 
 判定ミスを責めているのではない。その後の対応が問題なのだ。
 
 例えば、試合ごとに主審の判定を分析し、誤審数を公表するやり方もある。一定の数字を超えたら、厳しい処罰を下す。そして、大一番は最も誤審の少ない主審が担当する。単に過去の実績や担当試合数で判断するのではなく、“判定精度”を基準に考えるべきだ。
 
 これまでもそうだが、日本には「ミスを認める文化」が根付いていないと感じる。スーパーカップの件は極めて例外的で、ミスを認めず、責任の所在をうやむやにする傾向が強いのだ。
 
 試合会場で微妙なプレーのリプレー映像を流さないのは、臭い物には蓋をするかのように、“ミスを認めない文化”の一端だろう。
 
 真剣にレフェリング向上を図るならば、判定精度に応じてAクラス、Bクラス、Cクラスとレベル分けをしてもいい。常にクラスの変動があり、最終的にどのクラスでシーズンを終えたかで年俸も異なる。そうなれば主審同士が切磋琢磨し、自然と成長も促されるはずだ。