クレーマーが日本社会を支配する? 「過剰反応」する社会
「ポポポポーン」というフレーズが印象的だった、ACジャパンの公共広告を覚えている人は多いでしょう。2011年3月11日に発生した東日本大震災を受けて、当時は多くの企業がテレビにCMを流すことを自粛。そして、ほぼ全ての企業がCMを自粛した結果、テレビから流れてくるCMはACジャパンの公共広告ばかりになりました。
これは象徴的な出来事でしたが、普段の日常生活においても、さまざまな場面で「自粛」や「自重」を求める声が発生しています。そして、「不快に思う人もいるのだから自重しろ!!」という理不尽ともいえるクレームに対して、そのまま従ったり謝罪をするなど過剰なまでの反応を示しているのが今の社会といえるのではないでしょうか。
『「過剰反応」社会の悪夢』(榎本博明/著、KADOKAWA/刊)は、日本は過剰なまでにクレームに対して反応する「過剰社会」だと述べた上で、そのメカニズムを解き明かしています。
■ジャポニカ学習帳の表紙から消えた「昆虫」
ショウワノートから発売されているジャポニカ学習帳は、1970年に発売されて以来、多くの小学生に愛用されてきました。ジャポニカ学習帳といえば、表紙を飾る昆虫の写真が特徴的ですが、その写真はカメラマンの山口進さんが世界各地に数ヶ月滞在して撮影してきたものです。
しかし、10年ほど前から「表紙の昆虫が気持ち悪い。ノートを持てない」という苦情が届き始めたといいます。しかも、そのクレームは保護者からだけでなく、現場の教師からも届きました。苦情を受けて、2012年にジャポニカ学習帳の表紙から昆虫は姿を消すことになります。
こうしたショウワノートの対応について、「クレーマーばかりに対応していたらキリがない」「やりすぎではないか」という反論の声がインターネット上で見られ、クレームに対する過剰な反応を疑問視する人も多かったようです。
■感情たっぷりのニュース番組が生み出すもの
では、なぜこういった「過剰反応」が起きてしまうのでしょうか? 著者で心理学博士の榎本氏は、日本社会が過剰反応を生み出していおり、多くの人々に感情的な反応を取らせる構造になっていると指摘します。
例えば、世の中の出来事を伝えるニュース番組では、今や必ずといっていいほど「コメンテーター」や「司会者」が登場し、自分の判断や感情を付け加えた上でニュースを伝えます。これにより、私たちはニュースを受け取ると同時に、コメンテーターたちの「感情」をも受け取ることになるのです。こうなってしまうと、私たちはニュースの内容を自分なりに理解しようと試みる時間も与えられないまま、「かわいそう」「許せない!」といった感情に支配されることになります。
このように、感情優先の報道が多くなってしまったことにより、多くの人が感情的な反応をするようになってしまい、冷静さを失った過剰反応も増えてしまったというのです。
また、本書ではインターネットで起こる「炎上」にも踏み込んで分析しています。
誰もがネットを使ってコミュニケーションをしたり、情報を得たりしているこの時代において、その情報の見方や受け取り方は大きく変わり、誰もが情報に対して声をあげることができるようになりました。しかし、それが時に「炎上」を呼び、企業側もそうした「ユーザーの声」に過剰に反応し、あまりにも消費者の目を伺い過ぎているのではと思える対応をしてしまうこともあります。
日本社会は、人々がクレームを容易に生むことができ、企業や個人はそれに対応しなければならないという構造に陥っているといえます。
どんなことがきっかけとなって、自分がクレームの標的になるかの予測が難しい社会に生きている以上、もはやクレームと過剰反応の問題は他人事ではありません。そういう意味でも、本書は日本社会を生き延びる上での「教科書」だと言えるでしょう。
(新刊JP編集部)
これは象徴的な出来事でしたが、普段の日常生活においても、さまざまな場面で「自粛」や「自重」を求める声が発生しています。そして、「不快に思う人もいるのだから自重しろ!!」という理不尽ともいえるクレームに対して、そのまま従ったり謝罪をするなど過剰なまでの反応を示しているのが今の社会といえるのではないでしょうか。
『「過剰反応」社会の悪夢』(榎本博明/著、KADOKAWA/刊)は、日本は過剰なまでにクレームに対して反応する「過剰社会」だと述べた上で、そのメカニズムを解き明かしています。
ショウワノートから発売されているジャポニカ学習帳は、1970年に発売されて以来、多くの小学生に愛用されてきました。ジャポニカ学習帳といえば、表紙を飾る昆虫の写真が特徴的ですが、その写真はカメラマンの山口進さんが世界各地に数ヶ月滞在して撮影してきたものです。
しかし、10年ほど前から「表紙の昆虫が気持ち悪い。ノートを持てない」という苦情が届き始めたといいます。しかも、そのクレームは保護者からだけでなく、現場の教師からも届きました。苦情を受けて、2012年にジャポニカ学習帳の表紙から昆虫は姿を消すことになります。
こうしたショウワノートの対応について、「クレーマーばかりに対応していたらキリがない」「やりすぎではないか」という反論の声がインターネット上で見られ、クレームに対する過剰な反応を疑問視する人も多かったようです。
■感情たっぷりのニュース番組が生み出すもの
では、なぜこういった「過剰反応」が起きてしまうのでしょうか? 著者で心理学博士の榎本氏は、日本社会が過剰反応を生み出していおり、多くの人々に感情的な反応を取らせる構造になっていると指摘します。
例えば、世の中の出来事を伝えるニュース番組では、今や必ずといっていいほど「コメンテーター」や「司会者」が登場し、自分の判断や感情を付け加えた上でニュースを伝えます。これにより、私たちはニュースを受け取ると同時に、コメンテーターたちの「感情」をも受け取ることになるのです。こうなってしまうと、私たちはニュースの内容を自分なりに理解しようと試みる時間も与えられないまま、「かわいそう」「許せない!」といった感情に支配されることになります。
このように、感情優先の報道が多くなってしまったことにより、多くの人が感情的な反応をするようになってしまい、冷静さを失った過剰反応も増えてしまったというのです。
また、本書ではインターネットで起こる「炎上」にも踏み込んで分析しています。
誰もがネットを使ってコミュニケーションをしたり、情報を得たりしているこの時代において、その情報の見方や受け取り方は大きく変わり、誰もが情報に対して声をあげることができるようになりました。しかし、それが時に「炎上」を呼び、企業側もそうした「ユーザーの声」に過剰に反応し、あまりにも消費者の目を伺い過ぎているのではと思える対応をしてしまうこともあります。
日本社会は、人々がクレームを容易に生むことができ、企業や個人はそれに対応しなければならないという構造に陥っているといえます。
どんなことがきっかけとなって、自分がクレームの標的になるかの予測が難しい社会に生きている以上、もはやクレームと過剰反応の問題は他人事ではありません。そういう意味でも、本書は日本社会を生き延びる上での「教科書」だと言えるでしょう。
(新刊JP編集部)