パリ市内サロン・ド・テの竣工祭

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パリで神道を広める人がいる。2009年からフランスを中心に神道の紹介活動をする長野県藪原神社禰宜・奥谷公胤さんだ。

奥谷さんはフランスにおける唯一の神職として、地鎮祭や七五三、各種祈願など、主に現地の日本人や日系企業から頼まれる「祭祀(さいし)」を取り仕切る。日本人からの依頼の他にも、仏国立東洋言語文化研究所(INALCO)の講義で神道の作法を紹介したり、文化施設においてフランス語で神道の講演をするなど、フランス人に対する発信も精力的に行う。2013年夏には、フランスで初めて神道儀式の1つである「大祓(おおはらえ)」を、市内サンジェルマン・デ・プレの広場で奉仕した。

日本の中で生まれた神道は、外来宗教である仏教などと違いよりドメスティックだ。日本の風土と強固に結びついているため、海外では布教しにくいように思える。なぜ奥谷さんは、フランスで神職としての活動をしようと思ったのだろうか?

日本で当然のことが海外では当然ではない


奥谷さんがフランスへ渡った理由の1つは、彼のこれまでの経歴にある。飛鳥時代から続く神社を実家に生まれた奥谷さんは、国学院大学を卒業後、神社本庁へ就職。国際課でキリスト教、仏教、イスラム教などの海外宗教や国際会議の渉外交渉を担当した。その後、英ウェールズ大学に留学し「ポストモダン社会下における宗教組織経営」というテーマでMBA(経営学修士)を取得し、修了後は明治神宮に奉職。神職としての奉仕に加えて、明治神宮国際神道文化研究所の研究員を務めた。このような神社というドメスティックな場所に身を置きつつも、一貫して海外と交流する機会が多かったことが、奥谷さんにいくつかの疑問を抱かせた。外国人からさまざまな想定外の質問を受けたのだ。

それらのなかには「神社には御神木があるが、御神木以外は神聖じゃないのか」というような、神道が自然なものとして暮らしの中に存在している日本人の観点からは、思いつかないような質問も多かった。説明できるものもあったし、説明できないものもあった。生まれてからずっと神道に浸ってきたにもかかわらず、的確に答えられない自分に、もどかしさを感じた。

また日本社会の、しかも神社で生まれ神社本庁や明治神宮に勤めるといった、一般的な日本人よりさらに神道にどっぷりと浸かった場所にいたため、自分の視野がより狭まっているとも感じたという。

故郷長野県とヨーロッパを繋ぐ


パリでの奥谷さんの活動は、神道の紹介に限らない。奥谷さんの実家、長野県木祖村にある藪原神社は、産土(うぶすな)神社という地域に根ざした社である。産土神社は地域の平安と発展を祈り祭祀を行うことを第一義とし、そこで生まれた神職は、地域に人生を捧げることを使命にする。地元・木祖村の地場産業をフランスで紹介することで、地元の活性化に貢献しようと考えた。

奥谷さんのこの活動はフランスでも実を結び始めている。2010年には、皇太子さまと雅子さまのご成婚の際にも進ぜられた地元の伝統工芸品「お六櫛」を、モナコ公国・カロリーヌ公女に献上する機会を得た。パリの講演会では、講演後に地酒「木曽路」を振る舞い、フランス人から好評を得た。カンヌの高級ホテル・カールトンには木曽漆器を紹介し、地元とフランスを繋いだ。

伝統工芸品は大量生産品と比べ、高価で扱いも難しく、需要が減った現代においては、どの地域もいかにその技術を伝承していくかに頭を悩ませている。そこで奥谷さんは、本当に良いものを作れば、鋭い感性と審美眼で認めてくれるフランスで、それらを紹介しようと思った。その結果始まった新たな地域振興に、今、奥谷さんは手応えを感じつつある。

神道という宗教のジレンマ


すべてが順調というわけではない。現地で文化交流を行ったり、日系人からの祭祀の依頼を受けたりしてはいるものの、結局、神道はフランスにおいて、いつまでもよそ者であるからだ。

神道は(それが外国であるにせよ)基本的にはその土地に住まう神を祀ることで始めて成立する。そして上述したように、神職は祭祀を取り仕切るだけでなく、地域と共に歩んでいかねばならない。海外でこれを行うことは相当難しい。また異教徒を改宗させるような布教活動も神道の考え方ではない。つまり場所がフランスである限り、神道はなかなか成り立たない。

加えて神道は、言葉ではなく祭祀という儀式を通じ継承してきた。言語に規定されない曖昧さは、同じ文化を共有する人々の間では説明が容易だが、それが異なると一気に困難を極める。フランスは言葉による論理性を土台に据えた、日本とは真逆の考え方の国である。物の捉え方が本質的に異なる中で、その神道の曖昧さをフランス風に言語化すると、フランス人を納得させられないどころか、誤解させてしまう。そこに奥谷さんは苦労しているという。

しかしこのようなジレンマを抱えつつも、奥谷さんはフランスでの活動は神職の自分にとっても、日本にとっても、意味のあることだと考える。神社の本殿奥に祀られている神鏡のように、日本固有の信仰である神道をフランスという真逆の鏡に照らすことで、独りよがりではない客観的な見直しができるからだ。
日本固有に熟成した文化が、海外に出た際にどのような方策をとるべきか。その示唆を、奥谷さんは自らの体験を通じ探る途中なのだ。
(加藤亨延)