英明vs新田
昨秋に続き四国大会を制し、優勝旗を受け取る英明・冨田 勝貴主将
「四国大会秋春連覇を意識する?意識どころか初戦の明徳義塾(高知)戦(試合レポート)で負けると思っとったからね。もう、着替えがないわ」
試合前、いつものブラックジョークで報道陣を笑わせたのは英明・香川 智彦監督。その仕草には今年68回を数える春季四国大会の歴史でわずか8校(2007年秋〜2008年春の明徳義塾、1999年秋〜2000年春の今治西<愛媛>、1991年秋〜1992年春の松山商<愛媛>、1986年秋〜1987年春の徳島商<徳島>、1985年秋〜1986年春の高知<高知>、1982年秋〜1983年春の池田<徳島>、1955年秋〜1957年春・1980年春〜1981年春の高松商<香川>、1953年秋〜1954年春の高知商<高知>)しか達成していない偉業を目前に控えた緊張は露ほどもない。
当初・新田のサウスポー陣の先発を予測。今大会8打数3安打3打点1本塁打の好調を買われ、センバツのベンチスタートから初の「4番・左翼手」にまで駆け上がった中野 公貴(3年・172センチ73キロ・右投右打・高松市立古高松中出身)についての評価を聞かれても「ウチは4番不在やからね。(今季は4番が定まらない)巨人みたいでしょ?(笑)」一時が万事、こんな返答であった。
ただ、この発言を額面通り受け取ってはいけない。準決勝・今治西戦のレポートでも記したように、彼らはセンバツを「反省」に変え。昨秋四国大会以上のスキのない集団を創り上げた。
「競争」もその中には含まれる。今大会、田中 寛大(3年・投手・176センチ78キロ・左投左打・高松市立古高松中)・上原 慧(3年・右翼手・172センチ68キロ・右投左打・高松市立古高松中出身)・中野の順となった4番以降の日替わり打順や、左翼手・三塁手の入れ替え、そしてセンバツ直前でベンチ外となった中西 幸汰(3年・投手・左投左打・168センチ64キロ・高松市立香川第一中出身)の準決勝(試合レポート)先発も全て夏に引き出しを作り、最も適した布陣を探るための作業。
今大会7打数7安打打率10割を達成した英明2番・橋本 駿輔
となれば「地に足を付けて、序盤は静かに進めたい」(岡田 茂雄監督)新田の術中に打線がはまりかかっても、個々がなんとかしようとするのは必然だ。
1回表二死一・三塁から三塁ベースに当てる先制二塁打を放った5番・冨田 勝貴(3年主将・一塁手・右投右打・高松市立古高松中出身)は、ファウルフライに対しても「野球でけがするなら幸せ」と言い切る攻撃的守備を体現。フェンスに一度衝突、ベンチに一度飛び込みながらもボールを離さない美技でチームをけん引。
2番・橋本 駿輔(3年・二塁手・167センチ67キロ・右投右打・浜寺ボーイズ<大阪府>出身)も然りだ。4回表二死満塁からの三塁内野安打含む4打数4安打。今大会通算7打数7安打2打点2四球の「Mr、パーフェクト」にもかかわらず、9回表には一死一塁から今大会5個目となる犠打を成功させ、続く森山 海暉(3年・遊撃手・右投左打・167センチ64キロ・三木町立三木中出身)の試合を決める左前適時打を呼び込こんだ。
このように選手たちは相手との戦いと同時に、ベンチとの戦いに勝利しなければ自らが望むポジションは与えられないことを知っている。だからこそ、9回表先頭打者の打球を左ひざ外側に受け、完封を目前にマウンドを中西に譲った田中は、悔しさで目を真っ赤にしながら表彰式を見つめていた。
同時に個人主義を戒める「規律」も厳格に適用される。試合終了直後から表彰式前後に、延々とショートダッシュを課される一選手。その張本人は打者3人から2奪三振を含む完全なるリリーフで「思わず」チーム厳禁事項のガッツポーズをしてしまった中西であった。
「気の緩みを警戒しないと」
表彰式後も偉業を誇ることは一切なく、夏への課題を次々とあげる香川監督。「完全に格上。課題だけ頂いた」新田・岡田監督を含めた周囲の好評価をもろともせず、英明は今後、福岡県高野連招待試合(5月23日(土)に福岡工大城東・大牟田、5月24日(日)に飯塚・折尾愛真と対戦)や、6月14日(日)に履正社(大阪)と対戦する香川県高野連招待試合といった全国レベルとの対戦を経て、「甲子園で勝つ」段階を突き詰めようとしている。
(文=寺下 友徳)