日本ホッケー協会は契約打ち切りに憮然とした様子

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   「極貧」の女子チームとして2004年に大きな話題になったホッケー女子日本代表。日本マクドナルドが04年6月にスポンサーになって「日本代表の救世主」ともてはやされたのだが、ここも2006年10月31日にスポンサー契約を打ち切ってしまった。マクドナルドが開設していた「女子ホッケー協賛活動」のサイトも閉鎖されている。

   アテネオリンピック出場を果たしたホッケー女子日本代表は、「極貧」チームとして度々TVや新聞などで紹介された。当時の年間強化費はわずか2,000万円で、サッカー代表の180分の1。合宿は借りた学校の廊下に布団を敷き、みんなで炊事して経費を切り詰めた。練習用具などは自前で、足りないお金をアルバイトなどで稼いだ。五輪出場を決めてもスポンサーがみつからず、資金不足で海外への遠征試合をあきらめるしかなかった。こんな状況が報道されて、「援助しよう」の動きが活発になる。

和田アキ子も自腹で支援

   学生などが主体になって寄付金を集めたり、TBSの番組「アッコにおまかせ!」で和田アキ子さんが応援し、個人的にもホッケーグッズを自腹で買って支援したりした。だから、マクドナルドがスポンサーに付くという発表は、多くの人から歓声で迎えられた。翌日のスポーツニッポンは、

「ついに救いの手が差しのべられた。安田善治郎監督(57)は『ものすごくうれしい。今まで苦しい状況で強化してきたが、余裕を持って強化できればもっと強くなると思う』と感謝した。協会はさらに募金活動を続けて『貧乏脱出』を図り、メダル獲得をサポートする」

   と書いた。国内のマクドナルドを無料で利用できる「マクドナルド・スペシャル・メンバーズカード」を選手全員に贈ったことも話題になった。

   暖かい応援を受けてアテネ五輪で8位と健闘し、06年9月~10月に行われたワールドカップでは5位に入った。06年12月にはアジア大会を控えていて、ここで優勝すれば北京五輪の出場権が得られる。そんな状況の中、スポンサー契約が打ち切られ、再び「極貧」転落のピンチにさらされてしまったのだ。

打ち切りは「一つの区切り」とマック

   スポンサーを降りた理由を、J-CASTニュースの取材に対し日本マクドナルドの広報は、

「もともと女子ホッケーの契約は2年だったため、一つの区切りとして契約を辞めた。草の根的なスポーツを応援する考えは昔から持っていて、学童野球やサッカーなど様々な(スポンサー契約の)お話を頂いている」

   と話し、日本女子ホッケーに提供していた年間1千万円といわれるスポンサー料を、他のスポーツに提供する考えのようだ。
   日本ホッケー協会はJ-CASTニュースに対し、

「1ヶ月前に契約を継続する意思があるか(マクドナルドに)尋ねたが、あちらが『社内事情で継続はできない』と伝えて来た」

   と憮然とした声で言った。アジア大会を控え、また「極貧」になるのではないかと質問すると、

「スポーツ紙などが面白おかしく書いているだけ。しかし、一つのスポンサーが抜けた以上、それに代わる新しいスポンサーを探さなければならないのは仕方がないことだ」

   と、マクドナルドが抜けたショックはまだ続いている話しぶりだった。