マウンドに山本昌が上がる――その風景をキャッチャーの位置からずっと見続けてきたのが、ドラゴンズの小田幸平だ。

「昌さんって、とにかく大きいんです。すべてが大きい。身長もそうだし、投げたボールも大きく見える。体全体を使って放ってるからなのかもしれないけど、130キロ台の真っすぐがグワーッと大きく見えるんですよ。アニメで言うなら足を上げた瞬間、炎がボワーッと燃え上がる感じ。オーラもすごいし、これまでにやってきたことが昌さんの中に積み重なっているから、何もかもが大きく見えるのかもしれませんね」

 小田は、谷繁元信という球史に残る名捕手が君臨しているドラゴンズにあって、貴重な二番手として存在感を示してきた。とりわけ山本昌が投げる試合では小田がマスクをかぶることが多く(最近5年間では38試合中23試合)、今シーズンも山本昌が先発した2試合は、いずれも小田がキャッチャーとしてスタメンにその名を連ねている。

「ドラゴンズに入ってきたときから、昌さんに『幸平、キャッチング上手いね』って言ってもらったんです。ジャイアンツのときは桑田(真澄)さんにも同じことを言われたことがあったので、オレ、キャッチングには自信持っていいのかな、と思えたんです」

 2014年9月5日のナゴヤドーム、ドラゴンズとタイガースの一戦。

 予告先発は、49歳になった山本昌――これが今シーズンの初登板だった。49歳と25日での先発は、それだけで『出場』『先発』『登板』のプロ野球記録を更新することになる。小田は試合の前日から、かつてない高ぶりを感じていた。小田はこう言った。

「確かにいつもとは違いました。昌さんとはいつも組ませてもらってきましたけど、あの日は、すごい記録ばかりでしたからね。緊張とは違うんですけど、ふと我に返ったとき、『これ、絶対に勝たなアカン試合じゃん、5回までは何が何でも放ってもらわないと......』と思ったら、いつもは2回見る相手打線のビデオを、5回見ちゃいました。タイガースが左ピッチャーをどういうふうに打っているのかを見たかったんですけど、そういえばドームに着いてからも見ましたね。だから、6回か(笑)」

 高ぶっていたのは小田だけではない。この日は、山本昌もいつもと様子が違っていたのだという。

「昌さん、最初はけっこういろんなことをしゃべってましたけど、時間が経つごとに口数が少なくなってきて、そのうち、ロッカーの真ん中に置いてあるでっかいソファーの周りをぐるぐる周り出すんです。まるで犬みたいで、見ているだけでおもしろい(笑)」

 そんな山本昌に、小田は平気でちょっかいを出す。

「そろそろ行っちゃいましょうか、レジェンド」
「レジェンドじゃねえよ」
「レジェンドでしょう、だって49歳ですよ。四十肩じゃなくて、五十肩じゃないですか」

 そんな小田の無遠慮なツッコミにも、山本昌は笑う。

「いろいろおちょくっても、昌さんはそれを全部、受け止めてくれるんです」

 一球投げるだけで記録になる、まさに"伝説のマウンド"――そんな大舞台で、山本昌は5回を投げ切った。しかも、タイガースに1点も許さなかったのだ。

 ポイントとなったのは初回と3回、いずれも得点圏にランナーを置いて迎えた、4番のマウロ・ゴメスに対するピッチングだった。まずは初回、ツーアウト3塁。小田は初球、ストレートのサインを出して、インコースに構えた。

「おそらくゴメスは、スコアラーから『昌さんはシュート(シンカーと言われることが多い球だが、このバッテリーは『シュート』と言う)がいい、カーブがある、まっすぐは速くない』という報告を受けていたと思うんです。そういうとき、バッターはいいと言われてるボールを見ようとする。外のシュートをイメージしているとしたら、インコースの真っすぐには手を出さないんじゃないかと考えました」

 小田の思惑通り、初球のストレートをゴメスが見逃し、ストライク。そのタイミングの取り方を見て、小田はゴメスがシュートを意識していることを確信した。

「だったらエサを撒(ま)いてみようと思って、シュートのサインを出しました。ボールになってもいいという、シュート。そうしたらゴメスが食いついてきた。タイミングよく振ってきて、それがファウルになったんです。これはシュートを狙っているから、遅かれ早かれ、シュートには合ってくる。だったらドーンといった方がいいなと思って、3球目は真っすぐ、それも"勝負球のボール球"のサインを出したんです」

 勝負球のボール球――。

 ストライクではなく、ボールになるつもりで投げる。しかし、あくまでも勝負球。小田はインコース、それも山本昌から見えなくなるのではないかと思うほどの位置、ゴメスのほぼ真後ろに、身を隠すようにして構えた。

「それは、インコースへキツく来てくれよというメッセージです。勝負するんですよ、でもインコースのボール球を放らなアカンのですよ、という......」

 134キロの真っすぐ、ボール球になってもいいというつもりで投げたインコースは、ストライクゾーンいっぱいに決まる。ゴメスは見送って、三振――。

「ゴメスは初球、昌さんのストレートを見て、このスピードならいつでもイケると思ったんじゃないですか。だからシュートかカーブを待っていた。そこへインサイドに真っすぐを突っ込んだから、タイミングが合わなかったんです」

 二度目のゴメスとの対戦は3回。山本昌はフォアボールとヒットで、ツーアウト1、2塁と、ふたたび得点圏にランナーを背負う。ここでバッターは、またも4番のゴメス。この場面、小田は一転、初球から続けてシュートのサインを出した。

「第1打席でゴメスは130キロ台のまっすぐ、しかもツーナッシングからの三球勝負を挑まれて、見逃しの三振を喰らったわけですよ。メジャーリーガーのプライドだって傷ついたでしょうし、今度こそあの真っすぐを打ち返したろうと思うのは当然じゃないですか。だから、シュート、シュートと続けて、カーブとスライダーを挟んで、またシュート。で、フルカウントになったところで考えたのは、第1打席の三振以上に、ゴメスが頭にくることって何だろう、ということでした」

 小田はサインを出した。

 しかし、山本昌が首を振る。

「しょっちゅうです(笑)。ひと試合に2回くらいは首振りますよ。でも、僕は一回もサインを変えたことはないんです。昌さんに首振られても、同じサインを出す。あの場面も変えてないですよ。『これです』ってサインを出したら、昌さんが『イヤだ』と言う。それでも『これだ』と同じサインを出したら、『しょうがない』って感じであきらめて、頷(うなず)いてくれました」

 小田が出したサインは、カーブだった。

「あそこはカーブでイケるという確信がありましたからね。フルカウントまでの過程を考えたら、一球もストレートを投げてなかったので、ゴメスとしては2打席続けてドーンと来られるのは絶対にイヤだったと思うんです。だから彼の頭の中には、決め球のシュートとストレートがあって、カーブはなかったはず。メジャーでもフルカウントからカーブを投げられたことはないんじゃないかと思ったし、昌さんもカーブの調子はよかった。イラついているゴメスにはいいんじゃないか と思って、カーブのサインを出したんです」

 ゴメスに対する6球目、山本昌のカーブは、小田の構えた低めではなく、高めに浮いてしまった。しかし、浮き過ぎたせいで逆に高めいっぱい、ボール気味のカーブになり、打ちに出たゴメスの体も一瞬、浮いてしまう。バットがボールの下をこすって、打球は力なくセンターの前に上がった。結局、ゴメスをセンターフライに打ち取って、山本昌はこの試合、2度目のピンチを無失点で切り抜けた。ベンチに戻った山本昌は、聞こえよがしにこう言ったのだという。

「コイツ、ホントにサイン変えないんだよ」

 すかさず小田がこう返す。

「いやいや、抑えてるんだからいいでしょ、先輩」

 じつはこの場面、山本昌のカーブが高めに浮いたのは、小田の想定内だった。

「だって、あそこで昌さんが低めに放るわけないんですよ。フルカウントですから、ストライクを取りたいに決まってる。なのに低めいっぱいを狙ったら、いい球過ぎて、フォアボールになるリスクがあるんです。だから、低くは来ない。でも昌さんの今日の調子なら、高めに来ても打ち取れる。そういう保険を自分なりにかけてのカーブなんです」

 山本昌は5回をゼロに抑えた。そしてドラゴンズは4回裏、藤井淳志のタイムリーで2点を先制し、その後も投打が噛み合って、6−0の快勝。山本昌は、浜崎真二(阪急)が持っていた48歳10か月での最年長勝利の記録を64年ぶりに更新したのである。初回、ゴメスから奪った見逃し三振もまた、最年長奪三振の記録だった。小田がこう続けた。

「昌さんって試合中、バテるからって水飲まないんですよ。昔の人だから、水飲んじゃいけないと思ってるんですかね(笑)。いっつも氷を噛んでるんです。で、試合が終わるとコーラ。あの日もそうでした。250ミリの缶入りコーラを2本、2口ずつで一気に飲む。『水分摂ってないんだよ、摂らせてくれよ』とか言いながら、ガーッ、ガーッて、2本続けて飲んじゃう。思わず『それ、炭酸入ってるんですよね』ってツッコミたくなる飲みっぷりです。そんなおもろい昌さんだから、縁の下の力持ちでいたくなるんですよ。次の日、新聞を見ても、家族が支えてくれたって書いてあるのに、僕の名前、一個も出てきーへん。でも、そんなこと、気にしません。一応、オレもゲームで昌さんのこと、支えてたんやけど......なーんて、一個も思いませんね(笑)」

石田雄太●文 text by Ishida Yuta