亜細亜大学の3季連続優勝で幕を閉じた2012年の東都大学野球秋季リーグ。多くの試合を取り上げてきたが、そこでは伝えきれなかったエピソードを紹介する『Another Story』。
 今回は“全員野球”を体現した、國學院大学硬式野球部の控え部員を中心とした物語。


4年生全員をグラウンドに


谷内亮太(4年・主将)「ずっと厳しい練習を一緒にやってきましたし、試合に出られないあいつらはもっと辛い想いをしてきたはずです。だから、ベンチ入りは無理でも、ボールボーイやブルペン捕手としてグラウンドの雰囲気を知ってもらおうと思いました。」(10月17日vs東洋1回戦試合後)  


 チームのムードメーカーとして欠かせない存在であるブルペン捕手瀧田拓哉、3年生。しかしチームの最終節、彼の姿はスタンドにあった。
 その理由は、上に記してあるように、谷内亮太らが発案した「最終節は4年生全員をグラウンドに」という配慮により、4年生の学生コーチとしてチームを支えた池田龍生にブルペン捕手を譲ったのだった。ボールボーイも日毎に入れ替え、ベンチ外だった4年生も全員が神宮のグラウンドに立った。  


 瀧田は秋季リーグ戦前「今の4年生と日本一になりたいんです。僕らが1年生の時に、今の4年生である2年生が責任をかぶってくれたり、2年生になっても僕らの不甲斐なさで3年生が4年生からしかられたり。その恩返しをしたいんです。みんなで最後笑って終わりたいです。」と語っていた。  


 日本一にはなれなかったが、事実、最終戦(vs東洋3回戦)終了後に全員が晴れやかな表情を浮かべた。


記念撮影
今季最終戦となった10月24日の東洋戦後に4年生18人(※1人は教育実習のため欠場)と鳥山監督、上月健太コーチで記念撮影。


試合に出ているのと一緒で  


 今年の國學院野球の真骨頂とも言える光景はスタンドにあった。上級生・下級生が関係なく、とにかくみんなが楽しく声を張り上げて応援している。指名打者制の東都でまさに11人目の選手と言っていいほどの活躍だったと言ってもいい。


國學院応援正規


谷内「やっぱりメンバーに入ってないやつに感謝することは大きいですね。メンバーに入れなくて悔しい想いはあったと思うんですけど、バッティングピッチャーであり、ノックのランナーであり、常にサポートをしてくれました。自分たちの練習ができない中でも文句を言わずにやってくれたので、そういうサポートは大きかったと思いますね。」


瀧田「合宿所のいい雰囲気が試合にも繋がりました。」


 その応援団を統率したのが4年生投手の細川貴紀だ。愛知の名門、中京大中京の出身。下級生時代に2試合登板するも、その後は故障に悩まされていた。復活を期すラストシーズンだった。
 しかし春季前、ベンチ入りまであと1歩という段階で故障を再発。ところが彼は「 (ベンチ入りした)メンバーが野球をやっていて、僕らが何かできることはと考えた時に応援しか力になれる事はないな」と応援団のリーダー役を買って出た。監督・選手たちも「1番悔しいはずの細川がベンチ外をまとめてくれたのが大きかった」と口を揃えた。


細川「試合に出たら上下関係無いのと同じように、スタンドも“一緒に戦っている”ので、僕は学年は関係ないと思います。むしろ4年生が率先して応援して、それが良く全体に浸透しました。」


細川応援写真 
細川を中心に統率の取れた応援で相手を凌駕した。レパートリーは、定番からももいろクローバーまでと幅広く個性に富んでいた。


 


目指すところが同じ  


 スタンドでの統率役が細川なら、グラウンドの統率役は谷内、そしてベンチの統率役は学生コーチの内田だ。チームを指揮する鳥山泰孝監督も「わたしが何か言う前に、選手たちにかけるべき言葉を谷内や学生コーチの内田が言ってくれるから、僕は何も言うことはありませんでした」と語るほど、2人に全幅の信頼を置いていた。


 春季前に各校へ取材に行った際、「キーマンは誰ですか?」の問いに「学生コーチの内田かな。」と答えた鳥山監督。後にも先にも、真っ先に学生コーチの名前を挙げたのは鳥山監督のみだった。
 そして谷内。東京ヤクルトスワローズに6巡目指名されたが、プレーはもちろんのこと、精神的支柱としてもチームに貢献した。  


山崎秀平(4年)「(谷内は)声をかけるタイミングとかける言葉が的確なんですよね。どこ行っても成功すると思います。もともと人間性は良かったですし、さらにそこに竹田利秋総監督(前監督)の教えが加わってという感じですね。いい男になりました。」  
 こう谷内を語る山崎秀平は控えの捕手である。捕手には攻守の要ともいえる石川良平(3年)がおり、捕手として公式戦のマスクを被る機会はほぼ無かった。それでも、その役割の重要性をこう語ってくれた。


山崎「“同じポジションは高め合え”というのが、竹田総監督の教えなんです。みんなの目標・目的が統一されてるから目指すところが同じ。だから、キャッチャーは1人しか出られないんですけど、“ピッチャーを育てよう”ということに主眼を置いているので 共同作業なんですよ。投手交代で言えば、ブルペンにいるバッテリーコーチ(学生)の大谷がいかに投手交代がスムーズに行くかということもやってくれていますし。」


山崎秀平
春は出場機会の少なかった山崎だが、チーム内で果たした役割は大きく、1部昇格決定時は喜びを爆発させた。秋季は「対左投手要員」として指名打者や代打で起用され、得点に絡む働きもし、ラストシーズンに花を添えた。


 


4年生が最後までグラウンドに残って


内田コーチ涙



上月コーチと井村


ベンチ外の部員も涙


 こうした1人1人がチームを支え、春季に見事1部昇格を果たした。試合に出ている・出ていないは関係なく、多くの選手が涙しているのが、印象的だった。


 秋季は開幕節で中央に連勝もその後、駒澤と亜細亜に4連敗。だが「せっかく1部目指してやってきたんだから、その舞台で思いきってプレーしよう」とミーティングで4年生を中心に話し、しっかりモチベーションを立て直した残り2カードは、勝ち点を獲得し、2位中央大学と同じ勝ち点3の4位でシーズンを終えた。


 またその裏では、最後でグラウンドに残り下級生の練習も手伝う、ベンチ外の4年生の姿もあった。上月健太コーチによると「こんなことはたぶん史上初めて」という。


高橋亨太郎(4年・主務)「僕らでやろうと言った(ということにした)方がかっこいいのかもしれませんが、最初は監督に“やってくれ”と頼まれました。 もちろんレギュラーは自分の練習が終ったら上がるんですが、細川らはその後の下級生練習にも残って手伝っていました。」


蓑毛(みのも)健哉(4年)「春は正直、残って練習するのはなーと思いながらやってたんですが、春に実際結果が出て、自分たちがした仕事が勝ちに繋がると実感できて、自分たちから率先してできるようになりました。」  


 故障からメンバーを外れ、打撃投手としてチームを支えた蓑毛は大学で野球を辞める。「また野球がしたくならないように最後まで毎日投げました。」と笑って振り返った。


 


努力すれば必ず・・・


國學院で1番学んだことは何ですか?—


蓑毛「辛抱強く続けていれば、何かしらいいことがあるんだということですね」


辞めたくなることはありましたか?—


蓑毛「多々ありました(笑)下級生の頃ずっと怪我してて、やっと治ったと思った3年春にまた同じところ怪我してしまった時が1番の危機でしたね。でも先輩に相談して、“辞めなければ何かしらいいことあるよ“と言われ、立ち直れました。今それが本当だったと実感しています。」


 努力したからといって必ず目標を達成できるわけではない。でも努力したら必ず誰かに・何かに報いることができる。—


 そんなことを彼らは証明してくれた。


 その想いはきっと後輩たちにも届いているはず。シーズンは終ったばかりだが、早くも来年の國學院野球が楽しみだ。グラウンドはもちろんスタンドも。


谷内ドラフト指名の瞬間
2012年度のチームの最終章はドラフト会議。1年間チームを引っ張った谷内のドラフト指名で最高の結末を迎えた。