――その間、左足アキレス腱断裂という大ケガを負い(01年12月)、世界チャンピオンどころか再起そのものが危ぶまれました。

「さすがにあの時は“もうダメかもしれない”という思いが少し頭をよぎりました。練習に復帰してからもスパーリングでめちゃくちゃに打たれましたから。どうしても痛めた左足をかばって重心が右足に乗ってしまうんです。毎日、ボッコボッコですよ(笑)。本田(明彦・帝拳ジム)会長から『もうやめてジムを開いたらどうか』って言われたのも、その頃のことですよ。僕は冗談で言っているんだと思っていたんですが、会長は本気だったらしいです(笑)」

――20代の西岡利晃と30代の今の西岡利晃。もし戦ったら?

「この前、日本チャンピオン時代の自分の試合をビデオで久しぶりに見たんですよ。思っていた以上に強いですね(笑)。えっ、強いな、コイツと。もっと弱いと思っていたので(笑)。でも、試合したとしたらどうかな……やはり今の僕が勝つでしょうね。今のほうがガードもしっかりしているし、じわじわプレッシャーをかけていったら、20代の西岡はジリ貧になるでしょうね。今の僕が勝つのは間違いないですね」

――天才が20代で「努力の人」に変わったように思います。

「そんな感じですかね。10代と20代の前半は勢いで突っ走って、20代半ばは結果がついてこなくて苦しいときでしたね。どうしてなんだろうって悩んでもがきましたから。

 でも、もがいたなかでも真摯(しんし)にボクシングと向き合ったから今の状態になったんだと思います。誰でも真面目に取り組んでいても結果が出ないときってあるじゃないですか。そこであきらめたら終わりだけど、考え方を少し変えて、成功に一歩近づいたと考えればいいと思うんですよ。もっと簡単な言い方をすれば『正義は勝つ』ということです。楽をしようという邪(よこしま)な考えではなく、真実を追い求めて王道を行けば道は開けると思います」


■年2日のために363日を過ごしている

――西岡選手自身は20代の時に遠回りをしたと思っていますか。

「ウィラポン(タイ)と対戦した4度の世界戦では結果が出なかったけれど……だから現在の僕がいるのか、どうなんでしょうね? どれだけ直接の関係性があるのかはわかりませんね。これは難しいなぁ……だって、すべての人が苦労をしないと成長できないのかというと、僕はそうじゃないと思うんですよ。問題はその人の意識だと思うんです。負けていないのに20代で怪物みたいに強い選手もいますから。

 でも、確かなこととして言えるのは、もし2回目の挑戦で僕が勝ってチャンピオンになっていたら、1回目か2回目の防衛戦で簡単に負けて、その後勝ったり負けたりして引退していたでしょうね。これは間違いないと思います。そういう意味では、あの4試合があったから、今の僕がいると言えるかもしれないですね。先のことってわからないもんですよね。人間、棺桶(かんおけ)に入るまでわからないですもん。大事なことは、今現在を一生懸命に頑張るということだと思います」

――西岡選手が考える「プロ論」とは?

「プロボクサーとはいっても、実際はそれだけで生活するのは難しい場合が多いですからね。それひとつとっても、自分の好きなことでご飯を食べていけるって本当に幸せなことだと思います。ボクシングができること、支えてくれるすべての人に感謝しています。ボクシングに対する僕なりのプロフェッショナル論とすれば、最高の状態のまま、“チャンピオンのまま引退すること”です。こだわりを持って戦い続けるのもプロだと思うし、人それぞれだと思います。でも、僕は最高の状態のまま、チャンピオンのまま引退します!」