■「地方の星」が抱えてきた危うさは誰のものか

大分トリニータがナビスコカップで初のタイトルを獲得したのがチーム創設15年目、J1昇格6年目にあたる2008年。バックボーン皆無の一地方都市で、選手を集め練習場を確保するところからスタートした大分FCはこの年、「地方の星」と賞賛され輝きを放つ。それも束の間、満を持して臨んだはずの翌シーズンはリーグ戦で14連敗を喫し10月にはJ2降格決定。それに伴い、見え隠れしていた経営問題が一気に表面化した。

当初は約5億6千万円と見込まれた債務超過は、次々に明るみに出る不良債権などを加えると9億円超。毎年早い時期から翌季のチケット収入を前倒しで当て込み、必死の営業活動で資金を集めては帳尻をあわせてきた自転車操業がとうとう立ち行かなくなった結果で、鬼武健二チェアマン(当時)をして「あってはならない経営」と言わしめた。華々しさの裏で行われていた、無理のある経営。その原因はどこにあったのか。当時の社長・溝畑宏氏の強烈なキャラクターが作用して問題はスキャンダラスに扱われがちだが、移籍金制度の撤廃、スポンサー問題、地域との関係といったひとつひとつの事象を丁寧に検証してゆけば、程度の差こそあれ他クラブにとっても他人事では済まされない現実が見えてくる。

あれから約1年半。クラブは経営陣交代や経費削減、チームコンセプトの見直しなどにより消滅危機を乗り越えながら再スタートを切った。今後のよりよい運営のためにその過去を振り返り、未来へのビジョンを探ってみたい。

■スター選手を獲るだけが魅力的なチームへの道ではない

つねにクラブにつきまとっていた資金難の原因のひとつは、経営規模の割に高額な人件費にある。J2時代のスターレンスやクビツァ、横浜フリューゲルス最後の試合となった天皇杯決勝で決勝点を挙げた吉田孝行をはじめ、名古屋在籍時に外国人最多ゴールを記録したウェズレイら知名度の高い選手、家長昭博や森島康仁といった若手有望株など、話題性に富む補強を繰り返してきた。実力のある人気選手を擁することで戦績向上と入場料増収を図ったかたちだが、年俸は嵩む。

加えて制度改正による移籍金の撤廃にも苦しんだ。2009年ストーブリーグの目玉と言われた金崎夢生は、規約改正前なら推定2億円の移籍金を見込めたところが、新ルール施行の年に契約満了となったため、大分に入ってきたのはトレーニング補償の2400万円のみ。2007年オフに推定2億円の移籍金収入を得た梅崎司のケースを成功譚としてクラブはより一層の育成型運営を目指していたのだが、それも計算できなくなってしまった。移籍にまつわるルール改正を見越して前年の更改時に複数年の契約を結びなおしておくべきだったが、ステップアップのハードルとなる移籍金がかからないよう選手が拒んだり、単純に資金がなかったりしたようだ。

現在チームは若手主体の25人体制で、人件費は昨季比6千万円減。育成に定評のある指導者・田坂和昭を監督に据え、練習試合にユースの選手を参加させるなど下部組織と連携しながらやりくりしている。いわゆる“スター選手”は確かにいないが、育成や広報の仕掛けにより上手くプロデュースしてゆけば、少ない資金で魅力的なチームをつくることは可能だ。

■ヴィジョンなき軌道修正は迷走に繋がる

2009年、名将シャムスカの想定外の失速にクラブは慌てた。早い時点で解任を唱える声も方々から上がったが、フロントは二の足を踏む。就任以来度重なる降格危機を乗り越え、毎年選手が入れ替わるチームを上手くまとめてきた手腕を信じようとしたこと、解任に伴う違約金と新監督招聘資金を都合し難かったこと、ファンやサポーターからの絶大なシャムスカ人気を考慮したことなどが判断を鈍らせた。ようやく新監督ポポヴィッチを招いたのが第19節から。すでにシーズン半ばを越えての交代劇は遅きに失した上に、狙いも不明瞭だった。