「情と恩を踏みにじられた」川内氏 「おふくろさん」騒動の「真相」判明
歌手・森進一氏と作詞家・川内康範氏の間で起きた「おふくろさん騒動」の「真相」が、2007年4月15日発行の本『封印歌謡大全』に掲載された。そこには、川内氏が『おふくろさん』の改変を知って激怒するに至った経緯や、両者の父子同然の関係、川内氏の森氏に対する特別な思いが記されている。
「この『おふくろさん』は、いったいどうなっているんだ。」
『封印歌謡大全』はさまざまな経緯で世に流れなくなってしまった曲について、ライターの石橋春海氏がまとめたノンフィクション。この中に川内氏を取材して書かれた「作家・川内康範と封印作品」という文章がある。そこに、なぜ「おふくろさん騒動」が起きたのかという経緯がつづられているのだ。
「(この騒動は)筆者が火を付けてしまったという方が正しい」として、石橋氏は「おふくろさん騒動」の発端を明らかにした。その経緯はこうだ。
川内氏は自身のレコードやCDのほとんどを寄贈してしまっていて手元に残していなかったため、石橋氏が川内氏の曲をまとめたCDをレコード収集家の友人に作ってもらい、川内氏に手渡した。
最初に渡したCDが好評だったため、2007年1月、2つ目のCDを作って川内氏に渡した。その中に06年の紅白歌合戦で森氏が歌った『おふくろさん』が含まれていて、川内氏は『おふくろさん』が改変されていることに初めて気付いたのだという。
石橋氏は次のように書く。
――康範はにこやかにCDを聴いていたが、4曲目、彼は飛び上がらんばかりに驚いた。その4曲目とは、2006(平成18)年の大晦日に放送された『第57回NHK紅白歌合戦』での、森進一『おふくろさん』である。康範は呻いた。
「この『おふくろさん』は、いったいどうなっているんだ。私が作ったものではない……」
康範が怒ったのは、今まで聴き慣れた『おふくろさん』が始まる前に、短い詞と曲が付け足されていたからであった。――
そして、改変を知った川内氏のマネージャーが森氏サイドに連絡を取った。しかし、
「電話に出た者は「『おふくろさん』は森が広めた歌。それに言いがかりを付けるのか」とも取れるような、終始、失礼な態度を取り続けた」
のだという。
結局、二人は会うことになったものの、森氏がドタキャンしてしまう。
――(森氏は)当日「血圧が180を超えたので行けません」とキャンセルする。康範は「それなら、こちらから見舞いに伺おう」と申し出るが、「来られると、ますます血圧が上がりますので、来ないでいただきたい」との返事。こうして、康範の怒りは頂点に達した。そして、この話がどこからか漏れてしまい記事となり、世間の知ることとなった。――
「歌い手が情を失ったら、その歌は死ぬんだ」
また石橋氏の文章には、実家が寺の川内氏が森氏の母親の葬儀で経を唱えてあげたエピソードや、「日本コロンビアのオーディションに落ち、途方に暮れていた森をビクターに推薦したのは、康範なのである」といった森氏と川内氏の父子同然の特別な関係が紹介されている。
にもかかわらず、森氏は『おふくろさん』の改変について川内氏になんの連絡もしていなかった。
「これでは、康範が怒るのも当然であろう。とはいえ、康範の本意は、著作権云々を問題にすることではない。森の道義的な部分に立腹しているのだ」
こう記した石橋氏は次のように書く。
「康範は森の恩師であるというよりも、『森を息子のように思っている』のであった。だから、今回の『おふくろさん』騒動では、告訴する気持ちなどなかったのである。」
これまでテレビのワイドショーを中心に大々的に報じられてきた「おふくろさん騒動」では、「著作権」がクローズアップされることが多かった。しかし、川内氏が「森にはもう自分の曲を歌わせない」とまで態度を硬化させた裏には、このような情や恩を森氏に踏みにじられてしまったという思いがあった。
そんな川内氏の思いを受け止めた石橋氏はこうまとめている。
――康範は言う。
「歌い手が情(こころ)を失ったら、その歌は死ぬんだ」
この言葉に、康範が言いたいことのすべてが込められている気がするのである。