J3いわてグルージャ盛岡の社長に就任した宮野聡(みやの さとし)氏。地元を中心に350〜400のスポンサーに支えられている。広い岩手県全土でホームタウン活動などを展開してきた(写真:©IWATE GRULLA MORIOKA)

2月1日、J3所属のいわてグルージャ盛岡の社長に33歳の宮野聡氏が就任した。現在のJリーグ最年少社長だ。

宮野社長は慶應義塾大学大学院を卒業後、2010年に東京海上日動火災保険に入社。企業向けの保険商品の開発や営業に従事していた。

「船舶保険をやっていたので世界中を飛び回ったり、外航船舶の中心地でもある愛媛県今治に行っていました。それが社会人生活のスタートです」と話す。

学生時代までサッカーに励んできたが、社会人になってからは無縁だった。転機は2016年のときだ。

「経営コンサルタントに興味をもちはじめたときに、(コンサルファームの)フィールドマネジメントの社長がちょうどJリーグ理事になるタイミングでした。そこには元ヴィッセル神戸で今は名古屋グランパスの清水克洋さんがいたので、好きなサッカーと関われるかもしれないと思ったんです。

まさかフィールドマネジメントに入社してから、こんなすぐにサッカー中心の生活になるとは思いませんでした。2016年に常務取締役という形でフィールドマネジメントから、いわてグルージャ盛岡(運営:いわてアスリートクラブ)へ出向して、イチから企業再生をすることになったのがきっかけです」

フィールドマネジメント社としては、2017年まででグルージャからは退いた。だが、2018年は宮野社長が個人としての想いから社長補佐になった。時間を見つけて、盛岡を訪れたり東京でサポートをしていた。そして今年1月にフィールドマネジメント社を退社し、いわてアスリートクラブの代表取締役社長に就任した。

故郷からJクラブをなくさないために

宮野社長にとって岩手県は出身地であり故郷だ。

「地元愛というよりも、当時は使命感に近い状況でした。そして、いちばんの理由はグルージャのアカデミー・スクールの子どもたちと触れ合ったことです。子どもたちの夢であるJクラブが地元からなくなるとショックが大きいと思ったんです」

経営悪化していた企業を再生し、昨年は使命感から陰ながらサポートをした。社長を打診されたとき、妻からの反対はもちろん大きかった。

「いまでも妻にはすべてを了承されているわけではありません。社長を引き受けてスタートしますが、正直、どう生計を立てていけばよいのか。直近2年間は激務で体を壊してもおかしくない状態だったので、お金の心配をかけないことと体を壊さないことを約束しました」

同じJリーグといっても、J1やJ2と比べ3部相当のJ3は多くの課題がある。

「J3で満足度が低いのが、例えば”おもてなし”。『駐車場が足りない』『グラウンドが遠い』ことよりも、スタジアムに到着してチケットを切る所や駐車場の案内などの『ホスピタリティ』がまだまだです。

試合を見に行った瞬間、『来なきゃよかった』と思われていたら切ないですよね。残念ながらそういうデータがJ1からJ2、J3と落ちていくとはっきり見えてきます。

クラブが意識ひとつ変えれば改善できる話なので、スタッフに共有して1つずつ改善していきたいです。まずはマイナスをゼロにすることを意識しないといけません」

運営資金についても、市民クラブ(親企業がいないクラブ)としての課題がある。J1やJ2に比べてもJ3は市民クラブの比率が高く、地方に本拠地を置くクラブが多い。必然的に県内の経済規模も小さい。そこで興行としてのJリーグらしさを考えると投資が必要になってくる。

「チーム数が年々増えているので、年間予算が4億〜5億円ないと、J3でもいっぱしのクラブになれない状態」(宮野社長)だという。グルージャのような年間予算が3億円前後のクラブは踏ん張りどころだ。

Jリーガーの引退後をパソナも支援

さらなる課題が、選手の給与待遇や引退後の支援だ。J1などと比べJ3には無給の選手もいる。昨年までは所属選手のうち約8割の選手が働いており、スポンサー企業などに働き口を見つけていた。


冬の時期は雪の影響もありアリーナで練習をする。極寒であった(筆者撮影)

「Jリーガーの平均引退年齢は25〜26歳。みんな漠然とした不安を持っています。

引退した後にうまく就職できなかったり、途方に暮れる選手は多い。

グルージャは選手が働くという環境しか用意できていないので、むしろセカンドキャリアも考えつつ『グルージャに来てよかった』と選手に思ってもらえるようにしたいという想いがあり、整備することにしました」

そうした背景もあり、人材サービス業のパソナとパートナーシップを締結した。練習後に働ける職場の選択肢を増やすことや、セカンドキャリアに活かせるスキルを身につける仕事を提供することなどが狙いだ。

「こういった取り組みは今までJリーグではなかったと思いますし、民間の企業の方々にサポートしてもらうのは新しい取り組みになると思います。

『Jリーガーを目指してみようかな』という学生に将来の不安などがなく、大きな夢を持って飛び込んでもらえる環境を作る必要があります。グルージャは、まだまだ下のクラブですが、この環境作りはカテゴリーを問わず大事です」と宮野社長は力を込める。

働きながらJリーガーとして活動することについて、所属選手たちはどう感じているのだろうか?

まず、今季から完全移籍で横浜FCから加入した石井圭太選手(23歳)だ。


石井選手はジュニアユース時代から横浜FCで一貫してプレー、3年目の夏にレンタル移籍でグルージャに加入した。レンタル移籍終了後に横浜FCに戻り、4年目と5年目は横浜でプレーし今に至る経歴だ(筆者撮影)

J2の横浜FCでは仕事をしながらプレーしている選手はいない。午前に練習を行い、午後は自由なので選手の過ごし方はそれぞれ違う。

「僕は結婚して子どもがいるので、家族サービスや自主トレして過ごしていました。J2の選手は時間が余っている選手が多いですね。

ただ、カズさん(三浦知良選手)をはじめ、経験がありさまざまなトレーニング方法を知ってる選手が多かったので、もっとその方法を聞いて、午後の空いている時間にしておけばと思いました」

グルージャへレンタル移籍で加入した際は、仕事をしていなかったが、チームメイトには仕事をしている選手がほとんど。横浜FCでの待遇は恵まれていたことに気づいた。

昨シーズン終了後に横浜FCとの契約が満了になった。将来への不安がよぎったはずだ。

「引退は考えませんでしたが、レンタルでグルージャを経験していたので、働きながらプレーする選択は自然と考えることができました。これからは週に何日か働くことも考えています。働くことで得られる経験もありますし、何より2人目の子どもがもうすぐ生まれますので」

まだ23歳だが驚くほどしっかりしていた。


グルージャでプレーする石井選手(写真:©IWATE GRULLA MORIOKA)

かみしめる自由な時間の大切さ

続けて福田友也選手に話を聞いた。


福田選手は国士舘大を経てFC町田ゼルビア(当時J2)に入り、2017年よりグルージャでプレーしている(写真:©IWATE GRULLA MORIOKA)

「町田のときは仕事はしておらず、サッカーだけに専念していました。去年は週に1回はサッカースクールで教え、グラウンド近くの温泉街の観光協会の手伝いを不定期にしていました。

サッカーだけで大金を稼いで生活に余裕があることは理想ですが、そんな選手はJ1でも一握り。J2でも収入の格差は大きくあったと思います。

ただ会社員に比べると自分たちで使える時間は多いので、いかに有効に使えるか。サッカーを辞めた後の時間のほうが長いので、自由な時間がある今のうちに、それを自分のために有効に使えるかが大事ですね」

最後に年代別の日本代表経験がある宮市剛選手に聞いた。元日本代表で現在、ドイツのザンクトパウリでプレーする宮市亮選手の実弟でもある。

「鳥取ではグルージャほどではないですが、何人かは働きながらプレーしていました。驚きましたし、当時はありえないとさえ思っていました。滋賀では練習後にみんな仕事へ向かう中で、自分だけ仕事をしていないので、ある意味浮いていました。

午後はジムに行ったり、ケアをしたりサッカーのために時間を多く費やしていました。また、親からは大学経由でプロへ進んでほしいと言われていたので、高校卒業後から早稲田大学の通信教育課程であるeスクールを受講しているんです」

そんな中、宮市剛選手は昨シーズン終了後に初めて契約満了を言い渡された。


宮市剛選手は高校卒業後の2014年に湘南ベルマーレに加入、昨シーズンに契約満了となるまでにJ3のガイナーレ鳥取やJFLのMIOびわこ滋賀でもレンタル移籍でプレーするなどさまざまなカテゴリーを経験した選手でもある(写真:©IWATE GRULLA MORIOKA)

「シーズンを通して、怪我もなくコンスタントに試合に出れたので、まだやれるという気持ちが強かったです。

自分はやれると信じられる気持ちは残っているし、その気持ちを持っている以上は選手として続けたい。兄はサッカーでいろいろな経験をしていて尊敬しているし、話を聞くと刺激も受けるので、目標としたいと思っています」

余りある自由な時間をどう活用していくかが重要だ。会社員経験がある者からしたら喉から手が出るほど欲しい時間だが、サッカーの世界しか知らないと恵まれているかどうかもわからない。

筆者はいろいろなサッカーチームを取材してきたが、試合翌日の練習はリカバリーに充てられ、強度が低い練習を短く行うケースが多い。こういった日に練習の一環としてパソコン講座やスピーチの練習などセカンドキャリアに活きる研修を取り入れたらいいと感じた。

「それはいいアイデアですね。パソコンや英会話に興味のある選手は多いので、そのようなきっかけを与えていくことが大事だと思います。リラックスしてネットをやっている時間があったら10分でも20分でもそのパソコンを練習をするとか、英会話がしたいならオンライン英会話をやるなど、学ぶ方法がさまざまあることを知ってもらいたいです。

強いて言えばグルージャの選手には“人生の勝ち組”になってほしい。育った選手たちが将来、いろいろな形でクラブに恩返しのような形で戻ってきてくれたら岩手にとって凄くいいことですし、Jリーグにとっても新しい世界になります」と宮野社長も話す。

損保出身の最年少社長が地元をどこまで変えられるか

「大手企業でサラリーマンとして働いてきて、サッカーもやってきた人間が地元に戻って社長になるケースは私が初かもしれませんね。サラリーマン経験がある人でスポーツビジネスにも興味のある人が、間接的ではなく、クラブに実際に入ってとことんクラブ運営に関わってもらいたいです。

そのロールモデルになるためにも私は失敗できません。地道に1つずつやって、足腰がしっかりしたクラブを作りたい。少しずつ期待してほしいです。2年後、3年後に注目してもらえたらという気持ちで進めていきます」

2018年シーズンのグルージャはJ3の17チーム中13位。今シーズンは3月10日に開幕する。

クラブとしてJ3優勝からJ2、ひいてはJ1にステップアップする夢を目指して、岩手のスポーツ振興にどこまで貢献できるのか。宮野社長の挑戦はまだ始まったばかりだ。