住み込みでメイドを雇えば、家事の問題はすべて解決できるのだろうか?(写真:yacobchuk/iStock)

日本で共働き家庭が増え、夫婦間での家事育児の分担に苦慮する人も増えるなか、家事手伝いの「メイド」さんを雇えばいいではないか、と簡単に言われることがある。住み込みメイドを導入している国の様子が、「こんなに快適!」と非常にポジティブな形でメディアに出てくるのも見かける。


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筆者はシンガポールに住んでおり、約1年間フィリピン人の住み込みのメイドさんを雇っていたこともある。そのためメイド事情について尋ねられることも多い。確かに日本にいる多忙な共働き夫婦は、会社で長時間働き、家事・育児も自らこなし……と、明らかに手が足りていないようにも見える。

はたして「住み込みメイド」はすべてを解決してくれる万能薬なのだろうか? 頼む側の視点、働く側の視点それぞれを踏まえると、費用は家事労働の値段として高いのか安いのか? 実体験や女性学の見地を踏まえながら、さまざまな面から考えてみたい。

ラクではない雇用と教育のプロセス

まずはシンガポール事情。シンガポールでドメスティックヘルパー、つまり住み込みメイドが広く活用されているのは、政府が国としてシンガポール人女性に外で働いてもらうため、フィリピンやインドネシアなどから外国人家事労働者を受け入れている背景がある。

ただし、雇うのが簡単かというと、そうではない。当然、それなりの手間と責任が生じるのだ。

まずは雇用契約。住み込みメイドを雇いたければ、MOM(人材省)に雇用主としての登録をし、eラーニングで必要な知識を学ぶ。家事労働者は雇用主の自宅に住み込むことが前提になり、雇用主はいわば身元引受人となって何かメイドが問題を起こせば責任が問われる。間にエージェントが入ることも多いものの、書類のやり取りなどを代行するのが主な役割で、直接雇用の形態をとる。

誰に来てもらうかを選ぶのも大変だ。すでにシンガポールに来ている人の中からエージェントや前の雇用主に紹介してもらうか、スカイプなどを通じて面接をして人を選んで、渡航してきてもらうのだが、家族の安心を任せないといけないので、20人近く面接して決めたというケースも珍しくない。

費用面だが、まずエージェントフィーや保険、新規で来てもらう場合は渡航費など初期費用が万円単位でかかる。肝心の給与は、家事労働者の出身国や経験によって異なる。

わが家はシンガポールの日本人家庭で働いていたことのある独身のフィリピン人女性に、相場の中では割と高めな月750シンガポールドルで働いてもらっていた。別途税金も300ドル程度かかり、トータルで月にかかる費用は日本円で8万円程度。

そのほかに彼女の食費、シャンプーなどの日用品など生活関連費、医療費を負担。通常は2年経過して契約期間終了時に帰省させてあげるための飛行機代を負担する必要があるが、本人の「家族とクリスマスを過ごしたい」という希望を尊重し、5カ月目には有給で2週間フィリピンへの帰国を認め、飛行機代をこちらで支払った。

月500シンガポールドル(4万円)台で雇うケースもあり、帰国なども認めなければ年間の費用はもっと抑えられるが、わが家の場合は1年間で100万円強をヘルパー費用として支出することになり、その分自分もしっかり稼がなきゃという気分にさせられた。

メイドさん側に入る収入や時給を考えれば安すぎると思う人もいるかもしれないが、母国で同じ仕事をする場合に比べると倍程度稼げるという。また、住居費などがかからず、彼女たちは月収がほぼ可処分所得になる。母国の家族に送金したり、将来のために貯蓄や勉強する費用に充てる人もいるが、シンガポール内で日曜日にオシャレをしたり、メイド仲間と遊ぶのに使っている人もいて、一概にグローバルな経済格差によって「搾取されている労働者」というわけではない。

住み込みメイドにまつわる論点

こうしたメイドの仕組みだが、倫理的にどうなのかという点での議論もある。シンガポールの場合はコンドミニアムの間取りでキッチン脇にヘルパーが滞在できる小部屋があることが多いが、多くの住み込みメイドの住環境は良いとは言えず、プライバシーは守られにくい。

Rhacel Salazar Parreñas,2015 ”Servants of Globalization : Migration and Domestic Work, Second Edition"によれば、カナダやイタリアなど転職の自由や永住権が得やすい国と比べると、UAEやシンガポールは管理が厳しく、人権が制限されているという。 シンガポールに来るメイドさんたちは健康診断で妊娠が分かると強制帰国となり、家族を帯同することもできない。

シンガポールの新聞では、たびたび雇用主がヘルパーを虐待したり食事を与えなかったりした罪に問われているというニュースも報じられる。メイドさんたちが劣悪な環境に置かれた場合に、抜け出すためのサポートの必要性も叫ばれており、NPOやメイドコミュニティが発達している国もある。

女性学の世界では、先進国のホワイトカラー層がこれまで「女性の役割」とされていた家事を別の国の貧しい女性、つまりメイドさんたちに任せることで解決していることについて、その階層化を指摘する議論も巻き起こってきた。

母国に自分の子どもを置いてきて先進国で雇用主の子どもを育てているメイドさんも多く、その葛藤が書籍や論文で多く描かれてきた。ただし、こうした議論は海外でメイドとして働くこと、あるいは雇用主がメイドを雇うことそのものを否定しているわけではなく、残された子どもが父親を含む親せきや公的サポートによりしっかり支援を受けられることや、ある程度の頻度で帰省ができることなどの必要性を指摘している。(参照:Rhacel Salazar Parreñas, 2004`The Care Crisis in the Philippines: Children and Transnational Families in the New Global Economy’)

メイドさんを雇うにはマネジメント力が必要?

彼女たちは国内経済が改善しない限り職に恵まれておらず、前向きに家事労働で出稼ぎをしにきている面もある。筆者としては、この枠組みを一切使わないということではなく、個人同士が良好な関係を築くことがいちばんではないかと考えた。

できるだけ対等に公平に相手に接して、人権に最大限尊重をした雇用関係を持つ。さまざまな経験談やアドバイスも聞いていたので、大丈夫という気持ちもあったかもしれない。ところが、関係構築は理想どおりにはいかなかった。

わが家の場合、メイドさんの稼働時間は当初、朝6時半から、昼間の休憩2〜3時間を挟み、夜20時まで。朝ご飯の準備に始まり、家族を送り出した後に皿洗いや掃除、食材などの買い物に行ってもらったら、午前11時ごろになる。

その後は昼ご飯をとってもらい、子どもの送り迎えが必要な時は15時頃に手伝ってもらい、夕飯の準備、片付け、子どもの寝る支度の準備などをしてもらうというスケジュールだった。

当初はよく働いてくれていたが、そのうちに稼働時間は午前中の4時間程度で、午後は夕飯の準備と片付けをするのみになっていった。彼女の手際が良くなった、子どもがスクールバスを使い始めたなどのポジティブな理由もあったが、一度フィリピンへの帰省をした後、わが家のメイドさんは明らかに仕事をさぼりはじめた。

最低限のことしかやらなくなり、こちらが何かをお願いしても、返事もせず無視することもあった。勤務時間中にフィリピンの家族とWi-Fiを使って長電話していることも増えた。もちろん、彼女にも言い分はあったかもしれないが、こちらは不満が募っていった。

こうしたすれ違いを避けるため、「ハウスルール」と呼ばれる雇用主とメイドの間のルールを設ける家庭も多い。シャワーを浴びていいのは勤務時間後、また勤務時間後の外出には門限を設け、昼間はスマートフォンを取り上げているケースも普通だ。

日々のタスクまで細かく決めている家庭もある。当初はそこまでする必要がないのではと驚いたが、チェックリストを作るくらいの枠組みのほうが感情に左右されず仕事をしてもらえただろうと今では思う。

そのほかにも、2歳の娘を見ていてくれるようにお願いしたときに、けがをしても知らぬ顔……といったことが相次ぎ、指摘をしても改善が見られなかったために、子どもたちを安心して任せておけないと感じるようになった。

お風呂の後に着替えさせるといった「ちょっとした手助け」が必要なときにも、子どもたちも「ママがいい」となり、メイドさんはそれを言われるとすぐに諦めて自室にこもってしまう。子どもたちが15時半に帰ってきてからの子育てはほとんど私がやることになった。

こうした問題をどうにかするマネジメント力も器量も残念ながらこちらにはなかった。年間100万円をかけてのフルタイムのメイドさんを雇っているわりには仕事時間の捻出につながらない――。話し合いをし、結局円満にお別れをすることになった。

メイド経験が教えてくれたこと

「相手を尊重することと、ルールをきちんと決めて守ってもらうことは違う」というのは個人的な反省だが、いずれにせよ、家事は毎日依頼をするには結構なマイクロマネジメントが必要になる。それには向き不向きがある、というのが実感だ。

わが家はマイナートラブルで済んだが、金品を盗まれた、雇用主のプライバシーを近所に暴露された、うそをついて帰国してしまったなどのトラブルも頻繁に耳にする。何人もメイドを雇ってようやく相性のいい相手に出会ったという話も聞けば、シンガポール人夫妻でフルタイム共働きをしていても学童などを活用してメイドを雇わない、あるいは子育てはあくまでも親の役割でメイドには家事のみをお願いする、という家庭もある。

1年間メイドさんを雇って、やめることになったわけだが、気づかせてもらったなと思うこともいくつかある。

1つは、やはり家事は有償であり、誰かの役割として存在するれっきとした仕事だということ。わが家はメイドさんがいなくなることを機に、それでも家庭が回るのか話し合い、夫も自分が担う家事が増えることに同意をした。

今はシンガポール人の方にパートで掃除などを週1でお願いすることにし、それに月2万円程度をかけているが、月8万円-2万円の6万円がかからなくなった。結局日常的な家事の大半をやることになったのは私だが、その労働は私の頭の中では月6万円分。

「主婦の労働はいくらか?」という議論は半世紀以上前からされており、大ヒットドラマとなった「逃げ恥」とその原作の漫画でも議論が再燃したことが記憶に新しい。家事に割く時間に私が稼げる機会費用から換算すればまた違った計算になるが、フリーの物書きとして1日数時間が収入に直結するわけではなく、むしろ「外注したらいくらか、それを自分でやることで節約している」という発想で自分の月収に対する自己評価を6万円上乗せしてイメージするようになった。

シンガポールでメイドさんを雇うことを考えれば、専業主婦として家事・育児を担っている方々は少なくとも年間100万円分以上の仕事をしていると言えるのではないか。

子どもたちも、メイドさんがいると放っぽりだしがちだった食器や洗濯ものなどを自分で片づけるようになり、家族の家事のお手伝いをしてくれたときには30セントのお小遣いをあげるようにした。メイドさんという働き方に一度助けられ、それに対価を支払うという経験をしたことにより、わが家で家事は有償労働に昇格したわけだ。

もう1つは、家事というのは人によってやり方が異なり、「言わなくてもわかってよ」というレベルの「やってほしいこと」も山のようにあるということ。これまで夫に対して「どうしてわかってくれないんだろう」と感じていたことは、メイドさんが来ることによって「逐一言わないと基本的には人には伝わらない」ということもわかった。

取材した家庭の中には、メイドを5年以上雇ってやめて「家族のきずなが強まった」「子どものしつけにちゃんと向き合うようになった」と、気づきを得たというケースもあった。家事を一度外に切り出してみることで、客観視でき、学ぶことは多い。

さて、日本でのメイド活用についてだが、そもそも住居のつくりや法制度上からも、住み込みはなかなかにハードルが高い。ただ住み込みでなくても、昨今は安価で多様な選択肢の中から時間単位などで家事代行のサービスを選べるようになってきている。家事代行は住み込みによるお互いにとってのストレスがなく、サービスを利用できる点でメリットも大きい。

もちろんワンオペ育児をしていれば、毎日少しずつ、朝の支度、ちょっとした洗い物、夜の寝る前の数時間のバタバタを誰かに手伝ってほしい!と悲鳴をあげたくもなる。しかし、とにかく手が欲しい!と思う共働き家庭の叫びも、1人何役もこなす専業主婦も、まずは、夫婦の両方が長時間労働をしなくてすむ社会であれば、つかむべき「手」はまずは家庭内にあるはずだ。

国や都市によっては公的に預ける場所があまりになかったり「家庭で育てる」ことを重視する言説が広まっているゆえに、メイド文化がやむをえず広まったというケースもある(参照:Shellee Colen, 1995‘“Like a Mother to Them”:Stratified Reproduction and West Indian Childcare Workers and Employers in New York’)。もちろん良好な関係を築き、メイドさんと支え合っている形もシンガポールではよく見るのだが、本来的には家事・育児で悲鳴を上げなくても済むようにするには、社会全体で子育てしていく考え方がもっと広まることも重要だろう。