「脱がない私に価値はないの?」アラサーグラドルの苦悶と再出発

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 “現役グラドル兼ライター”。だいたい、「は?」 と言われて聞き返されるが、30歳を過ぎた現在の私、吉沢さりぃの肩書だ。年に2回ぐらいは地上波にチラッと出て、たまぁに雑誌にグラビアが載り、文章を書いて、飲み屋で働きながらファンを相手にお酌をしてなんとか生きている。知名度と収入はまだまだ欲しいところだが、今の生き方にはけっこう満足している。

 一方で、私が着エロをやっていた時代に同期だった子のなかには、AVに出た子もいれば、結婚した子もいるし、知らぬ間にフェイドアウトをした子もいる。グラドルの賞味期限はそう長くない。辞めていった多くの子たちは何かしら「限界を感じた」と言っていた。

 よほどのルックスだとしても水着だけで仕事が成り立つ期間は数年だ。そこでグラドルに突きつけられる“セカンドキャリア”問題。そんな私も紆余曲折あり、何度か姿を消している。今回は、私自身の体験を綴っていきたい。

◆脱がない私に価値はないの?

 私は、高校生の頃から漠然とグラビアアイドルになりたいと思っていた。理由はいくつかあったが、幼少期から親や親族に「可愛くないから勉強しろ」 と言われていたのがいちばん大きいだろう。逆に容姿を使った仕事をすることで、散々ブスと罵られた過去を覆したかったからだ。

 大学進学と同時に上京し、東京で出会った友人や彼氏は「ヤンマガとかに載ってそう!」と私を持ち上げてくれたが、現実はそう甘くない。大手のグラビア事務所に片っ端から履歴書を送るもほぼ全滅。やっと入れた中堅事務所は「DVDの契約が出来なかったので……」と所属2週間でクビを切られた。

 それでも諦められなかった私を、当時有名なAV女優が所属していた事務所の社長が拾ってくれた。その女優には芸能の仕事のオファーがたくさんきていたが、当の本人はタレント業に興味がなかった。そんなわけで、事務所が泣く泣く断っていた案件を代わりにこなしてくれる子を探していたという。

 私はもうほとんどのグラビア事務所に落ちていた。正直うさんくささしかなかったが、藁にもすがる思いだったので、ここに頼るしかなかったのだ。

 DVDはすぐ決まり、そこそこに仕事は入った。でも私が描いていた“グラビアアイドル”では全くなかった。手ブラもTバックも何でもこなす着エロアイドル。露出や過激なシュチューションは増えていく一方だった。

「いつか服が着れたら……」「いつかTVに出れたら……」

 そう願って、どんなことにも耐え続けた。彼氏にも友達にも自分の芸名が言えないまま、事態は進んでいく。いつかタレントになれる、そう信じていたけど、もう「AVに出演する」か、それが嫌なら最低でも「乳首を出す」しか選択肢がないところまできていた。

◆撮影前日にリストカットしてしまうほど…

 私は撮影が恐怖になり、撮影前日にリストカットしてしまうほど追い詰められていた。そして結局、事務所を辞めた。その後、懲りずに2年の期間を空け、名前を変えて正統派グラドルを再び目指した。

 正統派として売れるためにはどうすればいいのか考えた。いま振り返ってみると、自分でくだらないマイルールを作っていたと思う。

 髪はセミロングで黒髪、ネイルはフレンチ、服装は赤文字系。事務所に指示されたわけではないが、趣味は大嫌いな料理と書いていたし、3度の飯より酒が好きなことは伏せていた。見た目がロリ系なのに趣味が競馬というグラドルを「ギャップがあって引きがあるだろうなあ」などと客観視しながら。

 だが、結局はうまくいかなかった。“脱がない私に何の価値もない”ということだけがわかった。芸能界に未練はあるものの、もう諦めようと深く考えないようにしていた。

◆コールセンターでバイトし、彼にはフラれ
 
 こうして時は過ぎ、28歳か29歳の頃。当時の仕事はコールセンターのアルバイト、休日は酒を飲み歩き、趣味は「彼氏」だった。結婚しようと思っていたが、誕生日の3日前にフラれた。そこで、私の未来予想図は全て白紙となる。

 そんなとき、何の因果か失恋の後遺症で引きこもる私に「またグラビアをやらないか」という話が舞い込んでくる。いやいや、もう30歳手前の女が……しかも売れてなかったわけだから復帰しても話題にもならないんじゃないかと思う半面、やっぱり「TVに出てみたかったなぁ」という思いがこみ上げてきた。

 そりゃあTVに出れるんなら出たい。もしも出れたら、こんな話がしたかった。

 当時、飲みの場で過去の体験談をやや盛り気味にぶっちゃけていた私。たとえば、前述のようにグラドルになる予定が散々脱がされた挙げ句、1000万円でAVに出ないかと誘われた話や、枕営業を斡旋されて断ったら社長にブチギレられた話、普通の水着でDVDを出したら信じられないほど売れなかった話、TV番組のスポンサーの半裸のおじいちゃんに追いかけられた話など。

 それらの話はどこでもウケて「深夜番組とか出れそう!」「素のキャラをもっと出せば売れてたんじゃない?」と数人からは言ってもらえていたのだ。

 とはいえ、無名の私がいきなりTVに出れるほど甘い世界ではないことも重々承知していた。同時期に、ライターという仕事がやりたいと漠然と考えていた。なぜかは自分でもよくわからない。やりたいといってもコピーライターをやっていたわけでもなければ、編集部で働いた経験もない。ワードを使ったこともなければPCすら持っていなかった。

◆TVに出れないなら文章で書けばいい

 だから、「ひらめいた!」と言ったら大げさかもしれないけど……。

 グラドルとしての良い経験も悪い経験も文章にしたら面白いんじゃないだろうか、 TVで喋る場がなければ書けばいいんじゃないだろうか--。

 そう考えた私は、グラドルとして復帰することを決意し、ライターも始めてみた。

 入り口なんて何でも良かった。とにかくライターとしての仕事が欲しかった私は、まず自分の経験を包み隠さずに書いた。いわゆる“ぶっちゃけキャラ”だ。安易だと思われるかもしれないが、現役グラドルが書く文章でお金を出してみんなが読みたいもの、興味があるものは、一般人が知り得ない“業界の裏話”だろうと思ったのだ。

 とにかく私の名前でたくさん仕事をするために出来ることは全てやってみた。

 そして、もう誰のせいにもしたくないから事務所には所属せず、フリーランスを選んだ。仕事をやるかやらないかは自分で決めて、自分で責任を取る。

 当然、後ろ盾がないことで、トラブルが起きても処理が出来なかったり、脱がされそうになったり、怖い目にもたくさんあったが、その経験が全てネタとなりライターの仕事として活かせた。

 ライターの仕事がキッカケで、生まれて初めてエキストラではなく地上波の番組にも出れた。テロップに自分の名前が入っていた。出たかった雑誌に出れた。事務所に入っていたときは、全て夢のまた夢だと思っていたことが一つ一つ形となっていった。

◆水着だけでは生きていけない

 この世界に残っている女のコの武器は、水着だけではない。演技にしろ、歌にしろ、ゲーム、競馬、麻雀……挙げたらキリがないが、みんなプラスアルファをもっている。

 水着以外になにもないと、脱ぐか脱がないか、それだけの選択肢となる。脱ぐという行為は一か八かだし、脱がないことを選べば事務所から飼い殺しにされる可能性も高い。

 昔、散々に私をこき下ろした事務所の社長から「活躍みてます。また一緒にお仕事が出来たら」というメールがきた。お昼の情報番組に出たときは最初に所属した事務所の社長がTV局に「吉沢さりぃを世に出したのは俺だ!」と意気揚々と電話してきた。どちらの事務所でも私は冷遇されていたから、彼らが一瞬でも私に対して「惜しい」という感情を持ってくれたことは素直にうれしい。

 借金もないけど、定職もなければ貯金もない、夢も希望もない……そんなアラサーだった私の生活は今、“やりたいこと” で溢れている。

 今後に不安がないかと聞かれれば、正直、不安でしかない。ただ、来年も再来年も水着は着ているだろうし、文章も書いているだろうなと思う。現役グラドル兼ライターという肩書きを名乗っているが、カテゴライズされるのは好きではない。“グラドル” でも“ライター” でもなく、ただ自由に「吉沢さりぃ」をやり続けたい。

 現状、まだまだ成功したわけでもない私が、グラドルのセカンドキャリアについて語るのはおこがましいかもしれないが、こだわりや変なプライドをなくしたことで可能性を広げられたことは確かだろう。<文/吉沢さりぃ>