中国・上海地下鉄のセキュリティチェック。中国など海外では鉄道の乗客に対して手荷物検査を行っている例が存在する(写真:MediaProduction/iStock)

さる6月9日、東京から新大阪に向かっていた東海道新幹線「のぞみ265号」の車内で、刃物を持った男が乗客を切りつけ、男性1人が死亡、女性2人が重傷を負うという事件が起きた。


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目下、ネット上では「乗車前の持ち物チェックを強化すべきだ」「鉄道ではチェックは非現実的だ」といった論議がかまびすしいが、はたして航空機のようなセキュリティチェックは可能なのか。国外の高速列車での事例を見ながら、その現実性について考えてみたい。

海外高速鉄道「手荷物検査」の実態

新幹線乗車時に荷物検査を行うとなれば、おそらく航空機搭乗前に行われるセキュリティチェックのような段取りが組まれることになるだろう。

日本国外では、このような乗車前のセキュリティチェックを行っている高速列車が実際に存在する。このような列車を運行するオペレーターが、旅客に推奨するチェックインなどの締め切り規定をざっと紹介したい。

<セキュリティチェックを伴う高速列車のおもな例>
●ユーロスター(英国―欧州大陸間国際列車)
遅くとも発車30分前に改札通過(すべての荷物のスキャン検査と目的国の入国審査がある)
●スペイン・AVE
発車30分前から改札開始、2分前にクローズ。旅客はセキュリティチェックを受けたのち、所定の待合室に入る
●中国高速鉄道(CRH)
発車20分前にチケット販売終了、4分前に改札クローズ。旅客はセキュリティチェックを受けたのち、所定の待合室に入る
●上海リニア
自動改札機の手前に検査機あり。待合室には随時入場可能。各便は出発5分前にホームへの入場が締め切られる

これらの高速列車の駅に行くと、いずれも空港の出発ゲートエリアのように、検査を終えた人々向けの待合室が設けられている。また、ユーロスターと中国CRHでは、列車ごとに待合室の開放時間が決まっており、あまり早く駅に行ってしまうと、改札外で時間を潰すしかない。

こうしてセキュリティチェックを行っている各国の例を見てみると、遅くとも発車の数分前には改札が締め切られてしまう。つまり、発車寸前の「駆け込み乗車」は無理、というわけだ。

ただ、ユーロスターやスペインのAVEは、運行頻度が1時間当たりせいぜい2〜3本と、日本の新幹線よりもずいぶん少なく、むしろ飛行機の国内幹線の雰囲気に近いスケジュールが組まれている。一方、中国では、CRHだけでなく在来線を走る長距離列車に乗る人にもチェックを行っており、時間帯によっては検査場が混み合うことがある。

「まさか電車に乗るのにセキュリティチェックがあるとは……。発車10分前に駅に着いたら、もう乗れない、と言われ呆然としました」


ユーロスターのチケット券面には「出発30分前までにチェックインすること」と明示されている(赤線部分。筆者撮影写真を編集部加工)

ある日本人男性は、慣れない欧州での個人旅行のさなか、パリ発ロンドン行きのユーロスターに乗り損ない、やむなく大枚をはたいて切符を買い直したことがあった、と語っていたことを思い出す。

ユーロスターが出発するロンドンやパリの駅では、世界中の旅行客が集まる夏のバカンスシーズンともなると、セキュリティチェックを受ける人々で長蛇の列ができる。切符には「30分前までに改札へ」と書いてあるものの、実際のところはチェックに時間がかかりすぎて乗れなかった、という話もあるから困りものだ。

テロ事件があった「タリス」

一方、最高時速320kmの高速運転を行うフランスの高速列車TGV(inOuiに改名)では、国際列車のユーロスターほどの細かいチェックは行っていない。フランス国鉄(SNCF)はそもそも信用乗車方式なので、明確な形での改札がない。

そんな中、TGVの国際列車版といえる「タリス」では2015年8月、アムステルダム発パリ行きの列車内で、自動小銃AK-47で無差別殺人を企てたテロ未遂事件があった。この時は、犯人がいよいよ犯行に及ぼうとした際、その場に居合わせた米海兵隊員らが取り押さえるという奇跡もあって、惨事をギリギリで食い止めた格好となった。

では、その後、タリスの発着する各駅でセキュリティが強化されたか、といえば決してそうでもない。目下のところ、怪しい者に対応するために数人のセキュリティスタッフが駅で見守る程度だ。もっともフランスの場合、テロ事件が何度も起き、依然として「非常事態宣言」が出ているため、駅や空港には機関銃を持った軍隊や警察官が警備に当たる、という状況が続いている。


中国高速鉄道の駅入口にあるセキュリティチェック(編集部撮影)

この手のセキュリティチェックを最も厳格に行っているのは中国だろう。世界最大級の高速列車網を擁する中国では、車両や駅を含む鉄道関連施設の破壊をテロ行為から守るため、全乗客のすべての荷物に対して待合室の手前でスキャンチェックを行っている。

だが、定員が1000人を超える列車も数多く運行されている状況の中でも、検査場は意外と混んでいないように見える。空港では液体物やパソコンをカバンから取り出して、別のトレーに入れて、といった段取りが必要だが、中国の駅では何でもかんでもカバンに入れた状態でスキャンするので、時間に関してはそれほどストレスにはならない。

駅の規模が日本とは違う

JR東海の金子慎社長は、13日に行われた定例記者会見の席上、「鉄道の利便性を損なう手荷物検査は困難」との見方を示した。ところが、CRHは7〜10分間隔で出発しており、「中国でできて、日本でなぜできないのか?」という疑問が残る。


中国国鉄では、所持品検査だけでなくボディチェックもあり、待合室への入口はいつも混雑している(広州東駅にて筆者撮影)

これについては、中国では主要駅の規模が日本と比べ物にならないほど大きい、というのが大きな理由ではないだろうか。たとえば中国南部の広州南駅はCRHの一大ハブターミナルとなっているが、実に28本ものホームがずらりと並んでいる。

また、中国の場合、チケットを買う際に実名をチェックし、そのデータを券面に打ち込むほか、鉄道オペレーター側が身分証明書(外国人の場合はパスポート)のデータを保管しており、万一の際はこれらのデータを使って犯人を特定することが想定されている。

したがって、当局は駅でのセキュリティチェックで怪しい者を発見するだけでなく、チケットの購入段階で監視中の人物はいないかといった、なんらかのチェックを行っている可能性が高い。

中国最大の都市・上海では、なんと地下鉄の乗客全員の所持品もすべてスキャンチェックを行っているのだから驚きだ。「上海軌道交通」と呼ばれる鉄道網は総延長が600kmを上回る世界最長のネットワークを誇っており、1日の利用者数は1200万人に達するとの統計もある。

上海では2010年に万博(エキスポ)が開かれたが、そのころには全駅での所持品のスキャンチェックを実施。万博が終わって8年にもなる今でも各駅では日々検査を行っている。


上海では地下鉄乗車客も所持品検査を受ける。スーツケースを機械に通すのは手間だ(筆者撮影)

高速鉄道と異なり、地下鉄は一般市民が頻繁に利用する足だ。さすがに日々、毎回チェックを受けるのは面倒とばかり、所持品を極端に減らし、スマートフォンだけ持って外出する人も多い。

よく知られているように、中国ではスマートフォンを使ったネット決済が広範に使われている。コンビニやスーパーでの買い物はもとより、交通機関の乗車も現地のSNSやスマホ決済で利用できることから、「日々の外出はスマホと家の鍵のみ!」という人も少なからずいるようだ。

ラッシュ時は大丈夫なのか

心配なのは、「そんなチェックを通勤ラッシュ時に行うと大混乱が起こるのではないか」ということだ。ところが、人々は前述のように極力持ち物を減らして通勤しており(ポシェット程度の小さなバッグならチェックしない、という現実もある)、不思議なことにセキュリティチェックに起因する混乱をそれほど感じない。

一方、上海での生活歴が長い日本人女性は「どうも上海地下鉄のスタッフはきちんとチェックをしていないのでは?」という疑念を口にする。「たまたまバッグの中にヘアスプレーを入れていたんですが、北京の地下鉄に乗ったら『中を見せろ!』と細かくチェックされました。ところが上海では同じバッグを持っていたのにまったくスルー。どうなっているんでしょうね?」と笑う。

本当に念入りにチェックしていたのでは、大量の乗客が押し寄せるラッシュ時に対応しきれないという実情もありそうだ。

「日本のような安全なところで、どうしてこんなことが起こるんだ?」。香港の近郊電車・MTR東鉄線の車内に流れる新幹線殺傷事件のニュース映像を筆者とともに見ていた乗客の一人は、思わずそう声を上げた。

「日本はご飯がおいしくて、物価も香港より安い。あの新幹線で刃物を振り回すヤツがいるとは……。安心して旅行できるように管理してもらいたいものだ」。今回の事件は少なからず外国でも報道されている。このような事件が引き金でインバウンド客の足が遠のくようなことがあってはならない。

「人が集まる場所」の安全対策強化が必要

世界各国の治安当局にとっても、テロ対策は大きな課題としてのしかかっている。たとえば欧州各国では警察官をはじめとする治安部隊が大勢の人が集まる場所で目を光らす一方、市民たちもセキュリティチェックに協力し「皆でテロ事件をなくそう」という意識が徹底している。

日本でも今後、2019年ラグビーワールドカップや、2020年東京五輪・パラリンピックなど国際的なイベントの機会に乗じて、テロや今回の事件のような悪事を働くやからが現れる可能性はゼロとは言えない。現状を見ると、日本の繁華街にいる保安要員の数はほかの先進国と比べても少ないように感じる。

今回の事件を受け、列車内でも何らかの安全対策を講じることが喫緊の課題となっている。とはいえ、列車そのものの利用客に対する所持品チェックの実施は、交通機関としての利便性や機運醸成の状況を考えると実現までのハードルは高いだろう。

まずは、駅をはじめ繁華街など大勢の人が集まるところへの治安・警備要員の増強といった「目に見える具体的措置」の導入が重要ではないか。