ペットを愛し介護もしていた。 関心持ったら最後、人々を魅了する縄文時代、そして縄文人

写真拡大 (全5枚)

皆さんは知っていますか。私たち日本人の歴史のほとんどが縄文時代である事を。縄文時代は約1万2千年続いたと言われています。

今回はそんな縄文時代にフォーカスして、その暮らしを覗いてみたいと思います。

縄文人はどんな言葉を話していたか

縄文人が使っていた言葉は当然ながら記録には残っていません。しかし、万葉の時代の美しく洗練された大和言葉は一朝一夕に出現したものではなく、縄文時代から長い年月をかけて錬成されたものであろう事は推察されます。私たちがよくマンガなどで目にする「獣の毛皮を着て狩りをする縄文人のイメージ」と「しとやかな大和言葉のイメージ」は結びつきづらく感じますが、間違いなく日本人のルーツは彼らなのです。

一説には縄文人の話した日本語は擬態語が多かったのではないかと言われています。例えばセミが「ミンミン」鳴く声、川が「サラサラ」流れる音など、彼らは自然の声に耳を傾け、そばにあるいのちを言葉にして分かち合う事で、彼らの世界を豊かにしていたのではないかと推察されています。

画像:大湯環状列石 Wikipediaより

ペット埋葬に、介護も。心優しい縄文人

考古学の研究によると、縄文人は犬をペットとして大変可愛がっており、犬の死後にはきちんと埋葬していた事が分かっています。ある墓地では丁寧に埋葬された犬の骨の側に、飼い主が置いたのであろう花束の花粉がごっそり固まって見つかっているのです。

画像:犬と縄文人(国立科学博物館の模型)Wikipediaより

更に縄文人骨の研究では、重篤な脊椎性小児麻痺の跡がありながらもきちんと成長して寿命を全うした人骨が見つかっているそうです。この事実は幼児期からの長期に渡る周囲の手厚い介護があった事を示しており、縄文人がいかに心優しく、叡智に満ちた人々であったかを示しています。

極限まで洗練された美しい縄文カレンダー

春には地面に芽吹いた若菜を摘み、夏には川辺で魚を釣り、秋には木々からの恵みの実を採集したり栄養豊富な秋鮭を食べ、冬には肥えた動物たちを必要最低限だけ狩猟し食べる。縄文研究の第一人者、小林達雄氏が提唱する縄文カレンダーを通して見えてくる縄文の一年間は、四季の恵み豊かな日本に生きる生物として極限まで洗練された美しい人間の営みです。そこには食料廃棄問題など存在しません。稲作に頼る事もないので弥生時代以降のように飢饉に悩む事もなかったと言われます。縄文が1万年以上続いた秘密はこの食文化にもあるようです。

昔も今も人だけは進化していない

現代を生きる私たちは「人間は進化した、偉大になった」と半ば当たり前に考えています。しかし縄文は1万年、弥生時代から現代まで合わせても3000年未満、その中で私たちの生きる近現代文明はせいぜい200年あまり。いつから人間は偉くなったのでしょうか。いつ人間が進化したのでしょうか。確かに扱う道具は変わりました。しかし人そのもののかたちは縄文の頃から何も変わってはいません。私たちは地球上に生み落とされた生き物の一端として、自然の恵みを受けずには1日も生き延びる事ができないのです。

今私たちが享受しているこの暮らしが縄文よりも明らかに優れているならば、この文明は1万年以上続くと誰もが胸を張って言えるでしょう。ですが、私たちを取り巻く現実はどうでしょうか。異常気象などが年々深刻化し、不穏なニュースばかりが耳に飛び込んできます。このような暮らしがこの先1万年続くとはどうも考えがたい毎日です。

そうしてふと歩みを止めて振り返った時に、私たち人間の本来の姿とは、四季の恵みに感謝し、生き物としてのささやかな幸福を尊ぶ「彼ら」の姿ではないかと気が付くのです。

画像:三内丸山遺跡 Wikipediaより

今さら縄文人に戻る事は出来ませんが、「縄文」の力はいつの世も私たち日本人の中に脈々と受け継がれている事を忘れないでください。日本人が日本人である限り、永遠になくならないものがここにあるのです。

参考文献:別冊太陽「縄文の力」平凡社アイキャッチ画像:三内丸山遺跡 Wikipediaより