左上から時計回りで、中村俊輔、中田英寿、松田直樹、そしてパク・チソン。いずれも松井がともにプレーし、間近でそのすごさを感じ取ったレジェンドたちだ。(C)SOCCER DIGEST

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 およそ1か月に渡ってお届けしてきた、元日本代表MF松井大輔のインタビュー連載。自身のサッカー哲学や新天地ポーランドでの日々を語ってもらいつつ、ハリルジャパンへの提言、鹿児島実高時代のレアエピソード、ポーランド代表攻略法などさまざまなメッセージを届けてくれた。

 
 最終回となる今回、“目利きのひと”松井に依頼したのが「最強ベストイレブン」の選定だ。
 
 対象となるのは、これまで国内外のクラブや日本代表でともにプレーした選手たち。日常的にトレーニングで接した、間近でそのすごさを目撃したホンモノに限定してみた。この回答が、また松井らしい愉快痛快なものに。現在の欧州サッカーシーンをリードするビッグタレントから、京都サンガ時代に同じ釜の飯を食ったアジア歴代最強MF、「え? 誰?」と突っ込みたくなる渋いセレクト、そして新旧日本代表のレジェンドたちまで──。
 
 稀代の名アタッカーが選び抜いた、ファンタジー溢れる11人だ。
 
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 けっこう難しいですね、これ(笑)。ちょっと思い出しながらやってみましょうか。フォーメーションは、4-2-3-1でいきます。
 
 まずは、キーパー。これはペレ(ヨアン・プレ)でしょう。ル・マン時代に一緒だった選手で、いまはどこにいるのかなぁ(編集部・注/マルセイユ所属)。190センチ台の後半くらいあって、ものすごく能力が高かったから、『絶対にフランス代表になるぞ』って言うてたんですけど、最終的にパリ・サンジェルマンにおるときに第3GKくらいになりましたからね。すごい身体能力でしたよ。
 
 右サイドバックは駒野(友一)。同世代ですし、いまでもいぶし銀のプレーが光ってますよ。左はね、ユウト(長友佑都)にしときましょうか。1対1は強かったし、身体も強いし、キャラ的にも気持ち悪いし(笑)。あと、私服もダサい(笑)。イタリアに行ったときですよ。『おいしいパスタ食べたいんやけど?』って訊いたのに、肉料理の店紹介してくれましたからね。まったくひとの話を聞いてへん。
 
 センターバックのひとり目は、マルコ・バシャ。知ってます? 彼もル・マン時代の仲間で、いまはリールやったかな。とにかくデカくて速かったですね。もうひとりは松田直樹さん! 1対1で対峙したとき、すごい楽しかったというか、抜きがいがあるというか、やってて不思議な感覚やったのを覚えてます。僕は19歳か20歳くらいで、ものすごい壁を感じた。Jリーグにも代表クラスのディフェンダーはいっぱいおったけど、頭もホンマに良かったし、松田さんが一番ですね。


 
 2ボランチは、やっぱり(パク・)チソンは入れときましょうか。もう万能タイプで、フィジカルが強くて、嗅覚というか得点能力も高かった。あの頃の京都はチソンがいないと勝てなかったですからね。ふたり目は(ブレーズ・)マテュイディ。いまやユーベで活躍中ですけど、サンテティエンヌで同僚でした。彼も強烈でしたよ。当時は掃除屋さんと言われてて、それこそコンちゃん(今野泰幸)をさらに強くしたような選手。ボール奪回力がすごかった。強烈な印象がありますね。
 
 トップ下は文句なしでヒデさん(中田英寿)。僕にとってはずっと観てたひとで、すべてにおいてお手本でした。間近で見たら筋肉とか半端なかったし、あの当時のイタリアの第一線でやってたこと自体がすごい。ル・マンに移籍してからは、とくに参考にさせてもらってました。
 
 右サイドはサンテティエンヌで一緒だった(ディミトリ・)パイエかな。2列目で組んでたんですけど、当時からあのパンチ力は強力でしたよ。左はカズ(三浦知良)さんにやってもらって、カットインから豪快にゴールを狙ってほしいんですけど、トップがちょっとすぐには思いつかないから……。左サイドはシュンさん(中村俊輔)に任せて、キングにはトップを、ストライカーに徹してもらえればと思います。
 
 それにしても、なんとも言えんチームですね、これは(笑)。
 
<了>
 
取材・文●川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)
 
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PROFILE
まつい・だいすけ/1981年5月11日生まれ、京都府京都市出身。地元の藤森中から名門・鹿児島実高に越境入学し、メキメキと頭角を現す。3年時には高校選手権で準優勝を果たした。卒業後は京都サンガに入団。世代別代表でも持ち前の技巧とドリブルで存在を示し、2004年アテネ五輪ではナンバー10を背負う。同大会終了後に欧州挑戦をスタート。フランス2部のル・マンでスターダムを駆け上がり、サンテティエンヌ、グルノーブル(ともにフランス)、トム・トムスク(ロシア)、ディジョン(フランス)、スラビア・ソフィア(ブルガリア)、レヒア・グダニスク(ポーランド)と渡り歩いた。2014年春にジュビロ磐田へ移籍し、10年ぶりのJリーグ復帰。3年半プレーし、昨年8月にふたたび欧州へ旅立ち、現在はポーランド2部のオードラ・オポーレに籍を置く。日本代表では31試合・1得点の記録を残し、2010年南アフリカ・ワールドカップでベスト16進出に、翌年のアジアカップでは優勝に貢献した。Jリーグ通算211試合・25得点(うちJ2は116試合・18得点)。175センチ・68キロ。
公式ウェブサイト=http://matsuidaisuke.jp/
サッカージャンキー=http://soccerjunky.com/