キャプテンマークを巻いたMF神谷優太(湘南ベルマーレ)が両手で顔を覆い、ディフェンスラインを束ねたDF庄司朋乃也(しょうじ・ほのや/ツエーゲン金沢)が天を仰ぐ。

 2時間前、希望と野心とほどよい緊張感に包まれていた選手たちは、思い描いていたのとは異なる感情で、試合終了を告げるホイッスルを聞いた。


この中から何人が森保ジャパンのコアメンバーとして残るのか

 ハリルジャパンが北朝鮮を1-0で下した約45分後、タイのブリーラムで森保一監督率いるU-20日本代表が初陣に臨んだ。

 タイ、北朝鮮、日本(以上グループA)、ベトナム、ミャンマー、ウズベキスタン(以上グループB)の世代別代表が集結したM-150カップ。地元タイとの初戦は49分にGK大迫敬介(サンフレッチェ広島ユース)のキャッチミスによって先制され、3分後に神谷のミドルシュートで追いついたものの、64分にアーリークロスから相手選手に抜け出され、1-2で敗れた。

 森保ジャパンは2年半後の東京五輪に出場する、いわゆる五輪代表チームである。

 このあと、年明け1月に中国で開催されるU-23アジア選手権に参戦し、同年8月にはジャカルタ・アジア大会に出場。2020年にはふたたびU-23アジア選手権(兼東京五輪アジア最終予選)を戦い、東京五輪を迎えるという大きな流れは、2016年のリオ五輪に出場した手倉森ジャパンと変わらない。

 だが、大きく異なることがある。

 ひとつは、オリンピック開催国の日本は、すでに東京五輪への出場権を得ていること。そしてもうひとつは、チームの立ち上げ時期だ。

 手倉森ジャパンが残した課題のひとつに、立ち上げ時期があった。

 手倉森誠監督の就任が発表されたのは2013年12月。その時点で手倉森監督はベガルタ仙台の指揮を執っており、年末の天皇杯・準々決勝に勝ち残っていた。

 新監督にメンバーを視察して選ぶ時間がなかったため、技術委員会が中心となってメンバーをセレクト。年明けにぶっつけ本番でU-22アジア選手権に臨んだが、選手のコンディションはバラバラで準備期間もなかったため、指揮官はオーガナイズに苦労していた。

 だから、その反省から、今回は準備期間を設けたのだと考えられた。

 ところが、森保監督の思惑は違った。

 11月30日に発表された今大会のメンバーリストには、この年代のトップランナーである5月のU-20ワールドカップ出場選手は含まれていない。「基本的に今回と次の1月の中国に行くメンバーは分けて考えています」と森保監督は明言した。

 つまり、まずは2チームを結成し、できるだけ多くの選手を手もとで確認し、アプローチするという手法を選んだわけだ。指揮官は言う。

「この年代の選手をより広く、ラージグループとして捉えながら、選手を見させていただき、最終的にコアな部分を作っていきたい」

 こうしてM-150カップには代表経験が少なく、一緒にプレーした経験も少ない選手で臨むことになったが、準備期間はほとんどなかった。

 12月6日に千葉県内に集合して練習を行ない、指揮官がサンフレッチェ広島時代に採用した3-4-2-1同士で紅白戦を行なった。7日はタイへ移動し、調整メニュー。8日は試合前日だったが、「やりたいことがたくさんある」と指揮官は2部練習を敢行し、3-4-2-1のエッセンスをさらに落とし込むと、午後練習では4バックにもトライした。

 その成果は、タイ戦でたしかに見て取れた。

 5-4-1のコンパクトな守備ブロックを披露。「試合前に(神谷)優太から『ラインを高くしてほしい』と言われていたので、それをやろうと思っていた」と、ディフェンスリーダーの庄司が明かしたように、センターサークル付近まで最終ラインを押し上げ、高い位置でボールを奪ってショートカウンターを繰り出す狙いは見えた。

 前半は攻撃を急ぎ過ぎるあまり、強引にドリブルを仕掛けてボールを失うシーンが頻発したが、後半になるとボランチの神谷とMF松本泰志(サンフレッチェ広島)を中心に攻撃の緩急が生まれ、中央からとサイドからのバランスも改善された。

 両ウイングバックが攻撃の際にウイング然と高い位置を取るのも、広島時代にお馴染みの光景。とりわけ、左ウイングバックのMF菅大輝(コンサドーレ札幌)は左足から好クロスを何本も放った。

 勝ち越されたあとには、3バックの左に入っていたDF麻田将吾(京都サンガ)を下げてFW上田綺世(うえだ・あやせ/法政大)を投入し、4-4-2へと破綻なく移行した。

 指揮官は「選手にも新しい戦術にトライすることに柔軟性を持ってほしい。そして対応力を持ってほしいと話している」と語ったが、この「柔軟性」や「対応力」はハリルジャパンや手倉森ジャパンと共通するキーワード。このあたりに、技術委員会の推奨する代表チームの方向性がうかがえる。

 準備期間は短かった。そのなかで成果もあった。さらに言えば、日本が20歳以下の代表チームであるのに対し、タイは22歳以下の代表チームで、2歳の差があった。エクスキューズはいくらでもあった。

 ただし、厳しいことを言えば、それでも勝利をもぎ取らなければ、結果を残して指揮官に強烈なインパクトを与えなければ、東京五輪のメンバー18人をめぐるサバイバルには生き残れない。

 2012年ロンドン五輪に出場した関塚ジャパンは、初陣となった2010年アジア大会がJリーグ開催期間中に行なわれたため、ベストメンバーを招集できなかった。Jリーグで出場機会に恵まれていない選手と大学生を中心に臨んだが、金メダルを獲得。この大会で指揮官の信頼を得た山口蛍、山村和也(ともに現セレッソ大阪)、鈴木大輔(現タラゴナ)、東慶悟、永井謙佑(ともに現FC東京)らは中心メンバーになっていった。

 前述したように、手倉森ジャパンの初陣に臨んだのは指揮官が選んだメンバーではなかったが、この大会で指揮官から高く評価された中島翔哉(現ポルティモネンセ)、浅野拓磨(現シュツットガルト)、鈴木武蔵(現松本山雅)、原川力(現サガン鳥栖)、植田直通(現鹿島アントラーズ)、矢島慎也(現浦和レッズ)らは、その後も主力選手として重用された。

 その点で言えば、このタイ戦で爪痕を残したのは、神谷だけだったと言える。

 現時点で、1月のU-23アジア選手権にエントリーされるU-20ワールドカップ出場組にアドバンテージがあるのは確かだろう。だが、庄司が「自分次第だと思っている」と言うように、結果を残せば序列はいくらでも覆すことができる。

 サバイバルという点では痛恨の敗戦だったが、11日には北朝鮮戦があり、決勝進出の可能性も十分あり得る。挽回のチャンスは残されている。

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