水をかけられ、バッシングを浴びた城彰二を救った「カズの言葉」
私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第2回
W杯3連敗。成田空港「水かけ事件」〜城 彰二(3)
(1)『日本が初出場したW杯。帰国した城彰二を襲った「あの事件」に迫る』から読む>
(2)『惨敗のW杯、日本代表へのバッシングが、なぜ城彰二に集中したのか?』から読む>
日本が初のW杯出場を果たした1998年フランス大会。結果は3戦全敗に終わった。
それでも、新東京国際空港(現・成田国際空港)の到着ロビーには、多くのファンやサポーターがフランスから帰国してきた日本代表を出迎えていた。「よくやった」など好意的な声が飛んでいたが、選手たちに笑顔はなかった。結果を残せず、自らの不甲斐なさに打ちひしがれていた城彰二も、ややうつむきながら出迎えのファンの間を歩いていた。
帰国した空港で飲料水をかけられた城彰二(中央)。photo by Kyodo News
そのときだった。
いきなりペットボトルが飛んできた。口が開いたペットボトルから水が勢いよく飛び散り、城のスーツに降りかかったのだ。
すぐさま、城の後方にいたサッカー協会の広報担当がすっ飛んできた。怒号が飛び交い、城の後ろにいた平野孝はペットボトルが飛んできた方向を睨みつけた。広報担当はそのまま城をガードしながら出口に向かい、ペットボトルを投げた男はすぐに警備員に取り押さえられた。
「水をかけられたときは『なんだよ』って思ったよ。たぶん、普通の精神状態なら『ふざけんな』って怒っていたと思う。もしかしたら、殴り合いになっていたかもしれない。でも、そういう精神状態じゃなかった……」
フランス滞在中、日本中の騒ぎはチームに送られてきたFAXなどで、城もなんとなくわかっていた。結果を出せなかった”エース”に対して、世間の風当たりが強いことも認識していた。
城は「そういう精神状態じゃなかった」と語ったが、結果を出せなかったことに責任を感じていて、水くらいかけられても仕方がないという気持ちがあったのだろう。相当悔しかったはずだが、その場でそういう表情を見せることなく、悔しさをグッと噛み締めて、あえて平静を装った。
そのときの気持ちは、”エース”という立場となって、想像もつかないような苦しみを味わった者にしかわからないものだった。
空港ロビーを出ると、城は迎えにきていた所属の横浜マリノスの車に、川口能活、井原正巳、小村徳男と一緒に乗り込んだ。スーツは濡れたままだったが、着替えることはなかった。
「このまま帰るか、練習に行くか?」
迎えにきたマリノスのスタッフにそう聞かれた。
「練習に行くよ」
城は即答した。
このまま自宅に戻っても、精神的に落ち着くのは難しい。だったら、練習をして汗を流して帰宅したほうがすっきりする。そう決心すると、痛みが残る右膝をかばいながら練習メニューをこなした。
自宅に帰ってテレビを見ると、画面には空港でのシーンが映っていた。水をかけられ、混乱の中でなす術(すべ)もなく、その場を去っていく自分の姿がそこにはあった。
「テレビから流れてくる情報を見て、聞いて、初めて大会中にどんな報道がなされていたのかを知った。自分が結果を出せなかったことや、ガムを噛んでいたことなどが批判されて水をかけられたんだなっていうのが、自分の中ですべてつながって理解できた。
正直、(一連の報道についても)今までの俺なら『ふざけんな』って思って、いろいろ言い返していただろうね。でも、反応しなかった。ここで何かを言うと、また叩かれるんだろうなってわかっていたので、おとなしくしていた。それは、自分の置かれていた状況を理解していたから。
チームに戻って、監督やコーチは『水をかけたヤツは許さない』って言ってくれたけど、チームメイトからは何も言われなかったし、連絡をしてくる選手もほとんどいなかった。まあ、それは仕方がないよ。きっと、連絡しづらかったんだと思うし」
城を取り巻く異様な空気を察してか、連絡をしてくる友人もほとんどいなかった。城自身、外に出て、人と会うのが少し怖くなっていた。
そうした状況の中、唯一電話をかけてきてくれた人がいた。カズ(三浦知良)だった。そして、カズにはフランスであったことを素直に話した。
「カズさん、俺、現地でメシも食えなくて、吐いたりしたんですよ。プレッシャーが大きくて、結果を出せませんでした」
そう言うと、電話口でカズが大声で言った。
「おまえ、そんなのに負けていたら”エース”なんかつとまんねぇぞ。(空港で)水をかけられたらしいけど、水でよかったよ。俺なんか、卵をぶつけられたし、いろんなものを投げられた。それは、期待の裏返しだ。気にすんな」
カズの言葉が、城の琴線(きんせん)に触れた。
「カズさんにそう言われて、もう泣きそうになったね。ほんと、カズさんの言葉に救われたよ。俺が経験したプレッシャーとか、重圧を理解できるのは、カズさんしかいないわけで、そのカズさんから言われたことだから(その言葉は身に沁みた)。気持ちを切り替えてJリーグでがんばろうと思ったし、カズさんのように精神的にもっと強くならないといけないって思った。もしカズさんの電話がなかったら、しばらく自分の殻に閉じこもっていただろうね」
城はそう言って苦笑した。
カズの言葉によって、W杯でのことは城の気持ちの中では吹っ切ることができたが、空港で水をかけられたあとも、実は城の周辺ではいろいろな”事件”が起きていた。
城のマネジャーが乗るワンボックスカーが放火されたり、自宅マンションの壁などに落書きをされたりした。警察に連絡すると、護衛が必要だということになって、城とマネジャーには警察官の護衛がついた。
そんな城の自宅にはメディアも連日張りついていた。そのため、城はしばらく自宅を離れて、ホテルを転々として暮らしていた。
W杯3連敗の”A級戦犯”につるし上げられたため、通常では考えられないようなことが、城の周りでは起きていたのである。
「正直、殺されないだけマシかなって思っていた。マネジャーの車とか燃やされたけど、海外じゃあ、オウンゴールした選手が殺されたりするわけじゃない。本来、そういうことはあってはいけないことなんだけど、そのぐらい(サッカーに対して)みんな、熱かったということなんだろうね……」
その後、あるテレビ局が「ガムを噛むことで、力が抜けていいプレーができる」という検証番組を放送した。ガムの効能を示してくれたことで、それ以降、過激な嫌がらせは少なくなっていった。
また、城のプレー態度などについてテレビで強烈に批判したあの選手が、「こんなことになって済まなかった」と城に謝罪した。世間の城に対するバッシングに油を注いだ張本人だが、城は「もう終わったこと」と何ら咎(とが)めることなく、水に流した。
日本中が狂騒に包まれたW杯から時が過ぎ、城にも穏やかな日常が戻ってきた。そんなある日、城の中ではある思いがふつふつと沸き上がってきた。
「時間の経過とともに、W杯での悔しい気持ちが(自分の中で)どんどん大きくなっていった。Jリーグでは結果を出せるけど、世界レベルでは通用しない。Jリーグでプレーするたびに、自分と世界とのレベルの差を感じて『もっとうまくなりたい』と思った。そして、この悔しさを晴らすには、海外に行くしかないって思った」
当時は、今ほど日本から欧州へ行く門戸は開かれていなかった。ゆえに、移籍先はなかなか見つからなかったが、Jリーグで1998年に25得点、1999年にも18得点をマークすると、そのオフ、スペインのバリャドリードへの期限付き移籍がついに決まった。
年俸はマリノス(1999年からF・マリノス)時代の3分の1程度だった。しかし、城の中では海外でレベルアップしたい気持ちが勝り、2000年1月にスペインへ飛んだ。
1998年W杯――。カズの落選から始まった壮絶な物語は、城にとってはいったい何だったのだろうか。
「いろいろな意味で、俺のその後のサッカー人生を変えてくれた。世界ってすごい、世界との真剣勝負はW杯しかないんだって感じられた。だから『もう一度、W杯で戦いたい』『うまくなりたい』と思って海外に出ていった。もし、あの経験がなければ、ヒデ(中田英寿)の活躍をすげぇって思いながら、日本でプレーしていたと思う。
それに”エース”という責任の重さ、カズさんのすごさを感じたね。あのとき、W杯でカズさんがいたら、どうなっていたかなって考えた。たぶん、もっと余裕を持ってプレーできていたと思う。自分にかかるプレッシャーがなければ、普段どおりにやれればいいやって思えたはず。カズさんのポジションに自分が立ったとき、(カズさんは)いつもこんなプレッシャーの中でプレーし、結果を出してきたんだってわかった。カズさんは、ほんとバケモノだって思ったね」
現役最後は尊敬する「キング」カズと同じチームでプレーした城彰二。photo by Takashi Watanabe/AFLO SPORT
その後、城はカズとヴィッセル神戸、横浜FCで共にプレーした。横浜FCでは2006年、カズと2トップを組んでクラブ史上初のJ1昇格を決めた。城はそのシーズンで引退を決め、尊敬する”キング”のそばでユニフォームを脱いだ。
カズという存在の大きさを、身をもって経験した城にとって、13年間のプロサッカー人生を締めくくるにふさわしい”とき”だったのかもしれない。
(おわり)
城彰二(じょう・しょうじ)
1975年6月17日生まれ。北海道出身。鹿児島実高→ジェフユナイテッド市原→横浜マリノス→バリャドリード(スペイン)→横浜F・マリノス→ヴィッセル神戸→横浜FC。日本代表では日本初のW杯出場に貢献。1998年フランスW杯に「エース」として出場した。
◆第1回>12年前に中東の地で、 なぜ福西崇史は中田英寿と言い争ったのか
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