そしてそれは、ジーコジャパン時代(02年9月〜06年6月)にも受け継がれた。当初、4−2−2−2を採用していたジーコだったが、途中から3−4−1−2に変更した理由は「Jリーグで一番流行している布陣だから」(ジーコ)。

 4−2−2−2は二等辺三角形と言うより「逆Tの字型」だ。大まかに言えば、中央からせり出すようにボールを運び、真ん中が詰まったら、長躯駆け上がってきたサイドバックにボールを預けるというサッカー。3−4−1−2の前はこれが日本の主流だった。

 80年代後半、その流行を後押ししていたのは読売クラブだった。ラモス等を中心とする高い個人技を生かしたその中央突破は、新鮮かつ華麗で、そのうえ強かった。このサッカーのイメージは、僕らの年代のサッカーファンには依然、根強く残っている。いま、指導者に就いている人も同様だと思う。影響を受けなかった人はいないはずだ。

 ブラジルの流れを汲むサッカーである。ブラジルとの交流も深かったことから、日本はその影響を大いに受けることになった。日本代表監督ジーコの誕生は、その延長線上の出来事だと言える。

 根はけっこう深いのだ。多くの人が共有するこのイメージを払拭するためには、それとは真逆のサッカーをするスーパーチームが出現する必要がある。

 2010年南アW杯でベスト16入りした岡田ジャパンでもダメだった。日本のサッカーは変わらなかった。それ以上の内容と成績で、後世に名を残すような代表チームが誕生しない限り、脈々と息づく悪い癖を、根底から断ち切ることはできない。

 やはり望まれるのは、優れた代表監督だ。現状を打開するためには、2002年日韓共催W杯で韓国をベスト4に押し上げたヒディンクのような人物だ。はたして協会にその認識はあるのか。日本サッカーに迎合するようなハリルジャパンの、とりわけこの2試合の戦いぶりを見ていると、暗澹たる気持ちに誘われるのである。