今回のインタビューでは、キャリアの原点となった高校時代からプロ入り後の過ごし方まで、自身の礎を築いた時代を語ってくれた。写真:富岡甲之

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 原点は高校時代の自主練にある。自分を客観的に見つめ、課題を克服するための明確な道筋を立て、それに沿って練習に励んだ結果、中村俊輔は一気に階段を駆け上った。これまでのキャリアを支えたのは10代での成功体験だったと言っても過言ではない。38歳となった今も輝きを放ち続ける稀代のレフティに、プロフットボーラーの心得、そして大成するための秘訣を聞いた。
(『サッカーダイジェスト』2016年8月25日号より転載)
 
――◆――◆――
 
――実際にプロというものを意識したのはいつ頃ですか?
 
 ……プロになってから、かな。井原さん(正巳/現・福岡監督)や能活さん(川口/現・相模原)の普段の振る舞いを間近で見て、こういう人たちが第一線で活躍しているんだな、と。プロとはこうあるべきだと真剣に考えるようになった。
 
――意外ですね。子どもの頃かと勝手に思っていました。
 
 まだプロがなかったから、Jリーガーになりたいという夢も持ちようがなかった。ただ、マラドーナや、黄金のカルテットがいた時のブラジル代表のビデオは買った。単純にサッカーが上手くなりたかったから。
 
――高校時代から全国的に注目されていましたし、もう少し早くから意識していてもおかしくはなかったのでは?
 
 高校2年の時、スカウトの方が学校に来るようになった。最初は、自分目当てとはまったく思わなくて。だって、まだ2年だし、『誰を見に来たの?』みたいな感じだったけど、スカウトの数が増えていくうちに、あ、自分のことかと気付いて。それでも、まだそこまでプロを意識したわけでもなかった。
 
 3年になると、練習に誘ってもらえるようになって、声をかけてくれたクラブにはほとんど参加させてもらった。だいたいサテライトのチームに混ざっていたけど、それは自分からリクエストをして。
 
――なぜですか?
 
 高卒で入ったとして、当然ルーキーだから、下からの競争になる。そこでライバルになるのは、トップの人たちじゃない。サテライトがどれくらいのレベルなのか、まずはそこを知りたかった。
 
 練習では、ジェフが一番面白かったかな。ボール回しとかが楽しかった。トップの監督がわざわざ見に来て、高校生の俺に懇切丁寧に指導してくれたのも嬉しかった。
 
――3年の時点では、かなりプロを意識していたのでは?
 
 いや、でもまだ真剣には考えていなかったと思う。やっぱりプロに入ってから。そこで完全に意識が変わった。しかも、いきなりトップチームに入れてもらって、この人たちに追いつかなければいけないと必死だった。ミスしたら気まずくなるし、毎日がプレッシャーの連続。とにかく気持ちを高めて練習に臨むようにしていたし、通常の練習以外でも、筋力とか足りないところをどうやって補うかを考えて、なにかしらの行動はとっていた。
 
――1年目からいきなりストイックですね。
 
 (プロは)学生とは違って、生活のすべてをサッカーにかけられる。それが本当に自分にとっては幸せだった。朝起きてご飯を食べて、練習に行って、終わったら少し休んで、午後も少し身体を動かし、夜はお風呂に入って、ストレッチして寝る。
 
 全部をサッカーにつぎ込める。そのサイクルの中で、いかに一つひとつの質を高めるかを考えていた。お金がどうこうじゃなかった。とにかくサッカーを極めたかった。
 
――プロになれば自由な時間ができるし、お金もある。プライベートを楽しく過ごせるような、そういう誘惑もあったのでは?
 
 うーん、でもあんまり誘われなかったかな。俺が、どちらかと言えば、ぶっきらぼうだったのもあるかもしれないけど(笑)、たぶん食事に誘われても行かなかったと思う。だから、暇な時はずっとDVDを見ていた。サッカーはもちろん、あとは『ガキ使』とか『ごっつええ感じ』とか。