「モハメド・アリ ザ・グレーテスト」

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「不可能とは、自力で世界を切り開くことを放棄した臆病者の言葉だ。不可能とは、現状に甘んじるための言い訳にすぎない。不可能とは、事実ですらなくて単なる先入観だ。不可能とは、誰かに決めつけられることではない。不可能とは、可能性だ。不可能とは、通過点だ。不可能なんて、ありえない」

 不可能を可能にしてきたプロボクシング元世界ヘビー級王者、モハメド・アリ(前名カシアス・クレイ)が亡くなった。享年七十四。コメントを出したオバマ米大統領をはじめ世界中が悲嘆にくれ、<20世紀最大のアスリート><KING OF KINGS><ザ・グレーテスト(注1)>と賞賛を惜しまない。

「ボクサーとしては、それまで大男が足を止めて打ち合っていたヘビー級に、フットワークとスピードを持ち込んだ。優れた動体視力で相手には打たせず、ジャブより早いストレートをぶち込んで行くファイトは鮮烈でした」(スポーツジャーナリスト)

 そしてアリを単なるアスリートと違う存在に押し上げたのが、数々の政治的な言動。イスラム教徒となってアリに改名し、黒人差別を糾弾する運動を続け、世界の反権力カルチャーの象徴となっていく。

 遂には、

「ベトコン(ベトナム共産兵)は俺をニガー(注2)と呼ばないし、恨みはない。人殺しをするくらいなら刑務所に入った方がましだ」

 と、アメリカのベトナム戦争(注3)に真っ向から反対して、徴兵忌避。それが原因で王座とライセンスを剥奪された。ジョージ・フォアマン(67)から世界王座を奪った1974年の<キンシャサの奇跡(注4)>は名高いが、アリが長いブランクで全盛期を過ぎてからの勝利だからこそ、奇跡だったのだ。

 そんなアリのキャリア中でも、異彩を放つ試合が1976年6月26日に東京・日本武道館で行われた──アントニオ猪木(73)との「格闘技世界一決定戦」だ。

■アリと猪木、プロレスへの愛憎

 ボクシング側から見た位置づけ(注5)はともかく、リングでアリと対峙した日本人は猪木だけ。ゆえに今日まで、この試合はあらゆる角度から語りつくされてきた。試合直後は「茶番劇。全く面白くない(注6)」と内外で罵倒されていたが、今では「真剣勝負(ガチンコ)だった」「現在の総合格闘技を生み出した試合」という評価が定着し、先ごろ開催日が<世界格闘技の日>と制定されたほどだ。

 しかし、アリがやりたかったのはガチンコでも総合格闘技でも無かった。

「アリは幼少の頃からプロレス好きで、“銀髪鬼”フレッド・ブラッシー(満85歳没)や“アラビアの怪人”ザ・シーク(満76歳没)ら悪党レスラーがお気に入り。彼らの喋りは、アリの毒舌へ影響を与えた。また猪木戦が決まってからは、試合後のゴリラ・モンスーン(満62歳没)に突っかかって飛行機投げで回されたり、ケニー・ジェイ、バディ・ウォルフ(75)といった“かませ犬”たちを派手にKOして見せたりと、ノリノリだった。もちろんアリも心得ていて、手加減しまくったパンチしか出してませんが……」(プロレス史家)

 日本でも楽しい試合を見せようと来日したら、猪木サイドが真剣勝負モード。戸惑ったあげく、互いのいいところを封じ込めるルールとなってしまった。

 一方の猪木もプロレス界の主流をジャイアント馬場(満61歳没)に押さえられたことと、プロレスそのものへの世間の偏見に不満があった。一気に自分とジャンルを上げるために世界のスーパースター、アリを引きずり出したのだ(注7)。

 つまりアリ対猪木戦とは、<プロレスが大好きな史上最高のボクサー>と<プロレスが嫌いな上昇志向のプロレスラー>がプロレスではない試合をした、と見ることも出来る。後に2人とも「あんな怖い試合はなかった」と述懐しているが、アリと猪木の仲はその後も続いた(注8)のだから、認め合ったということだろう。

 いまごろ天国のアリは、こう言ってるかもしれない。

「イノキよ、こっちへ来たら、今度はもう少し面白いプロレスをやろうぜ」

(注1)グレーテスト…自称でもよく言っていた。
(注2)ニガー…黒人への最悪の蔑称。絶対に言ってはいけない。
(注3)ベトナム戦争…ベトナムの共産化を阻止しようとアメリカが介入。
(注4)キンシャサの奇跡…フォアマンの豪打に耐え抜き、8Rにワンツーでアリが勝利。ザイール(現コンゴ)の首都キンシャサで開催された。
(注5)ボクシング側から見た猪木戦…各国の多くの記録で「無かったこと」にされている。
(注6) 面白くない…確かに面白くは無かった。
(注7)アリを引きずり出した…猪木の名前は上がったが、興行的には大失敗。新日本プロレスは数十億円の負債を抱えて倒産寸前に。
(注8) アリと猪木の仲…アリの結婚式に猪木が呼ばれ、猪木の北朝鮮興行にアリが同行し、引退興行にもアリが来日している。また猪木の入場テーマ曲「イノキ・ボンバイエ」が、もともとはアリの自伝映画の挿入歌だったのも有名だ。

著者プロフィール


コンテンツプロデューサー

田中ねぃ

東京都出身。早大卒後、新潮社入社。『週刊新潮』『FOCUS』を経て、現在『コミック&プロデュース事業部』部長。本業以外にプロレス、アニメ、アイドル、特撮、TV、映画などサブカルチャーに造詣が深い。Daily News Onlineではニュースとカルチャーを絡めたコラムを連載中。愛称は田中‟ダスティ”ねぃ