毎日S○○をやっていた! レアルで失敗したカッサーノが語る

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『Gazzetta dello Sport』など各メディアは『AS』のレポートを引用し、「元イタリア代表FWアントニオ・カッサーノが、スペインで送っていた生活を語った」と報じた。

バーリで若くして活躍を見せた後にローマへ移籍し、セリエA屈指の若手選手として高い評価を受けたカッサーノ。

しかし2006年1月に移籍したレアル・マドリーでは1シーズン半で19試合の出場に留まり、わずか2ゴールという結果に終わる。

さらに2006年夏に就任したファビオ・カペッロ監督とは衝突してしまい、トップチームから追放されるという状況も経験した。

その後はサンプドリア、ミラン、インテル、パルマでプレーし、今季は古巣のサンプに復帰している。

彼はスペインで過ごした1年半について以下のように話し、あの頃の自分がやっていた自堕落な生活を明かした。

アントニオ・カッサーノ

「レアル・マドリーでは、オレは本当に少ししかプレーできなかった。明らかにそれは自分の失敗だった。

しかし、ロナウドやジネディーヌ・ジダン、そしてラウール・ゴンサレスのようなとても強い選手たちを持っていたことも事実だ。

オレは、ロス・ブランコス(レアル・マドリーの愛称)からの電話を受け取り、自分に興味があることを聞いた時のことを良く覚えている。

最初は信じられなかったな。しかし、それからこれがジョークでないことに気がついた。電話の先がフロレンティーノ・ペレスに変わったときにね。その取り引きは断ることができなかったよ」

アントニオ・カッサーノ

「オレは若かった。

フットボール。セックス。そして食べ物はパーフェクトだった。最高だった。2008年2月に妻と会うまではね。

20歳で、女の子が好きで、毎日セックスをする機会がある。それは素晴らしいものだった。オレはそのチャンスを生かしたよ。

オレはカッサーノだった。レアル・マドリーの選手のね。

もし他の仕事をしていたら、オレのことなど誰も見はしなかっただろう。母以外にはね。なぜなら、オレはいい男だがハンサムではないからな」

「マドリードでは、オレはホテルのウェイターと友人だった。彼の仕事は、オレがセックスをした後、3〜4個のペイストリー(菓子)を持ってくることだった。

彼は階段の上にペイストリーを持ってくる。オレは女を送って、それらを交換する。彼は女を連れて行き、オレはペイストリーを取る。

セックス、そして食べ物。完璧な夜だ」
アントニオ・カッサーノ

「(バーリからローマに移籍した際について)

オレは18歳だった。そして、いつだってトッティとともにプレーしたいと思っていた。彼は素晴らしい人だ。ローマと契約した後、オレは6ヶ月間彼の家に住んでいたんだ。

悲しいことに、それから我々は尊敬の欠如から喧嘩をし、それから彼は2年間オレと口を利くことはなかった」

「(心にあるクラブは?)

オレのハートがあるクラブは3つだけだ。

サンプドリア、インテル、そしてパルマ。他の全ては忘れたよ」

「オレは今でも食べることにはまっている。友人がかつて言ったように、よく食べれば、太る。

明らかに、毎日たくさん喰っているようなら、そりゃバカだ。そして、オレは20年間そんなバカだった。

いま、オレはそれが出来ない」

「人生の最初の16年は大惨事だった(※カッサーノは母一人の手で育てられた)。君たちはオレを狂人だの反逆者だのと呼ぶことが出来るが、自分の生まれを変えることは不可能だ。

オレはこの道に満足している」