日本がギリシャのように破綻しない理由
■いくら借金をしているか、いくら資産を持ってるか
現在、ギリシャが事実上の債務不履行に陥っている。ユーロ圏にとどまるためには、多大な困難を乗り越えなければならない。
これに伴い、「政府の債務は日本のほうがギリシャより大きい。日本の財政は大丈夫なのか」という声が上がっている。
日本では20年以上にわたって政府の歳入より歳出が多い状態が続いている。日銀の資金循環統計によれば、地方公共団体を含めた日本の一般政府の負債合計は2015年3月末で1206兆円、名目GDP490兆円の246%に達した。IMF推計によるギリシャの対GDP比176%より大きい。
政府がこうした自転車操業を行っている状況はもちろん、望ましいことではない。しかし、日本の政府債務の対GDP比がギリシャに比べて大きいとしても、そこだけを捉えて「このままいけば、日本もギリシャと同じように債務不履行に陥り、経済がめちゃくちゃになる」と考えるのは大間違いである。
日本政府はかつても今も、「近い将来に資金繰りがつかなくなって債務返済が滞る」という状況にはない。世間の注目が集まっているいい機会なので、この点について述べたい。
ある人がお金持ちか貧乏かを考えるなら、その人がいくら借金をしているかだけでなく、いくら資産を持っているかも見なくては判断できない。当然、国家・政府も同じはずなのだが、財政危機を唱える人々はなぜかそこに言及しない。
日本の一般政府は、債務返済のために現金化できる資産を売り払ってきたギリシャ政府と異なり、15年3月末でまだ574兆円に達する金融資産を保有している。それを負債総額から差し引くと、残った分はGDP比で130%弱となる。
よい状態とはいえないが、一般政府の純債務残高が14年末で312億ユーロ、GDP比で174%となるギリシャよりはましといえる。日本では金融資産のほか、政府が保有する土地や官庁の建物など実物資産も相当な額に上る。
しかも日本は官民を合わせて見たとき、世界で最も多くの対外資産を持つ純債権国である。日本の対外純資産は14年末時点で366兆円と、24年連続で世界一である。このため、ギリシャ問題のような経済危機が起きると、世界の投資資金が円に集まり、円高が発生する。つまり、日本政府が発行している日本の円は、ECBが発行するユーロより、米国政府が発行する国債より信用があるということだ。対外純債務がGDPを大きく超えているギリシャとは、この点がまったく異なる。
日本では政府の税収を担保する家計の金融資産も、15年3月末で1700兆円以上と莫大だ。財務省は「政府債務というツケを次代に残すな」というが、家計の保有資産もいずれ将来世代に移転されることになる。日本人ほど将来世代のことを考えている国民はいない。
日本政府の債務は、円建てで発行されている。このため返済を求められれば、日銀でお金を刷ることにより、すぐに返すことができる。
同じことはギリシャにはできない。ギリシャの通貨はユーロで、借金もユーロ建てである。ユーロはECBが発行しており、ギリシャ政府はECBにお願いしてお金を貸してもらわなければ、政府の債務を返済できない。そのためには、ドイツなど他のユーロ加盟国を説得しなければならない。そこも日本とは決定的に違うところだ。
もちろん、日銀で刷ればよいといっても、あまりお金を刷りすぎればインフレになってしまうが、今の日本はインフレではなくデフレなので、そこを心配する必要はない。
そもそも、市場が日本国債が返済不能となることを心配しているのであれば、高い金利を約束しない限り、誰も日本国債を買ってくれないはずである。
ところが、日本国債の発行金利は、15年7月初めの10年国債で、年率0.5%前後であり、15%近いギリシャ国債とは比較にならない。同時点の米国10年債、イギリス10年債はどちらも2%台である。それだけ日本国債は、マーケットで返済の確実性を信頼されている。
■ギリシャの財政悪化と、日本の消費税引き上げ
エコノミストの中には、「今でこそマーケットは平穏だが、いつ財政の不均衡のために金利が高騰するかわからない」という人もいる。本当にそう思うなら、国債を空売りすればいいだろう。国債金利の高騰とは国債価格の暴落だ。空売りしておけば大儲けできる。
国債価格が暴落すると脅かそうとするオオカミ少年的エコノミストは、みな口だけの評論家であって、自分で自分のいうことを信じてリスクを取っていない(そうでない人がいたら教えてほしい)。実際にリスクを取って市場で日本国債を売買しているプロのトレーダーたちは、どこの国の国債よりも日本国債を信用している。だから日本国債の金利は世界一低いのである。
もう一つ、ギリシャと日本で決定的に違う点がある。
日本では安倍政権の登場により、アベノミクスの第一の矢、黒田東彦総裁率いる日本銀行による積極的な金融緩和によって、日本経済を活気づかせることに成功した。これは円という単独通貨ゆえに、自らの意思で金融緩和を実行できたからだ。
ギリシャには同じことはできない。ギリシャの金融政策はECBによって決められ、ECBはユーロ全体の景気や雇用状態を見ながら金融政策を決定しており、ギリシャの個別の事情に合わせてはくれない。
ギリシャ国民の生産性を考えれば、本来は中央銀行がもっと緩和的な金融政策を実施し、通貨価値を下げることで国としての競争力を高める必要がある。現状の為替レートでは、ギリシャは輸出入のバランスが取れず、経常赤字を続けることになる。
米コネティカット州の私の自宅近くにある朝飯屋の女主人はギリシャ出身だ。「ギリシャの主要産業は観光業です。ドイツの都合のいいように決められる割高のユーロでは、円安で外国人ブームの日本とは反対に旅行客が逃げてしまいます」という。
日本の消費税に近い付加価値税を上げたりすれば、かえってギリシャの財政が悪化する可能性があることは、日本の消費税引き上げの経験からも明らかであろう。
ドイツとギリシャでは生産性が違うため、同じ通貨を使い同じ為替レートで競争したら、必ずドイツが勝つことになる。もしそうなったとき、お互いの財政が共通なら、儲けているドイツが利益の一部を税金で回収してギリシャに回すことで、両国の生活水準の格差を抑えることができる。しかし現実にはユーロ経済圏では、通貨は共通でも各国の財政は別なので、ギリシャがドイツから所得を移転してもらうのは無理。債務の減免くらいにとどまる。
ドイツの言い分は、幕下の力士に幕内の力士がユーロという土俵を変えずに、すぐさま体質を改善して対等の相撲を取れと命じているようなものだ。財政の構造改革も必要だが、ルールそのものを大きく変えなければ十分ではない。
この先、何らかの改革によりギリシャの生産性が急上昇すれば別だが、そうでもない限り、このままユーロ圏に留まったとしても、ギリシャの苦悩は繰り返されるであろう。
米経済学者ポール・クルーグマンは、ギリシャの国民投票の直前に米NYタイムズ紙上で、「ギリシャ国民はEUの求める緊縮財政に『NO』というべきだ」と述べていた(15年6月29日付)。英フィナンシャルタイムズ紙のマーティン・ウルフも、「ユーロに残れば、ギリシャの体験した苦難は繰り返される。離脱すれば目先で調整の苦しみがあり、将来も未知の試練が待っている。しかし、紺ぺきのエーゲ海に飛び込むつもりでギリシャ経済を再生したらどうか」と述べた(同30日付)。
■復興予算の調達に大きな問題は生じなかった
私も同意見である。ユーロはヨーロッパ統一という政治的スローガンを満たし、加盟国に利益をもたらすはずだったが、ギリシャは違った。ユーロから離脱し、独自通貨に戻して自身の中央銀行が通貨を発行するようになれば、景気を回復させることができる。そもそも、最初からユーロに加盟などすべきではなかった。
財政赤字一般の議論にもどろう。確かに、財政が悪化すると急な財政出動が必要になった場合に対応できないし、予算の多くが金利の支払いに消え、本来の支出に回せる額が減ってしまうという理屈は正しい。
しかし実際は、11年に東日本大震災が発生し、政府は総額25兆円もの多額の復興予算を計上したが、その調達に大きな問題は出なかった。国債の利払いについては、15年度予算で10.1兆円と、歳出全体の10%強に収まっており、アメリカ、イギリス、ドイツなど、世界の主要国のいずれよりも低い。
政府が過大な債務をチャラにしようとしてインフレを起こすのが、最も大きな心配である。悪性のインフレが発生すると、国民全部が課税される結果になる。しかし今の日本は長年、デフレに悩まされているので、その心配は少ない。
もちろん、永遠に歳出が歳入を上回る状態は望ましくない。いずれは消費税率を上げるなどして、財政を均衡させなくてはならないが、問題はそのタイミングにある。
この場合、景気を好転させ、日本経済を成長軌道に乗せてから税金を取るアベノミクスの立場と、EUがギリシャに押し付けているように、経済の状態とは関係なくまず税率を上げようとする立場の2つがある。どちらが正しいのだろうか。
財務省は14年4月の消費税増税以前、「増税が実現すれば日本の財政への信認が高まり、国債発行金利も下がってくる」といっていたが、実際には上がってしまった。市場は「消費税率アップで景気が悪化すること」を重視したからだ。「消費税を上げても景気に大きな影響はない」などという強弁が嘘であることも、国民にわかってしまった。実際には消費税増税を機に景気が一気に冷え込み、14年は実質マイナス成長に転落してしまったからである。まさか財務省が、税収を下げてでも自らの権限拡大のために税率を上げようとしているとは思いたくないが。
消費税は今のところ、17年4月に10%に税率を上げることになっている。これを実施するときには、金融緩和の援軍も必要であろう。消費増税で一番苦しむのは低賃金、低所得、低年金生活者だ。生活必需品の税の免除とか、マイナンバー制を活用して生活困窮者に戻し税を支払うなどの所得分配上の配慮が必須であると考える。
(イェール大学名誉教授・内閣官房参与 浜田宏一 構成=久保田正志 撮影=石橋素幸 写真=時事通信社)