人気作家が「平凡な人生」を書いた結果…

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 出版界の最重要人物にフォーカスする『ベストセラーズインタビュー』!
 第60回となる今回は、今年7月に新刊『小森谷くんが決めたこと』(小学館/刊)を刊行、そして昨年発売された『デビクロくんの恋と魔法』が映画化と、ますます勢いに乗っている中村航さんです。
 『小森谷くんが決めたこと』は、実在する一般人「小森谷くん」に徹底取材、彼の半生をそのまま小説にするという、風変わりな小説です。
 この奇妙な小説は一体どのように生まれ、書き上げられていったのか。映画版が11月公開予定の『デビクロくんの恋と魔法』の話も含めて、中村さんにお話を伺いました。

■実在する一般人をモデルに書かれた小説
―新刊『小森谷くんが決めたこと』についてお話をうかがえればと思います。これは実在する人物「小森谷くん」に、中村さんがインタビューを重ね、半生をまるごと小説にするという一風変わった作品です。担当編集者の方との間で企画が持ち上がった時の印象はどのようなものでしたか?


中村:おもしろそうだな、という気持ちもありましたし、ちゃんと小説になるのかな?という不安もありました。自分にできるんだろうか、という半信半疑の状態でしたね。

―それは、一般人の人生にドラマになるものがあるのかということですか?

中村:そういう部分もあるかもしれませんが、波瀾万丈であれば書きたくなる、ということでもない。自分の小説として書けるのかどうかわからなかった。正直、はじめて話を聞いた時点では、ちょっと厳しいかなと思っていました。

―それでもやってみようと思えたポイントはどんなことだったのでしょうか。

中村:「男子の小説を書きましょう」という依頼が来て、それで「小森谷くん」に会わせてもらってお話を聞いたんですけど、それでもやはり厳しいなという印象だったんです。
簡単にいうと、「小森谷くん」には医者から「余命2ヶ月」の宣告を受けて、そこから生還した過去があるんです。彼の小説を書くとしたら、その件が中心になると思っていたのですが、そこだけ書いてもいまいち納得できなかった。主人公、つまり小森谷くんの意識をどう描けばいいか掴めなかったんです。

―なるほど。

中村:他にも大学時代や大学を卒業してからの話も聞いていたのですが、それぞれのエピソードが、最後に向かってどうもうまく繋がっていかないんです。個別のエピソードを繋げるものって、結局主人公の人間性だったり、ものの感じ方であったり、存在そのものですから。
それに気がついて、「じゃあもう全部書いてしまおう」と思った時、はじめてやれそうな気がしました。そこからは「小中学生時代の話を聞かせてください」「幼稚園時代の話もお願いします」とどんどん年齢をさかのぼってインタビューをしていきましたね。
そうなると、どんどん資料が溜まっていくわけですが、それを眺めながらプロットを作っていきました。
「小森谷くん」のこれまでの人生を全部書くといっても、いわゆる「伝記」のようにするのではなくて、小説にしたかった。そこで、以前に書いた「男子五編」という作品があるのですが、それと同じように「成長していく男子」といった捉え方で書いていくことにしました。
そうやって書きはじめたものが、雑誌での連載開始から2年くらいかかってようやく完成したという流れです。

―「小森谷くん」に初めて会った時の印象はどのようなものでしたか?

中村:それが本当に普通の人で…(笑)。物腰のやわらかさが印象に残っていますね。本にも書きましたが映画の配給会社で働いていて、かっこよくも悪くもないという、普通の人です。
でも、幼稚園の頃から今までのあらゆる話を聞いて、それを小説として書いてから彼に再会したら、もう見え方がまったく変わっていて。立ち振る舞いがとても優しく感じられました。その日は仕事の日だったからスーツを着ていたんですけど、十年ぶりの友達に会うような気がしてグッとくるものがありました。

―彼は、この作品についてどのような感想を持ったのでしょうか。

中村:それが、まだ感想を聞いてないんですよ。でも、不思議と信頼感はあって、おもしろがってくれているんじゃないかとは思っています。

―連載が始まってから苦労した点はどんなところですか?

中村:単に半生を全部書こうとすると箇条書きのような小説になってしまうので、本人に聞いたエピソードを小説の中のワンシーンにしながら、なおかつシーンとシーンをうまくつなげようと試みました。それらを配置するのが難しくもあり、おもしろかった点でもあります。

―自分の人生ではないですからね。

中村:そうですね。ただ、小説を書くってそもそも人生を書くことですからね、そう考えると、普段書いている小説とさして違ったことをしたわけではないのかもしれません。

―この小説は「小森谷くん」だから成立したのでしょうか?それとも、すべての人の人生は小説になりうるのでしょうか?

中村:「普通の人」「普通の人生」など、「普通」という言葉で丸められているものも、丹念に追いかけてみると、普通じゃない、おもしろいものが見えてくると僕は思っています。だから、「小森谷くん」じゃない別の人をモデルに小説を書けるかといったら、多分書けるのではないでしょうか。
ただ、もちろん僕に全てできるわけではないと思います。人と人の相性もありますし、どうやって小説にするかも人によって変わってくるはずですから。

第二回 願わくば世界が少し優しく見えるような小説を書きたい につづく